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♪コンテスト参加記事 【I am that I am(我は我なり)】

冒頭におことわり申し上げるところから、始めさせていただきます。
 
不特定多数の方々の腑に落ちる話は、おそらくできないかと思います。
 
高校時代のアルバイトを除き、18歳の春に実社会に泳ぎ出て43年目。
青色申告個人事業主として小さく独立起業から、今年で21年目。
社会人生活の半分を、このスタンスで生きてきたことになる計算です。
 
「趣味が嵩じた結果それ(ら)が仕事になった、ラッキー極まりない、気楽な風来坊」
周囲の人たちの目には、このような奇特な存在だと、どうやら映っているようです。
幾度も面と向かって言葉にされたことも、微笑ましく記憶の片隅に残っています。
 
2023年現在62歳で初孫娘が生き甲斐(笑)と、この点は一般的この上ない男子。
直近の十数年は文章を綴り、五線譜におたまじゃくしを並べて奏でることで、報酬を頂戴するライフスタイルです。
どうにか雨露を凌ぎ空腹を満たせているので、
「これが私の仕事です」
このように言葉にしても、お叱りはないでしょう。
 
雇用いただくことで給料を保障いただけた、いわゆるサラリーマン時代。
若気の至り以外の何物でもなかった、勢いに任せての独立起業経験。
そして年齢その他を鑑みるまでもなく、どうやら現在のスタンスが、我が仕事人生の最終形となるようです。
 
その時々でそれなりに、さまざまな現実を確かめる幸運に恵まれました。
これは終身雇用で勤め上げる働き方では、おそらく叶わなかったであろう、我が人生の財産だと捉えています。
 
 
いきなりの前置きから、肩に力が入ってしまいました。
 
楽器とパソコン(ワープロ機能その他)を相棒に、文章や旋律(楽曲)を買い上げていただくのが、私の仕事。
クリエイターなどと名乗るつもりは欠片もなく、だからと端的に自己紹介できる文言も見当たりません。
 
自分の作品(=仕事)に対し、ダイレクトにお金を落としてくださる人が存在しなければ、稼いで食べて生きていけない現在地。
 
経営者とされるすべての人に共通するこの環境、スリリングかつ素敵です。
 
そんな若い世代からすれば老害リスクが懸念される、古く小さな男の仕事のポリシー、ここから最後までご一読いただければ幸いです。
 
 

第1章・忘れることなかれ! 着手前のマイ・ルール

 
同章はシンプルに結論ファーストに続き、補足を述べさせていただきます。
 
モア・ベターな心身の状態で臨むべく、常に自己節制を念頭に置く。
 
感情を有する生身の人間である以上、常にベストを維持することは不可能でしょう。
だからこそ『モア・ベター=より良い』との表現を、ここでは用いました。
 
独り親方的な個人事業主の私ですから、上司や先輩から叱責や指導が届くことはありません。
拘束時間も社則など守るべきルールも定められておらず、二日酔い状態からの寝過ごしなどを、直接咎めてくれる存在は見当たりません。
もちろんこのような自堕落な姿勢は、いかなる場面でも許容されません。
遅かれ早かれ実社会で居場所を失い、仕事からも見放されてしまうことは、数多(あまた)の事例が語る通りです。
 
ここまで綴ってみて、漠然とした感が否めないようですので、もう少し具体的に。
以下は私と同世代の、正直お付き合いは勘弁願いたかった、とある人物の実話です。
 
 
< 思い当たりませんか? アナタの職域のこんな人物 >
 
それなりの知名度を持つ企業に新卒採用から数十年。
従業員の『権利』というものを過大に誤解釈する一方、従事者としての『責務』が二の次の勤務態度に、拍車がかかっていた彼。
 
面倒な仕事から逃れるべく仮病を語って早退から、その足で飲みに繰り出し、飲み屋で偶然上司と鉢合わせ。
店の人に頼み込んで裏口から逃がしてもらおうと試みるも、悪いことはできません。
 
酒好きに加えて風俗大好き人間、前日の服装のまま、赤ら顔での遅刻出社も茶飯事だったそうです。
自身が所属する会社名を葵の御門と取り違え、
「俺はこの有名会社の正社員だぞ!これでも信用できないのかァ!?」
名刺1枚でいわゆる『ツケ』を強要するなど、出禁の飲食店を積極的に増やし続けていました。
自身を雇ってくれている企業の名前を汚す、名誉棄損愚行に他なりません。
 
多忙な決算期にもかかわらず、当然の権利だと有給を連続取得して、旅行を満喫。
同僚に手土産を買うでもなく、数日後呑気に出社した彼に、ようやく当然の鉄槌が下りました。
 
「聞いてくださいよ……俺のデスクが無かったんですよ……」
 
それまでの横柄な物言いが影を潜めた弱弱しい丁寧語の報告、今も記憶に鮮明です。
 
こうして彼がその企業を離れたことで、接点を持つ必要もなくなり、黙って着信拒否の対応を採らせていただきました。
 
 
労使関係に関する諸々の判断基準は、年々労働者(従業員)庇護の比率が高まっているように思えてなりません。
これはあくまで私個人の印象ですが、みなさんはいかがでしょうか?
 
・お縄を頂戴するレベルの悪事に及ばぬ限り、雇用者側は簡単に自分たちを解雇できない。
 
これが昨今の実社会の現実ですが、それでも物事には限度があった……そんなところでしょう。
 
 
これらを踏まえたうえで、私個人の仕事環境を見直してみましょう。
 
先述の通り、基本自宅ベースで、文章や楽譜を書いています。
もちろん取引先の方々との直接面談や、電話で会話することもあります。
それでも直近の数年は、ほとんどがインターネット(メール)に特化した意思疎通です。
 
さらに私個人のこだわりで、動画中継(リモート会議など)は一切ご遠慮申し上げています。
ネットを用いた画面上のやりとりは、メールの本文と添付ファイル限定です。
(※このスタンスに拘る明確な理由がありますが、ここでは割愛します)
 
お気づきいただけますね?
 
寝起きのボサボサ頭で洗顔もせず、パンツ一丁で缶ビール片手に、
「名作が生まれそうだぞ!?」
最終的に納期を守り、先様がOK判定くだされば、舞台裏がこの調子でも、理屈上は問題ありません。
もっともこうした怠惰な姿勢は不思議なほどに、必ずどこかで滲み出てしまいます。
舐めた姿勢で仕事に臨むと、泣きを見る以上の強烈なしっぺ返しが、必ず届きます。
 
自身を甘やかし続けてしまうと、明日は私が先述の彼かも?
 
自宅で仕事モードにシフトを入れる際、予期せぬ客人を直ぐに出迎えられる身だしなみは、最低限キープしているつもりです。
清書作業など持続的に集中せねばならない、重要な人物との面談予定が控える前日など、飲酒は控えます。
大きな仕事が突然舞い込めば、予定していたプライベートの楽しみは、可能であれば延期です。
 
電話一本で当日欠勤の旨を伝える先もなければ、急遽私の代役を務めてくれる人は存在しません。
 
ナノレベルでも、経済社会に於いては一国一城の主。
その責任が求められる立ち位置である以上、
「少しくらいどうにかしてくれよ!俺にだって有給みたいな権利があって当然だろ!?」
これは戯言以外の何物ではない土俵だと、重々承知しているつもりです。
 
仕事と向き合う際には、まずは心身の姿勢を正し直すところから。
 
この基本中の基本を疎かにしないために、次章の作業もまた不可欠だと捉えています。
 
 

第2章・不言実行!こまめな自問自答

 
これまた申すまでも無く、私自身は名の売れた人物ではありません。
新刊の自書籍の平積み販売や、楽曲がヒットチャートを賑やかすことはありません。
それでもありがたいことに、どうにか日常生活を維持しつつ、こうして拙文を投稿できています。
 
その理由については、お察しいただける通りです。
 
たとえばさまざまな場所で微かに鼓膜に届くBGM、自由に持ち帰られる冊子に掲載された記事、その他あれやこれや……
偶然みなさんが遭遇されたこれらが、私の手に因る作品である可能性もまた、ナノレベルでゼロではありません(責任明言)。
 
人工知能がどれだけ進化を見せようとも、私たち人間の感性が問われる『創作』に対するニーズは、この先も消え去ることはないでしょう。
 
好きが嵩じて、あるいは自らの才覚に賭けて、限られた椅子取り合戦が永続的に行われている土俵。
それは企業の営業担当者同士が、互いにライバル社のシェアを奪い合うせめぎ合いと、根っこは一緒です。
これこそが私が今から未来を生きようとする、経済社会環境であると認識しています。
 
 
だからこそ冷静に立ち位置を入れ換えての、この自問自答が欠かせません。
 
仕事を与えてくださる先様(クライアント)に、自分はどのように映っている?
 
先述の営業担当者に置き換えるならば、身だしなみや立ち振る舞いなどが、その後の展開を大きく左右します。
これすなわち『第一印象』ですが、私の場合、この点をより冷静に見極めておかねばなりません。
 
・年齢 = 自身が1961(昭和36)年生まれである、という現実。
 
続々と若い世代が起業から、各分野で活躍成長を続ける2020年代です。
私に仕事を与えてくださる組織の代表(担当者)あるいは一個人が、自身の子ども世代である場面が少なくありません。
 
自分が20~30代だった頃、自身の親世代(以上)との接し方に、窮してはいなかっただろうか?
 
60歳超となれば、定年退職から隠居世代。
頭が固くて・言うことが時代錯誤かつ難解で説教じみていて・いつも不機嫌そうで……
ましてや一面識もない新規取引先の人物となれば、過剰に身構える以前に、
「できれば接点を持たされること自体、勘弁してほしいな」
相手は若い自分に対して丁寧に対応してくださっていると理解できていても、これが本音であること、経験から察せられています。
 
さらにはインターネットが一般普及する前の昭和という時代に、ビジネスの基本を学ばせていただいた世代です。
昭和 → 平成 → 令和と時代が流れるなか、加速度を増し続けるさまざまな変化(進化)に、十分アジャストできていないこと、重々承知しています。
 
たとえばビジネスレターの書式ひとつを取り上げても、正しい(良し)とされる諸々は、随分と変化を見せているようです。
私(世代)基準で失礼のない文言を届けたつもりが、バッサリと一刀両断されたこと、1度や2度ではありません。
さらには不特定多数の人たちがアクセス可能な掲示板に、人格否定的なコメントが投稿されたことも、これまた複数回。
(※これらは検索いただければ、現在も閲覧できるようです)
 
相手の目を見て言葉にできない文言は文字にしない。
 
これが基本的な礼節と考える私は、怒りや悲しみよりも、心配が勝ってしまいます。
 
匿名性に富んだネット空間でハンドルネームを用いた投稿にせよ、前途あるこの若者(たち)に、この先大きなしっぺ返しが届けられるのでは?
 
精一杯言葉を選び、このような進言に及ばずにはいられません。
 
「いくらなんでも、そちらのこの対応は、とてもビジネスと呼べるものではありませんよ」
まして金銭の流れと責任が伴うやりとりである以上、当事者として苦言ならぬ忠告は当然でしょう。
しかしながらごく一部の若い世代にとっては、火に油を注ぐ結果となってしまい、
「年功序列なる古い価値観を振りかざしたパワハラ(因縁)だ!」
このように解釈できてしまうらしいことも、経験を通じて確かめています。
 
 
ここで次の挿絵画像を、先入観抜きでご覧いただきましょう。
 


Q  :  右側の雲、融通が利かぬ年配男性の横顔に見えませんか?
 
普通にコミュニケーションを取っているつもりが、先様にはこのような人物だと伝わってしまうリスクもまた、無視できないようです。
 
まだまだ『老いた』とは認めたくありませんが、昔の諺が『老いては子に従え』と諭す世代です。
「最近の若いモノはどうたらこうたら云々……」
かつて耳障りが極めて悪かったこの台詞を口にしてしまえば、それこそ老害です。
 
社会人一年生もしくは予備軍の若い世代と同じく、もしくはそれ以上に、常に自身の価値観をリセットから、修正を重ねなければなりません。
 
 
ちなみにこの自努力に関しては、手前味噌ながら、一定の評価を頂戴できているようです。
ありがたいことに常に随分先まで、ご用命いただいた案件(仕事)の締切日が並んでいます。
自身の処理能力を超えるとの理由から、ご辞退申し上げざるを得ないご相談も、届いている状況です。
 
自身の息子娘世代のリピーター各位に支えていただけていること、ただただ感謝です。
 
調子づいて天狗爺さんにならぬためにも、自問自答が欠かせません。
あくまで自身の内側の話ですが、これも仕事と関わる際に妥協してはならない、すなわちポリシーのひとつと踏まえています。
 
 

第3章・私が提供する仕事について

 
自身が綴った他の文中でも、折に触れて文字に(比喩表現)していること。
 
私の仕事は、想像からの創造です。
 
文章や旋律(メロディー)はいずれも、文字や音符を並べることで作成されます。
支離滅裂に羅列しただけでは、意味不明以前に、迷惑かつ邪魔なばかりです。
限られたパターンの組み合わせである以上、偶然酷似してしまうリスクが避けられません。
なにより作り手が自分自身なので、同じ主張や自身の癖を繰り返してしまいがちです。
ましてや先述の通り、無名人の拙作に、付加価値は一切期待できません。
 
料理や製品のように、三次元の形あるものではありません。
読み手や聴き手の価値観や感性との相性の良し悪しが、評価を大きく左右します。
 
Aさんにとって最高の評価の拙作が、Bさんにとってはゴミ箱直行の駄作。
これが私が提供する仕事、すなわち『商品=作品』です。
 
そして自身と責任をもって申し上げられること。
 
拙作の素(=原材料)は自ら正しいと判断した、経験値と知的財産です。
 
稚拙な経験・記憶・ポリシーに加え、必要であれば新たに調べ学ぶスパイスを加えることで、完成品としてお届けしています。
私は空想の中だけで、物語や知識教養を形にする技量は、欠片も持ち合わせていません。
 
当然万人に同意いただける作品は、お約束できません。
「それはどうかな?依頼者(=クライアント)を満足させてこそ、プロの仕事では?」
仰せの通りですが、それでは私の作品すなわち私の仕事でなくても構わないでしょう。
 
文章であれば、想定する読者層に合わせた筆加減など、技術的な対応に努めます。
小学生の課題図書のような小説を依頼され、古文の教科書みたいな世界観を綴れば、
「なにをやっているんだ?話にならないぞ!」
その先は綴るまでもありません。
 
私でなければ作成できない商品のお届けに、全力注入あるのみ。
 
癖の強さから好かれ嫌われが激しい拙作ですが、ここは譲れません。
 
 
そして最後にもうひとつ。
「これだけは頑なに謹んで、お引き受けをご辞退!」
下世話な話、どれだけ好条件を提示いただいても平身低頭でご遠慮する、とある執筆テーマがあります。
 
(例)アナタにだけ特別に教えます!絶対◆◆で成功する◆つの極意!
 
咄嗟に捻り出した架空のこのタイトルで、すべてお察しいただけるかと思います。
 
本当に絶対に成功するなら、私は誰にも教えません。
私はそんなに気前の良すぎる善人ではありません。
こっそり一人勝ちから、大切に思っている限られた相手だけに、
「気になるなら盗み取ってください。訊ねてくださればお伝えしますよ」
なにより責任が持てない以上、この一択です。
 
こういう書籍や記事は、確かに不特定多数の人たちの視線をロックオンする力に富んでいるようです。
今この瞬間もネット上で飛躍的に増え続けていますし、コピペの連続でどれが原版なのか判らない配信も?
 
君子ではありませんが、こうした危うきには近づきません。
このポリシーが、中長期的に自身を守ってくれると判断しています。

 
一番大切なことは、簡単に叩き売ったりしないものです。
いかがでしょうか? 

 


2022年秋にアップした、上記URLの続編もしくは大盛り追記となった同記事、最後までご一読いただき、ありがとうございます。
(※こちらのご確認いただけると、より伝わるかと?)
 
#仕事のポリシー
 
今回このテーマと遭遇したことで、あらためて自問自答の機会に恵まれたと、素直に感謝しています。
 
対外的には『自営業』『(青色申告)個人事業主』に属し、所轄税務署もそのように認識くださっています。
しかしながら言葉は乱暴不適切ですが、社会的信用度については、
 
プ◆タロー(=プー◆ロー)
 
この現実も冷静に理解できているつもりです。
 
最期の時がいつ訪れるかわからない晩年を、優雅に左団扇で過ごせる人間ではありません。
年齢・健康状態その他から、今後新たな雇用契約は期待できません。
仕事を続けなければ路頭に迷い、周囲の方々にご迷惑が避けられません。
引き続き分相応で凛と生き続けるべく、自身で定めたポリシーに沿った仕事に、今後も邁進する所存です。
 
I am that I am(我は我なり) 
法に触れず、意図的に他人さまを傷つけず、すべて自己責任で自分らしく。
 
仕事に限らず、シンプルで無理の無い、私の根っことなるポリシーです。
 

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(※本文総文字実数=6790)

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