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手取り激低アラサー派遣社員がひとり暮らしを始めた理由

アラサーで派遣社員の私の手取りは、きっとあなたが思っているよりもうんと低い。

「それなら正社員で働いたらよくない!?」

って思いますよね。でもね、私は今過去のいろんな経験から心地いい省エネな生き方を模索しているため、週休3日制を導入中。そして、フリーランスを目指そうとも思い、副業でライターを始めた。

だからあえてこの働き方を選択しているし、月収が低いので実家にお世話になっていた。

でも、いろいろあってひとり暮らしを始めることにした。

ある日、友人と話をしたとき「実家を出た方が、もしかしたら心地いい生活が得られるかもしれない」とアドバイスを受けた。彼女は私の幼馴染で、私の骨の髄まで知り尽くしている。その友人がバッサリと言ってきたので一気に火がついてしまい、翌週には部屋を決めていた。

しかしあろうことか、部屋を決めたあとに自分のリアルな手取り額と、もしかしたら貯金を切り崩さないと生活ができないかもと気づいた。「肝を冷やす」とはこういうことだ。でも後戻りできなかったし、したくなかった。

(ここら辺のお話については過去にnoteを書いたので、よければ最後にリンクを貼っておくので読んでください。)

ではなぜ、実家に居た方が経済的には快適なのに、ひとり暮らしを始めようと思ったのか。今日はその理由を赤裸々に書きたいと思う。


この歳で自分で選択できないなんて…

もしかしたら、多くの女性が思ったことがあるかもしれない。私は「リアル過保護のカホコ」なんじゃないかと。私はそう思うことが多々、たたたたあった。

そんな私は28歳で反抗期を迎えた

遅すぎる(笑)。

それまでは親に対して腹が立つことがあっても、玄関にある親の靴のかかとを踏んだり、外にある自転車を蹴ったりするぐらいでしか抵抗してこなかった。

しかし突然、反抗期を迎えた。それは自分で自分の選択ができないことに気づきはじめたことがきっかけだった。

たとえば「皮膚科に行きたいけど、AとBのどっちの病院に行こうか」という些細なことさえも決められなかった。「これってやばくない?」と気づきはじめたのが20代後半。遅い…(笑)。

いつも私は何かを選択するときに「こうしたらきっとこう言われる」「この選択をした方がいいんだろうな」と、自分の意見じゃない何かが頭をよぎっていた。

そのせいか、失敗を恐れるようになったり、自分の選択に後悔ばかりするようにもなったように思う。生きづらさを感じる要因の一つもこれかな……と。

そして、選択すること以外の些細なことでも、親を頼ってしまっている自分に気づき、どんどん自分を情けく感じるようになった。

辛い時期を支えてもらって、弱い自分もことごとく見せてきたから…

そんな私は社会人になった当初は、数年後にはひとり暮らしを始めようとしていた。しかし、働きだしたらすぐにそんなことを考える余裕がなくなった。心身ともにまったく余力がなくなっていた当時は、本当に支えられていたと思う。感謝しかない。

けれど、自分の弱い部分を大いに見せてしまったせいで、余計に心配をかけるようになってしまった。

私の身体はポンコツを発揮するようになり、今でも「生きてるだけで地獄か?」と思うくらいに身体がだる重すぎるターンがやってくる。外では何とかやってるけれど、家に帰ってまでピンピンできない。

その姿を大いに、そしてことごとく見せてしまってきたせいで、親が私が何かをする前に余計にストップをかけるようになってきた。実際そうじゃなかったかもしれないけど、私が「本当はこれがしたいけど、心配はかけられない」と思って自制することも増えた。

そのせいで、気持ちがぐちゃぐちゃになってきてしまった。 

そして、私は反抗期を炸裂させる約半年前から本当はワーホリでカナダに渡る予定だった。でも、渡航3週間前に渡航先であったカナダの国境が閉鎖し、延期となってしまった。

いつ行けるようになるかわからないモヤモヤが募っていったこと、また、「期間が延びたから身体をもっと元気にさせるぞ!」と気合を入れていたのに、まったく変わらなかったことで日々焦ってきていのだろう。

ぐちゃぐちゃだった気持ちがドロドロした物体に変わってしまった。

ある一言でスイッチが

そんなときに言われた言葉があった。

「あなたは○○をしたら××になってしまう。私はわかっている。だからやめなさい」

言わせるようになってしまったのは自分だ。だから余計に辛くなる。でも爆発してしまった。今まで靴を踏むか、外にある自転車を思いきり蹴ることしかできなかった私が初めて言った。

何かを決めるときには「こう言われるかな」といつも頭によぎる。でもそうさせてしまったのは自分だとわかっている。

だから辛い。

自分のことが余計に嫌いになるし、自分の現実を突きつけられているような気持ちになる。

そして今、私はここを出て1人で生きていける状態じゃないから、弱みを握られているような感覚になっている。
居させてもらっているんだから「言いたいことを言ってしまってはいけない」と思い、余計苦しくなる。

そこからは、もう何も言われなくなった。

そして、私は気持ちを爆発させた1年後に、ついにカナダに渡航したので、物理的な距離もできた。

(いろんな事情から実家に居させてもらうような状態だったのに、カナダに行ったことが気になる方もいるかもしれませんが、それは今回は割愛。)

海外に行っても大いに心配はかけたけど、自分で選択する練習がたくさんできた。もう今は、何かが頭をよぎることはずいぶん減っている。

伝えられた今、あとは自分の問題

日本に帰国してから実家にいて1年経過。正社員でないことにもフリーランスライターを目指していることにも、そして以前からではあるが、実家にいることにも何も言われていない。

「私が元気になってくれたらいい」

そんな気持ちで向き合ってくれているのが伝わる。とてもありがたい。

でもやっぱりその心遣いが辛く感じるときがある。これはもう、人を頼るのが苦手な私の性格のせいだ。

カナダに行って、私は自分の弱い部分を受け入れられたような気になっていたけど、まだまだみたいだ。この歳になってもいろんな理由から親に頼ってる自分は許せないのだろう。

身体がまだポンコツになるから○○するのが怖いし、きっとできない。しない方がいい。

そんな凝り固まった考えが私のなかに根づいてしまっているから、実はいろいろ諦めてたり、制限をかけてしまっていることが多い。

ひとり暮らしもその1つに入っていた。

でももし、まだポンコツで手取りが低くても、自分で生計を立てられたら自信が持てるかもしれない。

そう思ったから家を出ることにした。

友達の一言から衝動的に動き出した計画だったけど、わりかしちゃんと理由はある。

どうなるか、不安でしかない。けどやってみる。自分でやっていくことで得られることがあるかもしれないから。

▼こちら、ひとり暮らしに至るまでのことを書いたnoteです。


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