新 もういちど読む山川世界史2
前置きと日常(言い訳)
体調不良(というかコロナ)でぶっ倒れるなどしており、なかなか更新できず。
流行当初から今まで、家族を看護したことはあれど、自分がかかったことはなかったのですが(自覚症状はなかったという意味でしかないが)、ついにかかってしまい大変しんどかったです。未だに外出時はマスク装着かつ手洗いうがいも励行していたのですが、さすがに人口密度が高い街に住んでいるだけあってこれは仕方ないのかな。
とはいえ、まだ嗅覚が戻っておらず、料理好きとしてはQOLダダ下がりです。夏場で自分のにおいケアとかも気になるお年頃だし、ほとほと困った。
カレー草枕さんの件も思い起こされ心が痛みます。私にはよさが図り切れないカレーだったけど、素人でもこだわりは感じとれるものでした。何より東京砂漠にもかかわらずサッポロクラシックが置いてあった店ですからね。
臥せっていた間も、ぼちぼちアニメ鑑賞(メタリックルージュ、ガンダムSEEDなど)、ゲーム(GBAカービィ鏡の大迷宮、マリオ&ルイージRPG)などもやっていたのですが、まとまった感想は気が向いたら。そもそも完遂できたのはカービィのみで、大変面白かったものの100%になってしまった瞬間に忘れ去れるのがカービィシリーズのよさでもある。感心なゲームだなあ。
第1章:古代の世界~1 古代オリエント世界(P17-22)
さて、本題。前回記事(序章)はこちら↓
第1章は古代世界について取り上げる。エジプト・メソポタミア・インド(※1)・中国で、豊かな平野などの地理的条件をいかした穀物栽培による人口増加にともない文明が発達する。
第1節では古代オリエント世界を取り扱う。古代オリエント世界とは、メソポタミアとエジプトが中心をなす世界のこと。
メソポタミア=川のあいだの地域の意で、ティグリス川・ユーフラテス川流域のことを指す(前回記事参照)。
メソポタミアはシュメール人(※2)による統一→セム語系遊牧民族アッカド人→セム語系バビロン第1王朝による専制王朝(※3)の変遷がある。その後、前2千年紀の初めごろからメソポタミア周辺のインド・ヨーロッパ系の遊牧民族が移動を始め、トルコあたりで前17世紀にヒッタイト人が王国を立てる。カッシート・ミタンニの両民族もメソポタミアに侵入して王国を築く。
エジプトは地理的な孤立から支配民族の交代は少なく、エジプト語系の人々によるノモス(小部族国家)から統一王国が成立し、ファラオ(王)の支配が続いた。前17世紀ごろ、シリアから遊牧民ヒクソスが侵入してエジプト中王国(※4)を滅ぼすも、前15~14世紀にはヒクソスを追放して新王国時代に突入する。
前15~14世紀には、古代オリエント世界はヒッタイト・ミタンニ・カッシート・エジプト新王国の4王国により成り立ち、繁栄を迎えた。
前1200年ごろ、東地中海地方にあらたに民族移動が起こったために、ヒッタイトは滅び、エジプトも衰えた。(※5)
ヒッタイト、エジプトの衰退に乗じてセム語系の諸民族、アラム人・フェニキア人・ヘブライ人がシリアを中心に活躍した。(※6)
前8世紀にはセム語系遊牧民族アッシリアが西アジアを統一、前7世紀にはエジプトも併合して全オリエントを支配した。アッシリアは圧政を敷き、反発を受けた結果、またもやオリエントはエジプト・リディア・新バビロニア・メディアの4国に分立した。
その後、インド・ヨーロッパ語系のイラン人(ペルシア人)が前6世紀にアケメネス朝において再度オリエントの統一を果たす。その中で、ダレイオス1世は行政・財政・交通を整備し、服属民族の慣習を尊重した統治に成功した。
以後ペルシア帝国は前330年にマケドニアのアレクサンドロスに滅ぼされるまで続いた。
オリエント社会は、民衆は王への奉仕者である点と、神官が大きな力を持った点が特徴である。またオリエント文化は、古代文字、高度な実用的知識と技術(太陽暦、測地術、六十進法、製鉄)、ヘブライ人の一神教(唯一神ヤハウェの信仰)に特徴づけられる。(※7)
おもしろ&わからんポイント
※1.インド以外は専制君主の統治する大国家となった(P17)ようだが、インドはなぜ専制君主にならなかったのか。たぶんこの後出てくる。
※2.シュメール人は民族系統不明らしい。この後も○○語系の××人という表現がよく出てきて、これが前回記事でいう「語族」のことだろうが、島国出身だと(?)この辺りの感覚が直感的につかめないところではある。どの言語を話すかによってより強い集団の結びつきを持つのは容易に想像できるが、言葉の持つ権力性というのは議論が尽くされていそう。
※3.ハンムラビ王の専制王朝に発布されたハンムラビ法典のコラム(P19)が大変興味深い。楔形文字で書かれた社会正義・公正をうたう超有名法典であり、刑法にはあの「目には目を、歯には歯を」の同害復讐法も採用されているが、決して個人による報復を容認しているわけではなく、加害者に対して国家が司法権を行使することで治安維持を目指すものである、とのこと。
※4.エジプト中王国とか新王国とかの説明全くないんですけど。むずすぎ。あとで調べる。
※5.東地中海地方への民族移動の原因も、なんでヒッタイトが滅びてエジプトも衰退したのかも書いてないんですけど!ねえ!!
※6.このとき、フェニキア人・アラム人は商業活動の必要から表音文字を考案し、とくにフェニキア文字はアルファベットの起源となったとのこと。フェニキア文字かっこいい。ところでここで表音文字が出てきたということは、今まで神事・交易・法典等に用いられてきた文字はすべて表語文字ということになるのかね。
※7.ユダヤ教→キリスト教、イスラーム教の流れはさすがの私でもわかるが、ヤハウェ信仰の前置きとして「前・悪2神の対立を説くイランのゾロアスター教(拝火教)も特異な存在であったが」(P22)と記載されている。ゾロアスター教、ペルシア哲学というキーワードで本を読みたい。
おまけ:ツタンカーメンについて
P21にツタンカーメンのコラムがあり、こちらもなかなか興味深い。
ツタンカーメン王墓の発掘に伴う不審死「ファラオの呪い」伝説もあるけど、発掘者のハワード・カーターは天寿を全うしているよ、とかゴシップみたいなことも書いてあった。
個人的におもしろかったのは、やっぱり直近で紹介した↓『ファラオの密室』絡みの情報について。
トゥトアンクアテンからトゥトアンクアメン(ツタンカーメン)に名称が変わったのとか、ツタンカーメンのオトンが多神教から一神教(アメン神→アテン神)に乗り換えようとしたのとかは史実なわけだ。
(以下、ファラオの密室のネタバレ注意だが)本編終盤で太陽に手が生えてうじゃうじゃしてる?のもフィクションじゃなくて史実の面もあったりするのか?は気になるところ。コラムによると、アテン神の宣伝のため、先王は写実的で自然愛に基づく美術様式を提唱(アマルナ芸術)したとのことなので、作中で、アテン神そのものではないとしつつも、名を奪われ冥界を彷徨う魂(バー)の集合体である不気味な太陽をアテンと呼ぶのは失礼なんじゃないかなーという気もする。アマルナ芸術のもとでは、神殿の中まで太陽の光が差し込むような開放的建築が好まれていたとのことなので、太陽がでっかくなったらそりゃみんなあっちくてパニックだろうし、玄室のちっちゃい空気穴から矢を射かける密室トリックで遺体を運ばれた先王はさぞ嫌だったろうね……。
おわり。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?