あいえんかうんと

タバコを吸うのは半分儀式だ。
不安や緊張を煙と一緒にくゆらせ、苛立ちも焦燥感もまとめて、空気に溶かしていく。心を落ち着かせるための儀式。

その日も壊れた自販機の裏でタバコに火をつけようとしていた。この街に喫煙所はない。数年前流行った合法ドラッグの売買が行われていたらしく、規制とともに一斉に撤去されてしまったのだ。その時は憩いの場の喪失を憤るより、こんな街でも行政がきちんと仕事をしている事に感心したものだった。

無くなってしまった喫煙所の代わりを探すうちに辿り着いたのは、絶好と言える場所だった。誰にも見向きされず、駐車場を背に佇んでいるそれは、休息を具現化したように見えた。同好の士はどこにでもいるらしく、灰皿がわりになっているジュースの空き缶は、俺の置いたものではない。



その日は午前の仕事が思いがけないまとまりを見せ、早めの昼食に蕎麦を啜った。蕎麦屋の帰り、いつもの縁石に座りタバコをくわえて百円ライターの火打石を3度擦る。赤子をあやす様にライターを振りもう一度擦ってみるが火はつかない。

「くそっ」

これだから安いライターは、とまで口にしたかもしれない。下の方に溜まったオイルが諦めきれず、何度かライターの音を響かせていると、

「使います?」

少女だった。正しくは直感的に少女と様してしまう見た目をしていた。思わず口から離してしまったタバコにすかさず右手を伸ばす。タバコはすんでのところで右手に飲み込まれてくれた。

「ナイスキャッチ」


ライターをありがたく受け取り、二、三煙を吸い込むと、ある程度の冷静さが取り戻された。独り言を聞かれただろうかなどという恥ずかしさも次第に落ち着いていった。横を見やると、その”少女”は錆びついた自販機にもたれかかり、慣れた手つきでタバコを咥えている。こちらの目線に気がついて微笑んだ彼女には、俺の素直な疑問はお見通しらしい。

「未成年に見えます?」
「いや、ごめん」

見えるか見えないで言うと勿論見えるわけだが。沈黙の中、彼女の煙を吐き出す音だけが妙に近く感じる。こんな街だ、タバコの一本や二本とやかく言うまい。面倒ごとはごめんだ、という本音も自分を責めるほどの大きさはない。

「あ、これ」

彼女の差し出した空き缶を不思議に思って手元を見ると、火種が指に届きそうなほど近づいているのに気がついた。慌てて缶にタバコを投げ込むと、ジュッと聞こえ、余韻のような煙が缶の口から昇ってきた。

「ありがとう」
「お兄さん、面白いですね」
「あ、ありがとう」

彼女はクスクスと笑う。気恥ずかしさから、話題を変えようと頭を巡らそうとしたが、すぐに彼女の持つ空き缶に目がついた。

「その缶、君が置いてたの?」
「そうなんです。使ってました?」
「うん。助かってるよ」
「それはよかったです」

彼女もタバコを缶に落とし、もう一本取り出した。

「あの」

半笑いの投げかけにまたしてもハテナが浮かぶ。

「ライター」
「ああ、ごめん」

いつもの癖でポケットに入れてしまっていたらしい。ピンク色の100円ライターを彼女に返す。先程は慌てていて気が付かなかったが、自分と同じメーカーを贔屓にしているらしい。自分のタバコに火をつけると、彼女はライターをもう一度俺の方に投げてよこした。

「もう一本吸いますよね?」
「え?」
「さっきの。ほとんど吸わないまま捨てちゃったから」
「ああ、ありがとう。使わせてもらうよ」

俺も自分のタバコに火をつけ、今度こそライターを返そうとすると、

「それ、持ってていいですよ」
「え、さすがにわるいよ」
「次会った時、返してください」
「でも」
「じゃあ代わりに、ここの空き缶、取り替えといてもらえません?ジュース代もバカにならないんで」

笑顔で拝む彼女に、俺は頷かざる負えなかった。

「私、この街好きですよ」
「え、」
「だから、大丈夫です」

それから、たっぷり一本分の沈黙の後、それじゃ、と彼女はその場を離れていった。俺の心配をよそに背伸びした少女が1人で歩いていく様子を後ろから見守って、仕事に戻った。


それから、自販機裏の空き缶はブラックコーヒーの缶に変わった。ピンクの100円ライターを3本買い足しても彼女にはまだ会えていない。


タバコを吸うのは半分儀式だ。
もう半分は、願いにも似た祈りだと思う。


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