夢の後先

僕は夢を見ていた。
走馬灯のような夢だった。半生の振り返り。後悔の棚卸し。


小さな頃から何かが特別苦手だったという記憶はない。僕にとって人生はノルマで、チャレンジではなかった。ただ、何かが特別得意だったという記憶もない。

小学校の運動会では3着の札しかもらった事がない。大きく転んで、ビリになってしまった同級生が笑っているのが少しだけ妬ましかった。
中学は水泳部に入った。プールの塩素で、髪の毛が茶色くなってしまった先輩をみて、自分の黒髪を水泳帽で必死に隠していた。
受験はめんどくさくて無難な公立高校に入った。中学で保てていた成績は高校で通用しなかった。同級生に勉強を教えてもらうのは初めてだった。だんだん首が締まっていくのを感じながら、それでも勉強に前向きになんてなれなかった。
体育祭では、文化部の自分にお鉢が回ってくることはなく、文化祭では友達の漫才ライブを見て大笑いした。思い出はそのくらいだ。
公立高校から就職するような人間はめずらしく、当然僕も大学を目指すことにした。受験前に「あなたといるとつまらない」なんて、お決まりの台詞で振られたことも、夢だからといって改竄してくれもしない。乱雑に置かれた大量の参考書はほとんどが開かれた形跡もなく、第三希望の合格通知だけ申し訳なさそうにコルクボードに、貼られている。

誰にでもある、なんのドラマもない走馬灯。ずっとどこか片手落ちで、するすると流れて行くように人生を歩んできた。努力とは無縁で、才能とは無関係。大きな波乱もなく、漫然と諦めた数々のことが後悔として心に積もっている。


やな夢を見たものだと、カーテンを開けるとまだ日の出の様子を残した空が出迎えてくれる。遠くに見える太陽は少し眠たそうだ。6時27分。3分後になるはずのアラームを解除して、シャワーを浴びる。夜は帰宅してすぐ寝てしまうので、いつのまにか朝に浴びる習慣がついてしまった。歯を磨きながら、手帳を開く。東京メトロ九段下駅、8時着。この調子なら駅前のカフェで朝ごはんを食べる余裕がありそうだ。テレビをつけると、朝の顔と呼ばれて久しい芸人さんが交通情報を読み上げている。遅延などの心配もないようだ。手早く起床確認の電話を2本入れ、仕事着に着替える。

過去の僕はどう思うだろう。あんな夢を見たからか少しノスタルジックな気持ちになっているらしい。
将来なんていう言葉に希望を持つのは、どこか特別な人間の特権だと思っていた節がある。悲観すらしない、当然の帰結だと。

鏡の前で緩んだ顔を引き締め直す。持ち物を確認し、家を出ようとする。が、一つの忘れ物に気がついた。部屋の隅の小さな卓上カレンダーがある。今日の日付に斜めに線を入れる。今まで欠かした事のない日課を忘れるとは、自分では気づかなかったが、やはり緊張しているらしい。斜め線の下には赤字で目立つように今日の予定が書かれている。

『武道館ライブ』

僕が今のコンビの担当になってから一番大きなイベントだ。気合を入れ直して、ゆっくりと家の扉を開けた。


自分が何者かになれるなんて、今でも思っていない。輝かしい未来なんて求めていない。それでも僕は今、夢を見ている。

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