見出し画像

現代文学習の必要性

国語力の必要性を感じる時代だ。
国語力の基準については各所諸々ご意見あろうが,大きく読解力と論理的思考力,言語運用能力からなる,と思っている。

Twitter,LINEではデマが拡散される。テレビのニュースで流れる情報は本当に最新? コメンテーターがお茶の間目線()で適当なことを言う。
それら全てを真に受けるな。読解力を駆使して真意を読み取るのだ。一方的に政権批判や大企業ディスをすれば良いと思っている人は大勢いる。衝撃的な情報や,「すごい!」と思わせることを目にしたら同時に「本当に!?」を考える。一次情報にあたる。一次情報じゃなくても少し溯れば似た情報が出てくる。一人の視点で語られたことに,他の人の視点を加える。複数を比較して,自分はどう考えるのかを決める。
これが今の時代に必要な読解力だ。


「問い」と「答え」がセットであること,これが論理的思考力だというGLOBISの文章を読んだ。

自分が考えていることを発言したらどうなるか,今はそれを思考したい。某新聞社の方がコロナウィルスに対して「痛快だ」と発言した件,自分はコロナウィルス患者だと電車で叫んでパニックに陥れたり,薬局の店員に対して咳き込んだり,訳の分からないことで炎上,逮捕される人が次々に出ている。
以前より学生やアルバイトが店で遊んで炎上騒ぎを起こしていたが,最近のニュースを見ると年齢層が上がったように思える。明日4月1日はエイプリルフールだが,余計な発言で炎上する人が出てくる気がしてならない。


「言語運用能力」はもともと語彙力に紐づくため,読解力と論理的思考力の2つで包含されると考えていたが,昨日今日で「訃報」が読めず,人の死に対して「朗報」と書いてしまう人が散見されたため加えた。「朗らか」という言葉を知らないからだろう。
私も「憂い」という言葉を高校時代に知らず,「うれしい」みたいな意味だろうと人の話にポジティブな相槌を打って大恥をかいたことがある。
自分で情報の発信がしやすい時代であるから,時と場合に応じた言葉の使い分けをしたい。

勉強しにくいと言われる国語の勉強法については以前にもnoteに書いたが,本を読むことに加えて,日常生活の中で真意を読み取る,自分の発言の影響を考える癖をつけていきたい。

レペゼン群馬、新井将司。世界一になる日まで走り続けます。支えてくださる皆さんに感謝。