アラサーで遅めのインターンを経験して生きやすくなった話
自分の職歴がこんなに真っ黒になるとは思わなかった。
黒くなったのはコロナのせい。でもその期間のおかげで、私はアラサーで遅めのインターンを経験することができた。
大学時代、兄から何度も言われていた言葉、「ほんまに先生でいいんか?もっといろんな経験した方がええんちゃう?」。
その意味がアサラーを迎えたときにやっとわかった。
私のファーストキャリアは幼稚園教諭。小さい頃からの夢で、その夢に向かってまっしぐらだった。
教育学部に入学したため、まわりも当たり前に教員を目指す人ばかり。そして私の父も教員だったので、一般企業への就職という発想は当時まったく浮かばなかった。
必死に勉強して、試験に合格して公立の幼稚園の先生になれた。小さい頃から夢だったし、必死で努力して勝ち取った公立幼稚園の先生だったけど、いろいろあって、もう身が持たないと思って辞めることになった。
そして次の仕事、これも役所関係だった。試験を受けて非常勤としての採用。このときも一般企業で働く発想が生まれなかった。役所関係の仕事に就くのは自然な流れだった。
そのあと、その仕事を辞めてワーキングホリデーに行こうとした。帰国したらまた役所の試験を受けて公務員になろうと考えながら準備をしていた。
しかしコロナの影響で、予定の3週間前に出国できなくなった。そこから始まったのが、派遣社員としてのキャリアだ。
私は国境が開いたらすぐさま渡航したいと考えていたので、期限付きの仕事に絞って仕事をした。そのためいろんな職を転々することになり、期せずして私の職歴がめちゃくちゃ増えてしまったのだ。
だから今、私の職歴を何の説明もなく見た人は、仕事が続かない要注意人物と思うかもしれない。けど理由はあるので、それを一言付け加えるようにしている。どこまで信じてもらえるかは不明だけど。
普通の人から見たらマイナスに見えるその期間。でも、私にとっては仕事の価値観を変えてくれる、とても大事なものになったのだ。
私はこれを「アラサー、遅めのインターン」と呼んでいる。
教員時代はほぼノーメイクで、服にも気を使わずに自転車で出勤。しかし職種を変えたことで、毎朝化粧をして好きな服を着て、電車で出勤するようになった。
これがとてもワクワクしたのだ。こっちの方が自分に合っていると知った。(ただ、今は通勤ラッシュの殺伐とした感じが嫌いになっている。笑)
またいろんな業界や業種があることを知った。私が経験したのは工場のライン作業や専門学校の事務、教育関連の出版社や市営住宅関連の仕事など。こんな細部にも人が関わり、世の中は成り立っているんだ…と驚いた。
身体を壊してたのに、教職に固執していた自分がバカだったなと思ったし、生きていく方法はいくらでもあることを知れて、心が軽くなった。
そして私は子どもより大人と仕事をする方が楽だった。子どもが好きで教員になりたかったのに…。これはまさか過ぎた。
ほかにも「えっ、1時間ちゃんと休憩がある…」「時間キッチリで帰っていいの?」「仕事が終わったら、何も考えなくてもいいの?」「休日がちゃんと休日や…」と思える仕事があるとこに驚いた。
こんな条件の仕事でも食べていけるのなら、私はこれからはこの条件を死守したいと思うようになった。
そして、派遣社員だと大きい裁量のある仕事を任されないのも、私にはありがたかった。というのも昔、年数がまだ浅かったのに私にはまだ重い…と思う役回りを任されることが多く、疲れてしまったからだ。
こんな感じでいろいろな仕事を経験していくうちに、仕事は人生の一部であるとも考えられるようになってきた。これはカナダで仕事ができたことも大きく影響している。
私が働いていたお店ではお客さんがいなくなると(いるときでさえ)スタッフが客席に座り、平気でスマホを触りはじめていた。話を聞いていると海外では見られることもある光景らしい。
このほかにもいい意味で、労働に対する姿勢や考え方においてのカルチャーショックをたくさん受けた。
あの頃の自分に今の自分からかかけてあげたい言葉がたくさんある。私は知らないことが多すぎた。でも今は、世の中には選択肢が多くあることを知れて生きやすくなった。
そんな私は、これからは人生を楽しむことを重きに置きたいと思っている。心身ともに穏やかに過ごしたいから、それが実現できる働き方をしたい。
簡単じゃないし、舐めているようにも思われるかもしれないけど、これがアラサーで遅めのインターンを経験した私が得られた学び。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?