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思想・哲学・宗教・人物(My favorite notes)

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思想・哲学・宗教など心や意識をテーマにしたお気に入り記事をまとめています。スキさせて頂いただけでは物足りない、感銘を受けた記事、とても為になった記事、何度も読み返したいような記事…
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2022年7月の記事一覧

ツォンカパ大師の菩提道次第略論 意訳

ツォンカパ大師はチベット仏教ゲルク派の開祖でその教えは素晴らしく、その著作は優れた方々が訳されています。 ここではツォンカパ大師の「菩提道次第」の3部作ある中で1番短く普段の祈願として使えるものを意訳しました。 「諸悪莫作衆善奉行」 写真はラマからラマへと代々伝わる、ツォンカパ大師の聖遺物であるお袈裟の一部を譲り受けたものです。ご覧になられた方々に大師様のお加持があります様にと祈願致します。 「菩提道次第 経験からの詩」 (自他を過去・現在・未来と三世に渡り大事にする

ターラナータ尊者の「自空・他空の分別」その1

ご無沙汰しておりました、久しぶりの投稿になります。ジョナン派のターラナータ尊者が、サキャ派のラマのチャンバ・ガワン師より、自空と他空の違いをはっきりと簡単に書いて欲しいと言われ著したのが今作で、カカ・タクテン・ラブランから1999年に小冊子として出版されたものを何回かに分けて私訳しようと思います。よろしくお願い致します。 またジョナン派に関しては、 International Jonang Wellbeing Association などHPもございます。英語かチベット語に

遅かれ早かれ死は訪れる。人生に意味は必要か?

https://aeon.co/ideas/sooner-or-later-we-all-face-death-will-a-sense-of-meaning-help-us originally written by Warren Ward 「こんだけ医療技術は進歩したっていうのに」友人のジェイソンがよく口にしていた皮肉なのだが「死亡率は一向に下がらない。一人につき一回なんだ」 1980年代、私とジェイソンは共に医学を専攻していた。同学科に所属する同期と一緒に、在学し

ニルヴァーナ(涅槃)とは何なのか❓ 『ブッダが説いた幸せな生き方』⑦

前回は『ブッダが説いた幸せな生き方』(岩波新書)を読みながら、苦しみの根源的な要因といえる「三毒」について述べました。 今回はいわゆる涅槃、「ニルヴァーナ」についてです。 20代や30代の頃の私自身もそうでしたが、普段から仏教や瞑想に馴染みがなければ、「ニルヴァーナ」(パーリ語でニッバーナ、漢訳で涅槃)と聞くと、日常の外に存在する、どこか非現実的で高尚な世界観のような印象を受けます。 しかし今枝由郎氏の『ブッダが説いた幸せな生き方』を読んでみると、決してそうではないこと

苦しみの根源的な要因「三毒」とは❓ 『ブッダが説いた幸せな生き方』⑥

前回は『ブッダが説いた幸せな生き方』(岩波新書)を読みながら「無常」と「無我」の関係を取り上げましたが、今回は苦しみの根源的な要因といえる「三毒」についてです。 この本の著者である今枝由郎氏は、人間は全てのものが虚仮(こけ)であるという本質を知らずにそれを誤って実体と見なす、ことに、 と述べています。 ちなみに貪瞋癡(とんじんち)というこの「三毒」については、以前にもnoteで取り上げたことがあります。 今枝氏は、「三毒」とは、 であるとしてますが、 と説明してい

<無常>と「無我」の関係とは❓ 『ブッダが説いた幸せな生き方』⑤

前回は『ブッダが説いた幸せな生き方』(岩波新書)を読みながら「無常」を取り上げましたが、 この「無常」について考えると、どうしても「無我」というものについても言及せざるを得ません。 著者の今枝由郎氏は、 「この無常というものごとの本質は、当然のこととして「私」「我」という概念にも当てはまります」 と述べていますが、一体どういうことでしょうか❓ この「無我」については以前に詳しく述べたことがありましたが、 「無我」というと、どうしても瞑想や座禅の最中に「我」や「自我

<無常>は「すべてのものごとは移ろい変わる」という真理。 『ブッダが説いた幸せな生き方』④

『ブッダが説いた幸せな生き方』(岩波新書)を読んでいます。 前回取り上げた「縁起」から「必然的に導かれる」のは「無常」です。 「無常」というと、この世のあらゆることは最後は終わってしまって「はかない」、それゆえに「かなしい」「むなしい」と思ってしまいがちですが、ブッダのいう「無常」とは、けっして感傷的なものではありません。 「無常」については以前に解説したことがありましたが、 『ブッダが説いた幸せな生き方』のなかで、著者の今枝由郎氏は、 と述べています。 また今枝

ブッダが目覚めた「縁起」とは何か? 『ブッダが説いた幸せな生き方』③

前回の記事では、『ブッダが説いた幸せな生き方』(岩波新書)のなかで、著者の今枝由郎氏が、 「(一)条件付けられた生起(縁起)としての苦しみ」 「(二)ものごとの移ろい(無常)による苦しみ」 は、「苦しみの両面と見なしたほうがいい」と指摘しており、その点は、「ドゥッカ」(苦)の本質を考えるうえで非常に重要であると述べました。 では、「条件付けられた生起(縁起)」とは何でしょうか? 「縁起」については以前にも述べましたが、 今枝氏は、「ブッダが「目覚めた」のは縁起の法則

苦しみの消滅は、「幸せに至る道を見出すためのブッダの手順」。 『ブッダが説いた幸せな生き方』②

ブッダが目指すのは苦しみの消滅です。 前回、『ブッダが説いた幸せな生き方』は、お釈迦様の教えが簡潔にまとまっている良書であることをお伝えしましたが、 著者の今枝由郎氏は、『ブッダが説いた幸せな生き方』のなかで哲学者のニーチェがブッダを高く評価していたことに言及しつつ、ブッダの「苦しみに対する戦い」について、 の「四聖諦」を取り上げています。 この「四聖諦」については以前noteでも述べたことがありましたが、 今枝氏は、「四聖諦」とは、「言い換えれば四つの真理から構成