見出し画像

十二年目の独白 2

世界の仕組みを知ろうと思った

自分の実力以上の成果を上げて、とにかく売れに売れまくったアレンジCD。最盛期では一つのショップから2000枚以上の発注が来る「狂気」とも言えるブーム。ブームとは、バブルとは、自分にはその時何が出来ただろうか、今考えても答えは出ません。しかしその頃に技術開発、新規機材投資を怠らなかったのが今に繋がっている事は確かです。それなりの豪遊もしましたが、そもそも自分は音楽は娯楽であり趣味であり仕事です。それ以外にお金を使う事は殆どありません。やったことと言えば美味いものを食おうといろんな場所に出かけ、日々の忙しさから逃げたい一心で温泉街に出かけ...、息抜きをどうやってしたらいいか、に必死でした。
そんなにお金があるんだから、少しくらいサボっても良いじゃないか、少しくらい何もしない時期があっても、遊びまくる事もできたじゃないか、と思う人もいるかもしれません。しかしそれが出来なかった。そういう発想にならなかった。得体の知れない強迫観念と戦っていたのでした。

自分の曲ではないからなのか?

私得たお金はアレンジ作品によるものです。しかもそれは明らかなバブル。バブルは必ず弾けます。しかしその渦中にいると盲目になる。日々好きなはずの音楽制作作業が何故これほど息抜きが必要になるのかわかりませんでした。自分の曲ではない、というのが理由だろうか?と思ってオリジナル楽曲を作り売ってみましたが、何かが違う。ストレスが軽減されるどころか、妙な焦りが出て自由になれない。「こんな事している暇があるのか?」

アレンジとは何だろう、と突き詰めて考えました。オリジナルは売れなくて、アレンジが売れるのはどうしてだろう?一つの結論としては、売る側、買う側にとって「ジャンル分け」とはアイコンとして売りやすいし買いやすいという事実です。いつもいつも思うのですが、ダウンロードや配信サービスに音楽を登録しようとした際に、「あなたの音楽のジャンルはなんですか?」という項目が必ずあります。その時点で私は既にハンデです。ジャンルが決まっていない。ロックも作ればオケも作り、アンビエントも作ればポップスも作る。一人の音楽家が作る時、そんなにジャンルってのは大事なのか?と首を傾げる日々です。ゲーム音楽から音楽に入った私には、その音楽が何というジャンルなのか、はどうでも良くて、ただ、それらが、例えば「レゲエと呼ばれる音楽の形式らしい」ということはわかっても、「じゃ、オレなりのレゲエを作っちゃえ」という流れで行くと、一人のアーティストとして完全な「よろずジャンル」になってしまう。統一されていないとアイコン化は難しい。アイコン化が明確でなければ、買う人に、売る側に「伝わりづらい」という事実があります。これは私にとって大きな大きな悩みでした。

アレンジとは、まさしく「既にアイコン化されているものを利用する」という事に他なりません。「東方風神録のジャズアレンジ」という言葉には、わかる人にはわかる明確なアイコンが2つ提示されていて、至極伝わりやすい。著作権上での違法性の問題を取っ払うと、世の中の演奏家は「既にアイコン化されているものを利用する」という行為としては、二次創作と全く同じ事を行っているわけです。モーツァルトの曲を演奏する、というのと、ロックマンのアレンジ曲を作る、は、この視点から言うと何ら差異はありません。

アイコン化

アーティストとして、クリエイターとして生きる場合、自分という個性がアイコン化されて多くの人に認知されるというのは大変喜ばしい事です。一曲だけでも良い、ヒット曲があればその後は楽に生きられるのです。最も難しいのは「認知される」という事なのです。認知されるということは、「認知され方」もあって、ネガティブ要因やただの炎上という形での認知のされ方は、アイコン化が真逆の成果をあげます。また、最近気付いたのですが、「社会的に認められる」という…、いわゆる実績や権威のようなものも、実は大変脆いものです。権威も所詮は人が定めたものであり、受賞した、などの経歴も…私も経験はありますが、さほど影響力を持っていません。大事なのは「認められる事」ではなくて、お客さんにお金を出して買ってもらう事なのです。

モンドセレクション受賞。よくお菓子などである肩書です。食べ物であるならば、一定の評価基準として「認知のきっかけとなる」という点で受賞とは優れています。しかし実はそれ止まりで、一度食べて、もう一度食べたい、このメーカーのお菓子を食べたい、と思ってもらうリピーターを生み出すには、受賞はあまりにも弱いきっかけです。

目的がすり替わる

ここから先は

3,402字

¥ 300

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?