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90年代の吉祥寺の名店をめちゃくちゃ個人的に振り返る

1983年に吉祥寺で生まれ、1999年に川崎市に引っ越すまで10代の多感な時期を吉祥寺で過ごしました。超コギャル世代でみんなが渋谷で遊ぶ中、私は毎日学校帰りに吉祥寺でしこたま遊んでいました(時々新宿や中野)。吉祥寺は今でこそ住みたい街・人気の街ナンバー1の名をとどろかせていますが、私が青春を過ごした1990年代はまだそこまでではなかったし、チェーン店も今ほどは多くなくてクセの強いお店が多い街でした。この街で栄養分のように吸収したカルチャー・サブカルチャーの影響がなければ、今の私も、私が主宰する出版社アプレミディもないといっても過言ではありません。
そこで、今はなき吉祥寺の名店(?)を、極私的なエピソードとともに振り返りたいと思います。

1,カナリヤ


サンロードの入り口すぐのところに昔、「カナリヤ」というおもちゃ屋がありました。いわゆる町のおもちゃ屋さん。入口では1日中、動く人形がタンバリンと笛で337拍子を繰り出していてまあまあうるさかった。小学生低学年の頃ここで誕生日にここでゴマちゃん(少年アシベ)とギョピちゃん(きんぎょ注意報)のぬいぐるみを買ってもらい喜んでいた無邪気な子供でしたが、そのすぐ2,3年後には店先にあったファイナルファンタジー6のカードダスにドはまりし、親に金の無心をするようになりました(もちろんお金ははくれなかった)。そしてオタク、サブカル少女へと成長していきます。

2、ロンロン

現アトレ。昔はロンロンという駅ビルでした。テナントがちょっと違うくらいで、正直今とあんまり大きくは変わっていないのですが、ついつい今でも「ロンロン」と呼んでしまいます。

例)
私「少し早く着いたからロンロンの2階にいるね」
友達「えっ」

3、ハモニカ横丁にあった怪しげな熱帯魚屋

今や吉祥寺の人気飲みスポットハモニカ横丁。おしゃれでレトロな飲み屋がたくさんありますが、昔はうらびれた細道で、不思議なお店がたくさんありました。熱帯魚屋もそのひとつ。決しておしゃれでもきれいでもない店内。

ここで買ったミシシッピ・アカミミガメの1匹が数年後のある冬の日、自宅の庭に置いていた水槽から逃げてしまいました。水槽を無防備に外に置いておくなと言われそうですが、90年代の社会全体の動物愛護意識の低さゆえ、ということでお許しください。亀が逃げた胸の傷が癒えてきたある春の暖かい日、ふと庭の水槽(残り2匹は健在)に目をやったら、1匹増えているじゃありませんか。なんと戻ってきたのです。「冬の間は庭の土の中で冬眠をしていたんだろう」。父がのんきにつぶやいていました。

4、ユザワヤ

上手く説明できないのですが、ロンロン(現アトレ)とは異なるどでかい駅ビルがあり、丸ごと一棟ユザワヤでした。ユザワヤは蒲田に本店がある、布などの手芸品や文房具、画材が大集結しているお店です。アニメとゲームオタクだった小中学生の頃、学校帰りにユザワヤでスクリーントーンやドクターマーチンのカラーインクを買い集めていました。(ちなみに大学のときにおしゃれな友達が「ドクターマーチンの~」と話していたので「私は肌色を作るときはバーミリオンとレモンイエローを混ぜて使っていたよ!」という話をしたら、靴の話だったのできまずくなりました。)

ちなみにこの「ユザワヤ」ができる前、このビルは超巨大な廃墟でした。今の吉祥寺からすると信じられませんが、本当にすごい廃墟で、幽霊が出るという噂もありました。

5、リバティ

レンタルビデオショップ全盛期。当時の吉祥寺には「ドラマ」「リバティ」「Rビデオ」というレンタル屋がありました。リバティは、サンロードのドン突き、五日市街道沿いにあった比較的広めのレンタル屋でした。ここでとにかく映画を借りまくっていて、棚の右から順番に、という勢いで映画を見まくっていました。私は96~98年頃中学生だったのですが、ちょうどタイタニックとかやっていて世の中は「レオ様派」「ブラピ派」という派閥があったのですが、私は一人で「ジャンレノ派」を名乗っていました。ちなみにフランス映画を好きになったのもジャンレノがフランス人だというのがきっかけでした。それきっかけでフランス語の勉強を始めて、自分の会社名にフランス語をつけてしまう今につながっている感じです。

本当に個人的な思い出話ですみません。
ふと吉祥寺のことを思い出したので書いてみました。

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