新 もういちど読む山川世界史6
前置き
伊勢志摩に次いで、広島の因島に行ってきました!
ポルノ(※バンドの方)のイベントだったので、ちょっと力入れてレポ書いてみました。
そのほかにも、お菓子の家を作ったり、手持ち花火をしたりと夏休みを満喫中です。しかし、そろそろ7月が終わってしまうため焦りも感じつつ。世界史終わんねーな。
第1章:古代の世界~5 インド・東南アジアの古代国家(P36-42)
さて、本題。前回の古代イランの記事はこちら↓。
第5節では、古代インド・東南アジアを取り上げる。
1.インダス文明
前2600年から前1700年ごろ、インダス川流域を中心に、ハラッパー遺跡とモエンジョ・ダーロ遺跡を代表とする都市文明であるインダス文明が栄えた。
ハラッパー遺跡は保存状態が悪く、1921年に発見されるまでに、周辺住民が生活のため、またイギリスが鉄道建設の基礎を作るために遺跡から大量の煉瓦を持ち去ってしまったことが原因とされている。モエンジョ・ダーロは同時期に発見されたものの、保存状態は悪くなく、中心部の大建造物や、排水設備、公共沐浴場や街灯の設備を持っていた。
いずれの遺跡も豊富な焼煉瓦を用い、都市計画を基に作られていたことがわかっているが、文字が解読されていないために、インダス文明はまだ不明な点が多い。
文明が衰退した原因も明らかになっておらず、アーリヤ人侵入説は現在、否定されている。現在のモエンジョ・ダーロ周辺は砂漠であるが、当時は森林に恵まれ、野生生物もいたとされることから乾燥化説や、洪水説など諸説あるが、決定的な説はまだない。
2.バラモン教から仏教へ
インダス文明が衰退した後、前1500年ごろにアーリヤ人がパンジャーブ地方(※1)に定住した。アーリヤ人は自然現象を神格化した多数の神々を信仰し、その祭式等をまとめたものが、バラモン教の根本聖典ヴェーダである。前1000年ごろ、先住民と融合しながら、ガンジス川流域に進出して農業社会を完成させた。ヴァルナ制度(※2)が成立し、バラモン・クシャトリヤ・ヴァイシャ・シュードラの四つの身分に分けられた。
前6世紀ごろ、元日川流域で発達した都市ごとの諸国をマガダ国が征服・併合した。そのころ、仏教の開祖ガウタマ・シッダールタとジャイナ教(※3)の開祖ヴァルダマーナなど多数の思想家が現れた。いずれもバラモンの権威とヴァルナ上の差別に反対しており、都市部の身分制度に囚われないクシャトリヤやヴァイシャに教えが広まっていった。
前4世紀後半にマガダ国にマウリヤ朝がおこった。初代王のチャンドラグプタから3代のアショーカ(※4)までにインドの大半が統一された。仏教に帰依したアショーカは、「法(ダルマ)」を理想とし、各地の岩石や石柱に刻ませた。仏教の各地への布教もおこない、仏教がスリランカに伝えられた。
このころ、南インドではドラヴィダ人(※5)がいくつかの国家をたてていたが、その後、北インド文化の影響を受けながら独自の文化を発達させていった。
マウリヤ朝の衰退後、西北インドは、異民族の侵入により混乱したが、1世紀にイラン系のクシャーナ朝(※6)によって統一された。2世紀半ばのカニシカ王の時代に最盛期となったクシャーナ朝は、西はパルティア、東は後漢の中国、南は北インド中部にまで及び、東西交通路の中心に位置していたことで繁栄した。
クシャーナ朝時代には、王の保護により、万人の救済を理想とする大乗仏教が確立した。原始仏教では、仏の存在は菩提樹などによって暗示されているのみだったが、大乗仏教以後、神を擬人化する発想を持ったヘレニズム彫刻の影響を受け、如来や菩薩を具現化する仏像(※7)がうまれた。これをガンダーラ美術と呼び、ヘレニズム彫刻のギリシア的な彫りの深い顔立ちや、等間隔の衣の襞などと、哀調を帯びた諦観の表情などの仏教的雰囲気が合わさった特徴がある。
3.ヒンドゥー国家の盛衰
4世紀にマガダ国にグプタ朝がおこり、北インドを統一した。3代のチャンドラグプタ2世(※8)の時代に最盛期となったが、5世紀に中央アジアの遊牧民族エフタルの侵入により衰退した。
グプタ朝はインド古典文化の黄金時代(※9)と呼ばれ、サンスクリット文学が栄えた。また、バラモン教に民間信仰が加わったヒンドゥー教(※10)が広まった。
7世紀にはハルシャ・ヴァルダナ王が北インドを再統一し、この時代に玄奘(※11)がインドを旅行している。王の死とともに統一は崩壊し、以後の数世紀間は諸王国が分立抗争する時代が続いた。商人や王侯の援助を失った仏教は急速に衰え、ヒンドゥー教がインド人の宗教として完全に定着した。
4.東南アジアの諸国家
1~2世紀、インド文化の影響のもとに、東南アジアの諸民族が国家を作り始めた。
半島部の東南に扶南と、チャム人の国家チャンパーがおこり、クメール人が扶南を滅ぼしたのちにカンボジアをたてた。カンボジアは9世紀以後、アンコールに都をおいて栄えた。
半島部ではミャンマー人とタイ人が、それぞれ11世紀と13世紀に最初の民族国家を建設した。
ベトナム人は漢の武帝の征服以後は中国の支配下に置かれていたが、五代から宋初(10世紀ごろ)の混乱期に独立した。
諸島部では、7世紀ごろにシュリーヴィジャヤがスマトラ島を中心に栄え、その後ジャワ島でマジャパヒト(※12)が強勢となった。
東南アジア・インド・ペルシア・アラビアなどを結ぶ商船の交易ルートは、当初マレー半島をクラ地峡で横断するルートが主流であり、扶南やチャンパーが栄えたが、その後7~8世紀に、マラッカ海峡を経由するルートに変わったことでシュリーヴィシャヤなど諸島部が栄えた。
東南アジアには、少なくとも紀元前後にはインド文化が到達していたが、交易ルートを通して5世紀を画期としてインド化が進んだ。インド的王権概念やインド系文字の使用が見られたが、単なる輸入ではなく、東南アジア側での主体的な選択があるといわれる。宗教としては、はじめ大乗仏教とヒンドゥー教が伝わり、ジャワ島にボロブドゥール、カンボジアにアンコール・ワット(※13)がつくられた。その後、上座部仏教がミャンマー人からタイ人、カンボジア人に広まった。
おもしろ&わからんポイント
1.インダス文明
なし
2.バラモン教から仏教へ
※1.パンジャーブ地方
現在のインド北西部~パキスタン北東部にまたがる地方。ハラッパー遺跡がこの地方にある。
※2.ヴァルナ制度
種姓制度と訳されるが、ヴァルナ=色で、もともとは肌の色が白いアーリヤ人が有色の先住民と区別することを指していた。カースト制度の基礎といわれる。
バラモン=司祭者、クシャトリヤ=王侯・武士、ヴァイシャ=農・牧・商に従事する庶民の上位3ヴァルナはアーリヤ人で占められ、聖典ヴェーダを学んで「入門式」を受け、宗教的に生まれかわることができる。一方、先住民であるシュードラ=隷属民は、ヴェーダを学ぶことができず、一度しか生を受けることができないとされる。
(参考:ヴァルナ制 (y-history.net))
なーんか差別的で嫌な感じ。仏教ジャイナ教がんばれ。
※3.ジャイナ教
苦行・禁欲主義、特にアヒンサー(不害)を徹底する教えがある。ヴァルダマーナは真理は多様に言い表せると考える相対主義で、何事も断定を避けて「ある点からすると」という限定をつけるべきとされる。
出家者に課される禁忌は下記引用の通り。
不殺生が徹底され、掘り出す際に虫を殺めることから球根類も禁じられており、また厳格な場合は空気中の小さな生き物や、水中の微生物にまで気を払う。
現在も500万人ほどの信徒がおり、アヒンサーの教えから農業や牧畜を嫌い、商人を選ぶ人が多い。また行商では移動することにより不殺生を侵す恐れがあることから、小売業や金融業が多い。特に、厳格な戒律を順守していることから、信用第一の宝石・貴金属商に従事する者が多い。
(参考:ジャイナ教 - Wikipedia、ジャイナ教 (y-history.net))
こんなの前もあったな、と思ったけど、前回の※4ゾロアスター教タタ財閥ですね。宗教を背景とした信用というのは興味深い。そもそも宗教はそういうもの(社会を成り立たせるための必要な建前)ですよねというところもある。
ちなみに大禁戒=マハーヴラタ・mahāvrataはマハーバーラタ・Mahābhāratamとは関係なさそう。マハーバーラタはもう少し後、グプタ朝時代に書かれたサンスクリット語の叙事詩。ジャイナ教は経典が半マガダ語などで書かれている。
※4.アショーカ
おおっ、出ましたアショーカ!
アショーカと言えば当然、アニメ『蒼穹のファフナー EXODUS』に出てくる世界樹アショーカですよね? いや、学がない私だけですか……。
作中の世界樹アショーカは、インド・シュリーナガルに根付いたミールのひとつですが――というかミールとかいうファフナー専門用語はひじょーにむつかしいのでいったん置いておいて。金色のケイ素生命体が地球外から襲ってきた絶望的な世界の中で、その外敵から身を守ってくれる拠りどころとして崇められる緑色の結晶体が、世界樹アショーカと名付けられているわけです。実際はこの結晶体もケイ素側の生命体なんだけどね。
その見た目は、なが~い円柱の結晶体が空に伸びて、先端は梢状に広がり本当に世界樹のよう。その周りには、世界樹と対話する力を持った敬虔な信者たちが集い、有事には祈りをささげてその力となります。
さて、史実のアショーカは、インド史上最大の統一を果たした王。仏教に帰依し、広く布教したことで知られるが、仏教だけでなく、バラモン教やジャイナ教なども保護した。
統一の過程で隣国カリンガ国と争い、10万を超える捕虜やその何倍もの人を戦禍で殺め、多くの立派な宗教者を失ったことを悔やみ、仏教に深く帰依したとされている。
まもるべき社会倫理である「法(ダルマ)」を円柱などに刻ませたアショーカ王碑文は、今も各地に広く残っており、いまだ解読されていないインダス文字を除くと、インド最古の貴重な文字資料となっている。
ダルマの宣伝のためヘレニズム地域やスリランカなどに使節を派遣したことで、仏教の拡大に寄与したといわれる。ただし、辺境の諸住民にはダルマが全ての宗教の教義と矛盾せず、1つの宗教の教義でもないことを勅令として表明することで、仏教を押し付ける形ではない統治上の配慮を行っていた。
(参考:アショーカ - Wikipedia、アショーカ王碑文 - Wikipedia)
※5.ドラヴィダ人
南インド地域に対する教科書本文の解像度が低すぎる! なんもわからんけど!
ドラヴィダ人は今でも全インドの5分の1をしめるドラヴィダ語を話す民族のことらしい。えっ……5分の1……!? えげつない人数では?
インダス文明はドラヴィダ人によるものと考えられており、インダス語に最も近しいのがドラヴィダ語であることはほぼ確定のようです。すごい。
(参考:ドラヴィダ人 - Wikipedia、ドラヴィダ人 (y-history.net))
※6.クシャーナ朝
前回※3で言及。ササン朝ペルシアがクシャーナ朝を屈服し、領土を広げたよという話。
※7.仏像
最初の仏像がガンダーラ仏であるとするには異説がある。ほぼ同時期に古都(カニシカ王の時代の副都)マトゥラー周辺で多くの仏像が作られており、赤砂岩を使った独自の彫像は、純インド的でひげがなく、頭上に巻貝型の肉髻(にっけい・頭頂部が隆起していること)がある伝統的な技法を継承したものだったという。(P39コラム)
ヘレニズム的な仏像の話といえば、ヘレニズム時代の回の※13でもやったね。
3.ヒンドゥー国家の盛衰
※8.チャンドラグプタ2世
マウリヤ朝をおこしたチャンドラグプタを継ぐ者という意識から、グプタ朝をおこした王がチャンドラグプタと名乗り、そのあとに子供が2代目の王になり、孫がチャンドラグプタ2世と名乗ったということで、血縁はないらしい。
血縁じゃないし、2世は子じゃなくて孫なんかい。ややこしいね。
(参考:チャンドラグプタ1世 - Wikipedia、チャンドラグプタ2世 - Wikipedia)
※9.インド古典文化の黄金時代
グプタ朝の芸術、学問としてはほかに、
美術:アジャンター石窟寺院の壁画、グプタ様式の仏像。
宗教学:仏教・バラモン教の教理研究。
数学:ゼロを用いた計算法の発見。
などが挙げられている。ゼロ概念が……ここでうまれたのか……!
※10.ヒンドゥー教
P40のコラムによると、現在、インドやネパールを中心に、9億人もの信者を持つ巨大な宗教で、開祖はおらず、地域などにより様々な信仰の形を持つという。
ヒンドゥー教という名称はイギリス人からみた総称であり、現地の人は、自らの信仰をサンスクリット語の「永遠の法(サナータナーダルマ)」と呼ぶ。教義は多様であるものの、あらゆる生き物が輪廻転生する点、神への信心と人の業によって人の来世が決まるとされる点が共通している。
様々な神が偶像としてまつられるが、特に信仰が厚い2神が、ヴィシュヌ神とシヴァ神である。
ヴィシュヌ神は世界を創造し維持する神で、『ラーマーヤナ』の主人公や『マハーバーラタ』の英雄、そしてブッダはこの神の化身とされる。
シヴァ神は世界を破壊しつくす凶暴な一面を持ちながら、破壊した世界を再び想像し、人々に恩恵を与える神である。
※11.玄奘
あ、西遊記の三蔵法師の元ネタか。なるほど。
ええっ、さいたま市に玄奘の遺骨があるの!?!? 知らなかった。
(参考:玄奘 - Wikipedia)
4.東南アジアの諸国家
※12.シュリーヴィジャヤ、マジャパヒト
シュリーヴィジャヤは、大乗仏教が栄えたマレー人の王国。
マジャパヒトは、ヒンドゥー教王国。
※13.ボロブドゥール、アンコール・ワット
ボロブドゥールは、大乗仏教遺跡。世界遺産。
アンコール・ワットは、12世紀にヒンドゥー教寺院として建てられたものの、12世紀末に仏教寺院へと改修された、巨大な寺院。こちらも言わずと知れた世界遺産。
後書き
東南アジアの情報少なすぎてあまり興味が持てなかった。。。なんかもっとなー。きっとあるんだろうけどなー。文献も少ないみたい。
あとインドで仏教が廃れてヒンドゥー教が圧倒的になる過程がもっと知りたいんだが。本文ではさらっと書かれていたなあ。確かに、単に仏教が後ろ盾を失っただけという身も蓋もない理由なのかもだけどさ。
どうでもいいですが、毎回ちょこちょこ構成を変えてみていて、今回は見出しをはっきりわけて目次から飛べるようにしてみた。
どうしても註みたいな使い方がやりにくいね、note。もう始めちゃったからこれで行くけど。
おわり。