教育改革について考える新井

センター試験も残すところあと1回。2021年からは大学入学共通テストが始まります、というのは教育関係者なら常識、一般の方でもお子さんがいれば各地で耳にするため浸透してきているのではないかと思う。これについて私が存じ上げている学校関係者、予備校関係者の意見は賛否両論、と言うより否が圧倒的に多く見える。その根拠が、

センター試験は非常に優れた問題であり、十分に思考力・判断力、表現力を問うている。

採点の負荷が高く、基準も曖昧な記述試験を50万人を超える生徒を対象に正確に行うのは不可能。

などなど。

さらにここ数日は、民間の英語試験導入反対の声が盛り上がってきている。

個人的には、みなさん改革がお嫌いなのね、という感想である。公平性だなんだというが、最終的に国立大学なら二次試験で決めるわけで、AOや推薦入試で好きな生徒が取れるのだから、そこまで全員が一斉に受けるテストに拘る必要がおありか?と思う。

eポートフォリオなどについても基準が曖昧だ、そんなことより学習時間を増やせなどという意見もあるが、(今の形で良いかは置いておいて)作成・入試への導入には大賛成だ。

私は掃除が好きで通常の登板とは別に、気が向くと放課後に一人でトイレを磨いたりしていた。倒れている自転車を直したりも、委員会の活動とは別にボランティアでやっていた。そういうことをする自分が好きだったのだろう。

高校に、気に入らない後輩の自転車の鍵を片っ端から川に投げ込み、教師の前では反省したフリをして泣いて見せ、裏では「私は東大に行くのだから何をしたって許されるのだ」と言った人がいるという。この話の真偽は不明だが、そういう人でも勉強ができれば合格するのが今の入試だ。

個人的にはそんな人間性を評価する部分があってもいいのではないか、と考えている。

そもそも今の試験が平等なのだろうか?

当然生徒によって受験環境も家庭環境も違う。当日ベストコンディションで受けられるとは限らない。同じ東大の入試でさえ、「会場によってめちゃくちゃ寒いよ」「椅子が硬い会場がある」だのと東大生が生徒にアドバイスしているのを見ると、運じゃないか、と思ってしまう。彼らに言わせれば、風邪は予防できるし、寒い会場ならブランケットを持っていけばいいし、椅子が固ければクッションを使えばいい、ほとんど自分の準備で何とかできる範囲だということだ。たしかにそうかもしれないが、その力はその先の人生でどう役立っていくのか。

コツコツ鍛錬してきたことを一発勝負の入試で出し切るなんて、戦で生きるか死ぬかとやっている武士の発想ではないか。分かりやすいかもしれないが、それで割り切れない部分もあろう。

デモや署名で現状を変えようとするのも結構だが、その中で自分の力を活かすのも、重要なことであり、どんな時も活躍できる場を見つけられる人になってほしいと、自分の作っている教材を使う生徒や、息子に対して願っている。




レペゼン群馬、新井将司。世界一になる日まで走り続けます。支えてくださる皆さんに感謝。