見出し画像

テレグラフにいた #48

# 48
 あの時、こうしていれば。
 あの時、ああしていなければ。
 今はもっとマシだったのかもしれない。
 それとも結局、何も変わらないままだっただろうか? 僕がアメリカにいようが、日本にいようが、そんなことお構い無しに世界は進んでいく。
 いつかはもっと有益なことを話せるようになるのだろうか? いつかはもっと写実的に語ることができるのだろうか? そして、いつかは語り終えることができるのだろうか? このどうしようもなく無価値で、どうしようもなく愛おしい僕の物語を。
 僕は知りたいし、知りたくない。誰かの考えや仕草、思い出、主張、その意味なんて。僕は知りたいし、知りたくない。失ったものは何か、これから失って行くものは何か、そんな馬鹿げた、非生産的なことなんて。
 数年後、彼女は完全に消えた。死んでしまったのかもしれないし、どこかで案外楽しくやっているのかもしれない。ラジオをいくら回しても、もう歌は聞こえない。僕は思う。彼女がもし百歳まで生きたとしたら、二十二年間は笑っていてほしいと。一日にしたら三百十七分間だ。五時間と少し。もしかしたら、それはとても難しいことなのかもしれない。

 白い紙の上で映写機を回す。
 どこにもない海を探して。
 そっちはどう? と君は尋ねる。
 いつだって僕は問いかけに窮する。

(続く)

二千二十年四月十一日。
少し長い小説を公開します。
これから毎日更新して、多分五月が終わる頃に終わります。

この記事が参加している募集

君は友の、澄み切った空気であり、孤独であり、パンであり、薬であるか。みずからを縛る鎖を解くことができなくても、友を解き放つことができる者は少なくない