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記事の中で映画、ゲーム、漫画などのネタバレが含まれているかもしれません。気になるかたは注意してお読みください。

ファラオの密室

前置き

↑この記事でアウトプット宣言したものの、実はまだ労働停止状態ではない。
がしかし、ためしに直近で読んだ本からアウトプットしてみようかと思う。
毎回、内容の粒度や構成は変わるかもしれないが、とにかくやる気があるうちにやってみる。

基本情報

ジャンル:推理小説
著者:白川尚史(しらかわなおふみ)
発行日:2024/1/23
備考:『このミステリーがすごい!』大賞受賞

どこかでインタビュー記事か何かを読んで面白そうだと思い、購入。
そもそもミステリーをあまり読まないが、『このミス』では以前こちらが気になっていてまだ読んでいないので、今度読むか。

著者は東大卒の起業家で、ど真ん中エリートの模様。すごい。
書籍化される前のタイトルは『ミイラの仮面と欠けのある心臓』で、こっちの方が内容に近く、かっこいいけど、確かにタイトルとしてはちょっと長いかもしれない。
とはいえ、詳細は後述するが、そもそもこの本のタイトル『ファラオの密室』は読者(私)の期待を無駄にあおっている気がしてあんまり好きではなかった。間違いではないんだけどね。

冒頭あらすじ

舞台は古代エジプト。先王アクエンアテンの葬送の儀を行うため、王墓で準備をしていた上級神官セティは、突然起きた崩落事故に巻き込まれて死亡する。
冥界でミイラの姿になり目を覚ましたセティは、真実を司る神マアトに出会う。マアトは、冥界を訪れた死者が、楽園であるイアルの野へ迎えられるか、怪物アメミットにその心臓を食われるかを審判する神だ。
しかし、なぜかセティの心臓は欠けていたため審判自体ができなかった。さらにおかしなことに、死してなお現世に戻るための生命力を残していたセティに対し、マアトは、現世に戻り欠けた心臓を取り戻すことを提案する。ただし、3日以内に欠けた心臓を取り戻せなければ、生命力が尽きたセティは、魂のまま現世と冥界の間を永遠に彷徨うことになってしまうという。
心臓に欠けがあるためか、セティは肝心の自分が死んだときの記憶が欠落していた。それでも欠けた心臓を取り戻すため、セティは現世に戻り、王墓の崩落事故について調べ始める。

ネタバレなし感想

あらすじだけでは『ファラオの密室』感はないが、この後ファラオの密室が出てくる。(Amazonのあらすじだともうちょっと先まで書いてあるね)
ただし実際はファラオの密室より、欠けた心臓を取り戻す方がメインストーリーだと思うので、そのあたりがちぐはぐだなと思った。
そういう意味で、タイトルはミスリードだなと。正直に言うと、密室トリックはガッカリものだった。(ただしミステリーはほとんど映像作品でしか触れないので、正しい評価かは不明)
欠けた心臓を取り戻そうとする過程で、主人公がマアトの前に立つときになぜあんな態度をとったのか、主人公を取り巻く人々が時折見せる思わせぶりなセリフは何なのか、などの各所にちりばめられた”謎”が明らかになる。
どう考えてもこっちの謎の方が本丸で、この謎、というよりいわゆるどんでん返しに伴った主人公の心の動きが著者の伝えたいことだと思うのだが、私はこの一番大切な心の動きに興ざめしてしまった。最後の1ページがとにかく陳腐で嫌だった。

ただまあ、これは人それぞれ好みがわかれるだけだろう。どんでん返し自体は(私は)全然わからなかったし、核となるトリックはミステリーとしては素晴らしい出来なのではないだろうか。
また、特におもしろかったポイントとして、そもそも主人公が冥界から生還するミイラの探偵役(実際は探偵っぽくないし、探偵役は複数の登場人物に分散されていたけど)であることと、古代エジプトの人々の死生観や宗教観、食べ物や服装、奴隷たちの境遇などの文化的描写が興味深いことの2点がある。エジプトが舞台のフィクションは初めて触れたので、正しい描写かはわからないけど、普通はミイラ(死人)が現世に戻ってきたら探偵するどころじゃないでしょっていうツッコミが、古代エジプトを舞台することによって正当に打ち消されているのがおもしろかった。
せっかく文化的側面をおもしろく描いていたのに、登場人物には共感や、逆に全然共感できないけど人間っておもしろいな、みたいな深みを感じることができなかったのは残念。
あと最初は人名がカタカナで長いものも多く、なじみが無いこともあり苦労した。トゥトアンクアテンとかアクエンアテンとかメリラアとかムトエフとか……。読んでいくうちになんとか覚えられたので、読むなら一気読みを推奨。

【閲覧注意】ネタバレあり感想

ここからはネタバレありの感想なので、閲覧要注意です。
あとけっこう辛口になってしまったので、その点も要注意。


主人公セティの死後、セティをミイラにしたミイラ職人の親友タレクは、冒頭でこんなモノローグを言う。

 友人と呼べる者は多いが、セティはかけがえのない親友だった。小さいころからよく知っている、実直な男だった。少なくとも、タレクはそう思っていた。だが、どれだけ長く共に時を過ごしても、知らない面はある。今回のことで、タレクはそれを嫌というほど思い知らされた。
 ――悩んでいたのなら、相談してくれればよかった。自分なら、受け入れることができたと思う。

『ファラオの密室』単行本版 p9-10

ここで重大なネタバレだが、最後のどんでん返しは、セティが実は男性ではなく女性だった、という内容だった。
その前段階として、セティは代々政治的に力を持つ一族に仕える奴隷の孤児だったが、病で幼い息子を失い悲しむ主の望むままに、亡くなった息子の身代わりとして生きてきた真相が明らかになる。
そしてそのために、女であることを封印し、男として生きることを強いられてきたセティは、死後、マアトに嘘がないかを問われた際に口ごもる。しかし、現世で欠けた心臓を探し求める中で、再び相見えた父親と心を通わせ、奴隷で異国出身の少女カリに「あるべき自分」に縛られていることを気づかされたセティは、最後の審判で、親友タレクを本当は愛していたことをマアトに宣言する。自らの真実を受け入れたセティは、果たしてイアルの野に迎え入れられたのだった――。
という話なのだが、私はこれがとにかく陳腐に感じた。
だって別に男のままで男を愛してもいいじゃん。
例えば神官だから愛してはいけないとか、奴隷の身分であることを偽っていたから愛してはいけないとか、それならわかる。何せ作中でセティは敬虔で厳格な神官として描かれていたし、奴隷のカリがひどい扱いを受ける描写もあったのだから。
でも叙述トリックに合わせたいがために、性別だけで悩ませるのであれば、ちゃんとその下地を描いてほしい。(覚えてないだけでちゃんと描いていたらごめんなさい)
古代エジプトが舞台で、宗教観としてラーとかオシリスとかマアトとか、複数の神が出てきていたし(そもそもその話が後半の主題のはず)、現代と違って何か同性愛タブーの描写あったっけ?
ミイラを作るであろうタレクに女だったことを隠そうとして胸をそぎ落とすため、自らナイフを突き刺していたけど、それも浅く刺すだけで終わってしまったというのも中途半端。すでに崩落で下半身がつぶれていてなお意識がある状況で、本当にタブーを感じて自分を責めている人なら、痛みや恐れなど感じず、そぎ落としてしまうくらいはやりそうなもの。
タレクの「悩んでたなら相談してよ」も浅い。言ってくれればさ、って問題ではないから、自分を受け入れるために謎解きという旅を乗り越えたのではないのか?
で、その程度にしかタレクがセティを想えていないのであれば、最後に思わせぶりにこんな台詞を言わせないでほしい。

 現世を離れる最後の瞬間、なにかを言いかける、タレクの声が聞こえた気がした。
「なあ、セティ。俺は、お前を――」

『ファラオの密室』単行本版 p302

ちょっとここ、真相を知る前に読んでいても恥ずかしいくらいの台詞だった。そもそもタレクの台詞は全体的に芝居がかっていて、過剰なほどセティへの執着を見せており、感情移入しにくいところもあった。

結局のところ、最後のどんでん返しをしたいがために、同性愛を含む性別の話題を慎重に避け、死体にナイフを中途半端に突き刺して、誰が密室で刺したのかという副次的な謎を目くらましに使ったのではないか?という疑念がぬぐえない。
そんなことしたせいで、結果セティに疑われて殺されちゃったアシェリくんがかわいそうだろ!という気持ちが沸々と……。アシェリだけがまともでかわいかったのにな。

それはともかく、この小説を読み進める中で、自分の読者としてのスタンスが決まらず、座りが悪い思いを何度もした。
読む前は、『このミス』大賞のミステリーの読者であろうとした。
読み始めると、冥界にいる神や、ミイラを受け入れる人々が現れ、ファンタジー世界でロジカルな謎解きを見出そうとする読者になった。
後半で、腕がうじゃうじゃ生えた太陽にエジプトが支配される展開になったとき、これはスペクタクル映画の世界観の話で、自らの成長とともにこの世を救う主人公の手段が謎解きなのだと受け入れた。
最後の最後で、どんでん返しを通して主人公が突然愛を告白したとき、「じゃあ最初っから心理小説(?)って言ってよ!」と突っ込んだ。
まあミステリーに慣れてないし、ミステリーというカテゴリにはめずにいろいろな作品があっていいとは思うので、私の頭が固いだけなのかなと思う。

あと1点だけ文句を言うと、カリがあまりにもご都合キャラクターだったのが悲しかった。
奴隷の少女の話が始まったときのストレスはすごかった。今までと何も関係のない人の物語が唐突に始まり、奴隷だからとつらい思いをこれでもかとさせられていて、あげく人に騙され、心のよりどころの飼い犬まで失い、苦しんでいた。こんだけ重たい話を読ませたのであれば、この後よろしくつなげてくれるのだろうと思ったら、悲しいかな、都合よくタレクと出会い、異国の人間として読者目線を提供し、生まれ持ったするどい頭脳を使って探偵役を補佐する役割だった。最後の救いである「実は両親に捨てられていませんでした」、はたったの数行で済まされていた。なんてこった。
カリの扱いが雑だと感じ始めてから、後半の展開にもあまり信頼をおけなくなっており、極めつけのどんでん返しだったので、私の心が閉ざされてしまったのだなあと思った。

とはいえ、記事の前半で述べたように、アイデアと舞台の独自性がずば抜けており、いくつかのトリックが複合的に潜んでいて、すべてを見抜くのはなかなか難しい、という点で大賞受賞はもっともであり、評価できる作品なのではないかと思う。

そんなこんなで、もう一度丁寧に振り返ってみたところ、『このミス』作品を手に取るのはもう少し間を空けてからにしようかなと思ってしまった。
次はやっぱり手練れの小説家の文章を読むことにしよう。

おわり。

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