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人には人の地獄があるってだけだよね


ご縁があって習い事を
させていただいていた。
先生とは10年来のお付き合いで
私は数ある生徒のうちの一人とはいえ
立ち上げ初期の一員として
心から尊敬するお方。

三十路も超えて始められる
魅力的な習い事は少ない。

いまはもう時代は変わったことを
百も承知の上で
10年以上ぶりに
「習わせてください」と
直談判して入れて頂いた。

先生の反応は正直言って
よくなかったし、
私のような出戻りは
特に必要ないだろう、
そんなことは、
百も千も承知してた。
でも、私にも事情があって
とにかく精神的にも肉体的にも
いま、自分自身が没頭できる
「何か」に縋っていないと
とても正気でいられない状況で。

このキラキラした
「私だけの時間」
「自分と目の前のことに集中していい」
「他のなにも考えずにいい」
「物理的に家の中から外へ出て怒られない」
「許可された保証された自由時間」
に、どれだけ救われたかわからない。

空が暗くなったあと、
自由にひとりで身軽に外出する
子育て中の親は基本的にいない。
夜「こどもを置いて」いくことになるから。
夜「外出する」ことが「不可能」になる。
夜「外出する」ことが「社会的に悪」になる。

それまであたりまえに出来ていたはずの
日々の息抜きや楽しみは、
わからないひとにはそれとわからないほど
見えにくく、ゆっくりと真綿で埋めるように
「不可能」になり「許可制」になり
「世間から攻撃されるような非行」になる。


習い事に車でむかうとき
最初の1週間ほど私は車内で号泣した。
うれしくて。
ひとりで車に乗っていることが。
夜の冷たくて広い風が。
しずかな車内の静寂が。
なんの曲をかけてもよくて、
自分のために車で曲を選ぶのさえ
久しぶりすぎてマゴマゴした。

ひとりで夜風の空の下にいる。
それは実にわたしにとって
ほぼ5年ぶりのことだったのだから。

習い事では、できるだけ
現役の方たちのお邪魔にならないよう
でも全体のクオリティは自分のせいで
激しく落とす事の絶対にないように
気をつけて精一杯努力した。
限界はある。
年齢に加え記憶力、
自宅で自主練も焦る気持ちとはウラハラに
すがすがしいほどに「時間がない」。
というか「自分のためにつかう時間がない」。
ぐずる子どもたちを寝かせて
なんとか寝室を抜け出し、
音楽も鳴らせない隣の小部屋で
何度も何度も、撮らせてもらっていた
動画を見て、練習して練習して練習した。
それでも、仕事と食事以外ぜーんぶ
練習時間に当てていられた昔に比べたら
笑えるほど少ないから
自分でも「できてる」レベルには
全く及んでないとは自覚していた。
それでも喰らいつくしかなかった。
よくわからない出戻りが、
参加してるがパッとしないし、
何しにきてるかよくわからない人物
だっただろうなと思う。


そんなことより、わたしがエグられたのは
「先生」だった。

毎日わたしに「もう○時か!帰って!」
わたしにだけ、その声かけがあった。
子どもを気遣って下さってのこと。
ありがたいことと思うべきことだった。

先生はお子さんがいらっしゃらない。

私は1人目には3年半、2人目に5年という
不妊期間を悶絶しながら過ごしたけど、
先生は持病があって、子を持つことは
自分の命とひきかえに諦めなくては
ならなかった。昔飲み会で聞いた。
そのせいでとは言わなかったけれど
先生は離婚も経験されている。
可愛いワンコを2匹飼っていて
昔はたまに連れてきてくれた。
これがわたしの子ども〜!!と
元気にカラッと笑う素敵な方だ。
先生はいつでも明るい。

ついその明るさに霞んで見えにくいが
私の時代でさえ私は希望する状況を
何年も何年も叶えられず
ただ時が過ぎる中相当辛かったのだから
子を希望する先生本人が授かれないうえで
そのことに対する周囲の意識や言葉が
どれほどいまに比べて無神経で攻撃的だったか
先生たちの時代を想像するだけで
筆舌尽くし難い現実がそこにあっただろう。

先生は今や何百人もの生徒さんを
送り出しておられて、
みーんなわたしの子ども!
と元気におっしゃってくださる。
そんな先生が大好きだ。


そんな先生が、
その先生の愛情深さから、
「下の子まだ小さいんでしょう?
私なら置いてこれない」
と言葉をこぼされたのも
お立場に寄り添って思えばすごく理解できる。

わたしは、
1週間にたった一度2時間だけ
「自分」を取り戻すために
この場所にきている。

1週間のその他の時間は166時間ある。
それはすべて子どもたちのための時間だ。
何度夜中に夜泣きしようが抱っこするし、
何度トイレに起こされようが連れて行く、
毎日起こして食べさせて、
片付けて身支度整えて歯磨きして
毎日がただ過ぎている。

何度かチクリチクリと、
子どもが可愛いのか確認されたり、
レッスンの終わり時間が近いと
帰ってと強く言われた。
(いまごろもう家人が寝かせて寝静まっています。急いで帰ることに意味は薄く、習い事の足手纏いになりたくないので他の生徒さんがまだ残っているうちは同じ時間残らせてください…)
なかなか口にする勇気もない。

わかる気がするから。

わからないけど、わかる気がするから。

子供をひとりも授かれない自分と
向き合う時間は凍えるほど長くて
わたしにあれ以上の期間耐えられる
自信は全くないから。
どんなものか想像するだけだけど、
でも、自分の経験から慮るに
私の想像を絶する修羅の道だと思う。

だから言えなかった。

純粋な愛情からの言葉だと知ってる。

かたや私の地獄がある。
実家の母と折り合いが悪く
年老いた父は偏屈で煙草もやめず
子供を悪影響から守りつつ
家事と料理当番を介護のように引き受けて
それでも父母から嫌味の攻撃を受けながら
なんとか生活していた私にとって
この習い事で人生のバランスをなんとか
整えていないと発狂してしまいそうな
精神バランスだった。

先生の習い事に、命を救われている。
このためなら、いくら嫌味いわれても
いくら辛くても耐えられる。
救われている。
この習い事の時間
折り合いが悪い両親に子供を預けるかわり
レッスン代の5倍を両親に支払って
機嫌良くみてもらっている、
このお金を払うのになんの痛みもない、
むしろ払いたい、
習い事にいけるなら、
それくらい先生の習い事に救われてる。

こんなことも、
長い時間かけてつくづくと伝えて
語って語って語ったとしても
きっと分かり合えない。

きっと先生はこういうだろう
「でも親がいるというのはありがたいこと」
「子供がいるってしあわせなことでしょう」
と。

分かり合えない。
1年話し合ったとしても、
2年話し合ったとしても、

「親」という役割から
離れる瞬間がほしい

という、わたしの主張は
先生にとっては「悪」でしかないだろう。


そうだろうと思う。

先生は悪くない。

きっと私も悪くない。

やってきたことと、
知る由もなく想像もできない世界が
それぞれに別にあるだけ。

その人にはその人にしかわからない
それぞれ違う地獄がある。
その地獄をみんな黙ってしずかに
抱えて笑っている。ただそれだけ。

だから、ぜんぜん恨みの気持ちとか
何もない。
私は、習い事をやめた。
実家の問題を取りはらう準備をして。
ついに別居に踏み切った。
そのすぐあとに、習い事をやめた。

時間がたっても、きっともう
戻ることはないだろう。


昔は、
「子供産んでもまたきて!いくつになっても習えばいいじゃない!自由に!」と言ってくださっていた快活でオープンな先生が大好きだった。
いまは、時代もかわり、見込みのある若い人たちを、昔では考えられない高みのレベルへ導いていくとともに、団体を存続可能な形に世代交代していくことに尽力なさっているのだろう。
いくつになっても、
どんな歳になっても、
挑戦したい人が思い切りできるレベルで本気で教えてもらえる。
そのための「大人コース」があればなぁ。

三十路、四十路、五十路でもいい
かっっこいい大人コースがあればなぁ。
仲間、増えないかな?の下心で通っていたが
その夢はもう先生の中にないことだけが
一年ほど通ってつくづくと見えたので
自分の家庭ゴタゴタを片付けて
習い事から去った。

四十路、五十路の
凄み、カッコいいかんじ、
夏木マリみたいな。。
そういう私の個人的な
妄想コースを実現してくれるほど
現実は甘くない。

けど、
先生

いつか

先生は眉をひそめるかもしれないけど

「母親 であろうとも
「子どもから離れて」
同時にほかのこともいまの時代の
10倍も100倍も1000倍も
楽しめる女性が今の時代より
増えることになったら、
私は正直うれしい。
歳取ったらすぐ諦めるんじゃなくて
子ができたらすぐ辞めるんじゃなくて
習いに習って通いに通って
子どもの習い事だけじゃない
大人も
そんな背中を子供にみせまくる
子供にエンジョイする姿を。
子育て中の母親が
子供から離れるだけで
非難されることじゃなくなる
罪悪感も悪でもない、
そんな世界線。

そんな世界になればいいなぁ
って私思ってるよ。

そのときがきたら、
先生に言いたい。

『わたし、あのとき
先取りしてたでしょ?笑』

そして先生に笑って言ってほしい
『時代がアンタに追いついてなかったね』
って。

そのときは、また。

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