【グレーマンの物語】2022/11/10/Thu
確かに自分は中途半端な人間であるが、周囲を見渡すと確かに私に比べ大変な障害を抱えている方々を見ると自分は健常者、問題のない人間となってしまう。自分でもそう思う。例えばメンタル。私より前に診察を受けた人を見かけると本当に辛いのが伝わってきた。
他の病気や事故に遭われた方々と比較すると私は健康で障害なんて無い、と思わざるを得ない。だが、その分社会で活きることのできない鬱憤が膨大に積もりに積もっている。しかしその膨大に使われなかったエネルギーも最近は無くなっているようにも感じる。以前の若い時はどこへ消費したらよいかわからず、体の中で倦みしんどかった。今もそうだがその肝心のエネルギーさえ歳のせいかなくなってきたように感じる。
あの鬱屈したエネルギーはどこへ行ってしまったのか。そのエネルギーはいつの日か日の目を見ると思っていた。信じていた。それが無くなってしまった。今や自分の心を支えるだけで精一杯。苦労しているのに太り続ける重い体を支えるだけで精一杯。こんな人生になるとは思わなかった。
先月から季節柄か睡眠時の覚醒が酷い。悪夢も見る。それも鮮明だ。寝るのがかえって辛い。なのに日中に急激な睡魔がやってくる。麻酔を打たれたかのように。薬の影響か。メンタルの影響か。生活リズムを正すために律しないといけないが、規律を守る体力はない。しんどくてたまらない。だがそれでも鬱屈したエネルギーは少しは残っている。何かはわからんが、何かしたい。そう思っても何をしていいかわからない。それで鬱屈がどんどん増す。
最近では鬱屈があっても動けなくなってきた。エネルギーは余っているが実際に動くとなるとしんどく、それがジレンマとなっている。今はなんとか文字を入力できるがそれさえできない。気持ちの面だけではなく実際の体、身体機能も落ちてきたようだ。そりゃそうだ引き籠りだから。
今は睡眠状態をなんとかしたいが、おそらくは日中の過ごし方をなんとかせねばならんのだが、それができんから睡眠も上手くいかず日中もしんどく負のスパイラルに陥っている。これもドンに落ち続けている。いつかドン底へ辿り着きたい。底へ行けただけまだラッキーだろう。私はまだ底へ辿り着けず、ずっと落ち続けている。
やはり肝は寂しさんなんだと思う。やはり一人は寂しい、辛い。でもなかなか人間関係を構築できない。一人でも、と思うがその一人が難しい。その寂しさで日常生活どころではないのだと思う。だが孤立、独りを覚悟しないといけない。その欠けた上での日常生活をしなければいけない。それも以前から思っていたがそろそろ諦め時だ。その意味で覚悟しないと。別にこの世に独り取り残された訳ではない。
人の温もりがほしい。理解してほしい。話を聞いてもらいたい。関心を持ってもらいたい。実際に目の前で。でもそれが叶わなかった。世間からみたらごく小だから、私にとっては大きな欠けたモノである。大きな障害である。それを障害と見なさないということは、人との出逢いは大したことではないということになる。とても大切だからこそ欲している。だがそれは叶わなかった。
その上で規律した日常生活をしなければいけない。できるだけ工夫するしかない。ペットもいいがお金がかかる。お世話をするにも大変だ。今はネットがほぼ100%だが満たされていない、心身の健康もよくないとすれば他の事もしないといけない。大きいのは気持ちの面。例えば洗濯や部屋の掃除。やる気が起きない。工夫しないといけない。どうやって?
自分の周りを綺麗に整えることは当たり前の事なのだが、頭ではわかっているが心身ともに動かない。何か理由がエサがなければ動けない。例えば人が部屋を訪れる時など。自分の肥満ももし美人さんから好意を持たれたら急ピッチでダイエットを開始するだろう。だがそんなことはあり得ない。むしろ普段から自分を磨くからこそ、もしかしたら関心を持ってもらえるかもしれない。頭ではわかっているが、日々のしんどさを耐えるだけで精一杯。
ごく最近では、関係が上手く行かなった歯医者を変えたのだが、その歯医者は今のところ良い。この変えた行動はある意味小さな成功体験だったのだろうか。ただ耐えるだけだと紙一重であると実感している。前回の記事でも書いたが耐えるのが美徳と考えるのは末恐ろしい。そこが間違った環境だったら?だからこそセカンドオピニオンという言葉もある。
職場もそうだろう。岩の上にも三年というがブラックな職場なら根性もクソもないだろう。一秒もいる理由はないのになぜか周囲はそこでも耐えるのが美徳という風潮がある。それで自殺した人は少なくないのになぜその価値観は変らないのか。だが人の価値観は自由。ただもっと選択肢が増える社会になってほしい。
海外では転職や入学は年齢など問わず、理由があるからする文化がある。
日本はまだまだ年功序列文化。それは20年前から指摘されているが変わらないところを見るとこの先も変わらないだろう。私は就職氷河期世代であるがそれも実感できる。その年功序列文化が変わっていればまだ私の環境も違ったかもしれない。おそらくこの文化は私が生きている間は変らないだろう。
ただ、利用側、先ほど述べた病院を選ぶ選択肢は増えた。お店など。それだけでも少しは違う。病院はかなり違う。病院によってはなぜか監獄者扱いされたりする。HSPの私はそれがかなりのストレスとなる。選べるのであれば変えたい。今の歯医者は大変助かっている。感謝。ただ私はどうやら人をぞんざいな扱いをしてくるような脇の甘さというか態度をしてしまうらしい。こいつなら別に配慮しなくてもいい、と。全く違う。
だから今の歯医者も通い始めたばかりなので、気を緩めるわけにはいかない。最初に対応してもらった受付の人のカウンセリングがあまりにも親身だったのでついつい脇を甘くしてしまったと少し後悔した。気を引き締めないと。
こんなレベルの日常でクタクタしている私が社会の荒波で生きれるわけがないのだろうな。
【加筆】
やはり下痢が酷い。そのせいでお尻のカブレも酷い。出血レベル。先日聞いた違う病院への紹介を早めてもらおう。言い方は悪いがまたたらい回しだ。
食後すぐ下す。ヘトヘト。これも幼少の頃から。当たり前過ぎて気にしていかなかったが歳のせいもあるし、医師に指摘されようやく異常だとわかってきた。やはりしんどいものはしんどい。根性で耐えるにも限界がある。周囲の大人たちからは我慢しろと言われてきた。弱音を吐くと情けないと。
検査では異常なし。でも下痢は酷い。情けないがもうこの歳(40代)でオムツが手放せない。勿論医師へ相談しているが検査で異常なしならどうしようもできないのだらう。薬は処方され飲み続けているが効果なし。
俺の人生の旅は一体何なのか。難なのか。