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大坂なおみ選手"depression"の和訳から考えるメンタルヘルスを語ることの繊細さ

テニスの大坂なおみ選手が、5月27日に全仏オープンでの会見拒否をツイッターで表明し話題になった。5月30日の1回戦勝利後、コート上で行われたインタビューやテレビ局の取材に応じたあと、表明通り記者会見には出席しなかった。これに対して大会の主催者から1万5千ドル(約165万円)の罰金が科されたあとの5月31日(日本時間6月1日深夜)、大坂選手はツイッターを更新し、全仏オープンを棄権することと、2018年からうつ("depression")に苦しんでいたことに言及した。

私は6月1日朝にネットのニュースを見てまずその概要を知り、NHKの夜7時のニュースで改めてコメントの詳細を見ていた。すると、NHKのニュースでは「うつ」という言葉は登場せず、「気持ちの落ち込み」のような表現が使われていた。あれ、と思ったので大坂選手のツイッターを見ると、該当する部分は英語で"depression"と書かれていたことが分かった。

多くのメディアがこの大坂選手のコメントの全文日本語訳を掲載している。原文の"(The truth is that) I have suffered long bouts of depression"の部分は、「長い間うつ病に苦しんでいて」(朝日新聞デジタル)、「長い間うつに苦しんでおり」(毎日新聞)、「うつの症状に苦しめられており」(読売新聞オンライン)など、多くの主要なメディアが「うつ」という日本語をあてている。

テレビのニュースでは聞き流してしまったのかと思い、NHKニュースウェブに掲載されていた全文訳を参照すると、その箇所はやはり「長い間、気分が落ち込むことがあって」と翻訳されていた。こうなると、NHKが意図的に「うつ」という言葉を使用していない可能性が考えられる。放送上の規定などがあるのかもしれないが、その違いはかなり気になった。

このことから考えたことが2つある。1つは、誰かの健康状態を断定することの難しさである。特に精神的なものであれば尚更だと思う。確かに"depression"を英和辞書で引くと、1番上には「意気消沈、(気分の)ふさぎ、憂鬱」という、日常的な感情のひとつとしての意味に寄った言葉が載っているから、「気分の落ち込み」が訳として間違いなわけではない。彼女はうつ病だ、という報道をするにはかなり慎重にならなければならないのは確かで、複数の意味に読み取れる文章からより重たいほうを断定して報道するリスク、影響力というのを考える必要は多分にある。

しかしその一方で、メンタルヘルスについての語りを矮小化してしまうことにも同じくらい慎重にならなければならない。それが考えたことの2つめである。私はネイティブの英語話者ではないので、実際大坂選手のこのコメントが日本語のどの状態にあたるのか、判断することはできない。しかし、英語で"depression"について語られるとき、まさに今回のようなことが常に問題になっていることは、発信する側が敏感にならなければいけないのではないか。

さまざまな分野のアイデア共有の組織、プレゼンテーションで知られるTEDでは『What is depression?』というタイトルの動画が公開されていて、その冒頭で次のような説明がされている。

One major source of confusion is the difference between having depression and just feeling depressed
(うつ病の理解が難しい)混乱の大きな原因のひとつは、うつ病を患っていることただ落ち込んでいることの違いです。

気分が落ち込んでいる状態にもうつ病にも"depression"という表現が使われること、その違いを明確にさせるのが難しいことが、この説明から窺える。このあとには、日常的な気分の落ち込みが、原因となっている状況を変えれば解消されるのに対して、うつ病はなくそうと思って遠ざけられるものではない、という具体的な違いが語られる。「うつ病」を「気分の落ち込み」とすり替えることは、その当事者が本当に苦しんでいることを軽視してしまうことにつながり、結果としてその当事者は適切なサポートを受けられなくなる。

これはただ「英語をどう解釈するか」という問題ではなく、メンタルヘルスについての語りがいかに繊細であるかの問題だと思う。大坂選手はコメントの中で"I would never trivialize mental health or use the term lightly"、「私は決してメンタルヘルスを軽視したり、この言葉を軽い意味で使ったりしない」と特に強調している。それは、メンタルヘルスについての発露の伝わりにくさを考慮してのことだと思う。誰かが精神的な不調、内面のことについて打ち明けたときは、その行為の意味や重さについて、聞く側の先入観に当てはめることなく耳を傾けることが大切なのではないか。

もちろん、メディアはカウンセラーでも精神科医でもないから、最終的に適切なサポートへとつなげる役割は負っていない。しかし、メディアは多くの当事者の目に触れるだろうし、そこでの取り扱われ方というのは彼らにとって痛みにも希望にもなりうる。問題の繊細さを、発信する側もそれを受け取る側も常に意識して、苦しみをより苦しくさせないような言動が必要だと考えている。


【2021.6.12追記】
1週間この話題を追って感じたことを書きました。


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