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今に満足できなくても、人には進もうとする力があるらしい

今年2023年の1月、私は日本にはいませんでした。

ワーキングホリデー(以下、ワーホリ)のビザを使ってカナダに滞在していました。

ビザの期限が1ヶ月を切っていて、まわりの人に「帰りたくない」とわめき散らしていたあの頃。このときに聞きまくっていたOfficial髭男dismの『Subtitle』を今聞くと、胸が痛くなります。

でも感傷に浸ってるだけじゃなくてちゃんと進んでいたようです、私。

この度 #マーブルアドベントカレンダー に参加し、何を書こうか迷いながら2023年を振り返っていたら、そんなことに気づきました。

やっぱり書くことっていいな。

ということで、年頭に「帰りたくない」とわめき散らしていた私が、今日ここにnoteを投稿するまでの1年を振り返りながら、何をどう進ませていたのか、それと同時に気づいたことを書きつづります。

1つの夢を叶えたあとに訪れた無気力と格闘した日々

さっきから何度も「わめき散らしていた」と言っていますが、どれくらいだったかと言うと、現地の人から「ここまで本気で『日本に帰りたくない』って言ってる人、初めて見たよ」と笑われたほど。それくらい、カナダにいたかったのです。

「カナダに」というよりは、海外にもっといたいと思っていました。でも私は日本でしばらくゆっくりすることを選びました。これについては今回の本題とは違うので省略。

私にとってここ数年は「カナダでワーホリをすること」が自分の生きる希望になっていました。大袈裟だと思われるかもしれませんが、ちょっといろいろあった私にとって、それが生きる意味になっていたんです。(お、重っ。笑)

だから自分の状況やコロナがどうなろうとも、ワーホリをしなければ、私は自分の人生を次に進めることができないと思っていました。ここまでの熱量でワーホリに臨んだ人はいるのでしょうか(笑)。本来はただのホリデーですからね、ホリデー。

そんな熱量とともにカナダに渡りましたが、現地では特別なことはしていません。ただアルバイトをして、の~んびりと自分のペースで生活していました。それがとても心地よくて。

できるならこのままの生活を継続して、人生を終えたいと思っていたくらい。

夏場、私がいつも寝て過ごしていた公園。
肌寒いのに粘って滞在したせいで、OPPになったこともある。

でも、そんなことは無理。無理だけど、次のことなんて考えられなかったし、考えたくありませんでした。

滞在中には、現地で同世代の日本人と会ったときに、あいさつの次に出てくる話題「ビザが切れた後、どうする?」には人一倍嫌悪感を抱いていた自信があります。

カナダでの一番のストレスはこれだったかもしれません。次を考えないといけないこと。もうやりたいことなんてなかったから。

悩んだ自分だからこそ、見えた次の道

でも、真面目な私はもがきながらも、ちゃんと「次」を考えていました。するとあるとき、こんなことを思ったのです。

私のように「なんか生きづらい」で悩んでいる人はいるはず。みんなそれぞれ苦労はあると思うし、私くらいの経験をした人なんてザラかもしれないけど、でも、私の経験をシェアすることで誰かの「生きやすさ」に繋がればいいな。

私が海外で生活したいと思ったきっかけの1つは、なんか生きづらいと思っている自分がいろんな価値観に触れることで「ねばならない思考」を手放せるようになりたいと思ったから。

これは滞在中に少しずつ達成されていました。

でも、まだしんどくて。「な〜ぜ〜だ…」と考え、いろいろ頭を打って、環境を変えるだけではなくて「自分嫌い」という根本的なことが解決されないと、どこにいても息苦しさを感じることに気がつきました。

それから私は、過去の自分を受け入れつつ、自分を否定するような考えは減らしていけるようになって、ちょっとずつ息がしやすくなりました。

誰かの生きやすさにつながることを発信したい。
とりあえず「書く」を始めよう。

こう思ったとき、久々に「やりたい」という気持ちがふつふつとわいてきました。

そして、そんな想いを抱いてからというもの、自分が引き寄せたのか、アンテナを張り出したからかはわかりませんが、 フリーランスとして活躍してる人たちに出会いました。

自分の好きなときに好きな場所で仕事ができる働き方があると知り、「これしかない」と思いました。今までの経験から、再び日本で正社員として働くことに抵抗があった自分にとって、また、体調を考慮して働けるフリーランスという働き方は魅力でしかありませんでした。あわよくば、フリーランスならまた海外に行けるかもしれないし。

そして後ろ髪を引かれながらも「何かを発信するフリーランスになる」という決意だけをして、日本に帰国したのです。

踏み出したら「ぼんやり」から抜け出せた

帰国後はとりあえずSNSを開設したり、スクールなども調べましたが…しっくりこず、半年経過。

「あのときの想いのを本気で実現させるのか」VS「もう正社員になっちゃえ」がせめぎ合い、帰国してから派遣社員として働いていた私は、7月は腹を据えて今後の自分について考えようと決意しました。

そんなときにたまたまマーブルスクールの存在を知ったのです。きっかけはいしかわゆき(ゆぴ)さんのnote でした。

私が自分の将来を本気で考えるタイミングが1ヶ月前でも後でも、マーブルスクールに出会えていなかったわけです。そのことを思うと「これは何かの縁かも」と感じ、スクールに入会することを決めました。

そんなマーブルスクールですが、1か月ほど前に無事に卒業しました。

スクールに入るまでは「ライターってSEOライティング?しかないのかな?」というくらいの浅い知識しかなかった私。しかし講座で「インタビューライター」という分野があることを知りました。

そのおかげで「何かを発信したい」という漠然とした私の想いが「いろんな人の多様な考え方を届けて、誰かの人生の選択肢を広げられる記事を書きたい」というクリアなものに変わりました。

そのほかにも、自分で企画書を書き、アポを取り、原稿を執筆する、なんてこともして……。嬉しいことに、初めてこれらに挑戦した記事は、これまで約1万8000もの方々に届いています。

マーブルスクールの強みは「書く」+α(編集や広報など)を学べること。

編集(講師:えるもさん)を学べたことで、朱入れ(編集者の方からの自分の原稿への加筆や修正)に対する捉え方がガラッと変わり、また、広報(講師:あいさん)を学んだことで、今勤めている会社に企業noteの運用を提案するような自分にもなりました。

マーブルスクールで学んでいなかったら、こんな変化はなかったはずです。

置かれた場所に納得できなくても……

1年前は日本に帰国することが嫌で仕方がなく、人生に対して若干投げやりになっていたのに。1年後の自分がここまで「書く」ことに本気で向き合っているなんて、想像もつきませんでした。こうやって#マーブルアドベントカレンダーに参加して、noteに投稿していることも。

ちゃんと現実を受け入れて次のステップに進んでいる自分に、少し笑っています。

人は「本当はこうしたかったのに」とか「こんなはずじゃ」と思って「今後、もうどうなってもいいわ~。ハハハ…」と半ば諦めの境地に至っても、「自分だからできること」や「自分が心地よく生きるための方法」は諦めずに探すみたいですね。

少し余談ですが…

ちょうど昨日、#マーブルコミュニティのオフ会 in 関西があり、参加してきました。「1年間お疲れ様でした〜」の音頭で乾杯をしたあと、ゆぴさんが「1年前はまだ出会ってないよ」と笑いながらポツリ。

「そうなんだよ。私、ここにいる誰のことも1年前は知らないんだよな。自分が『書く』を始めたからこそ出会えた人たちと今一緒にいて、焼き肉を食べている。なんか不思議だわ」

と、ほんの数秒間そんな気持ちに浸っていました。

来年はどうなっているのかな。

まだまだ派遣社員として働いているかもしれないし、フリーランスライターとして生計を立てられているかもしれない。本望ではないけど、フリーランスとして働くことが怖くなって会社員になっている可能性も大いにある。

まあ、結果はどれでもいい。そこに行き着くまでにいっぱい考えて、前に進んだことには間違いないんだから。

この記事は、書く仕事をたのしく続ける「Marbleコミュニティ」の企画、#マーブルアドベントカレンダー の参加記事です。


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