カタリ(本間文子) 第2回

長嶋有さん(第3回佳作)や福永信さん(第1回大賞)、戌井昭人さん(第1回審査員特別賞)など、現在も活躍する作家も受賞した、リトルモアのストリートノベル大賞。本間文子さんは、その最後となる第10回で大賞を受賞し、デビューしました。12年ぶりに書き下ろした本作は、画集の自費出版を勧める「カタリ営業」というブラックな仕事に就いている20代女性が主人公。第2回では、ブラック営業をしなければいけなくなった彼女の過去が明かされます。自費出版ビジネスの裏側を知りたい人、営業職に就いている人、新しい視点の「お仕事小説」を楽しみたい人、必読!

1 受賞歴の値段

 詐欺師になる前の約10カ月間は、開かない眼で泥水をすすって生き延びているような毎日だった。
 19歳の6月初頭。奏は急きょ大学を休学し、留学先のニューヨークから帰国した。東京都世田谷区池尻にある実家で母と2人で暮らすことになった。すでに父は出て行って、約6千万円ある借金を返済するべく働いているとだけ聞いた。
 自己破産をしない理由は、母方の祖父から引き継いだ実家が担保になっていることにあった。事業を拡大する前は仕事場でもあったこの家を、手放すくらいなら死ぬと言って母が譲らないらしい。また、自己破産したと周囲に知られることはないと言っても、狭い世界のこと。同業者にもお客様にも、いずれ噂が耳に入るだろう。そうなると仕事を頼んでもらいにくくなるというのが、父の考えだった。再起を図りたい父も、自己破産は避けたいのだ。それが時間稼ぎに過ぎないと、どこかでわかっていながら他の仕事をしているのか、それとも本気で他に助かる道があると信じているのか奏にはわからなかったが、両親に大学の費用を出してもらえなくなったことと、これからは働いて家にお金を入れる必要があることは理解できた。大学には残りたかったが、奨学金についてネットで検索すると、結果的に数百万円の返済に苦しんでいる人の話ばかりがいやに目に付いた。そのため奏は申請を躊躇った。また、条件を満たしていないため、給付型の奨学金は受けられない。

 出版社やウェブメディアを希望していた奏がすぐにアルバイトを始めたのは、六本木にあるウェブサイトの運営会社だった。卒業後は正社員になることを前提としたアルバイトで、まずはその試用期間が3カ月あった。
 正社員といっても、「自分で仕事をつくり出すことのできる個人事業主の集団に加わるのだと考えてください」。面接の日にそう聞いた。人数は10人ほどで、主に企業のホームページの制作、運営と管理を行っていた。クライアント各社の広報から届くリリース文をサイトにアップしたり、商品を作っている所に取材に行って記事にしたり、商品を使った感想を記事にしたりする部署での編集アシスタントが奏の役割だった。日々の仕事は雑用を中心に、編集者からメールで届く原稿やクライアントから返信されてきた確認後の原稿を、誤字脱字などをもう一度チェックしてからサイトにアップする。記事は1日に10本ほど。ときには取材に同行させてもらうこともあった。会社では案件ごとにチームがあった。メンバーはそれぞれ違う組み合わせで仕事をしていたが、奏は野見山健吾(のみやま けんご)という、キツネを思わせる顔立ちの社員の下で、野見山が担当している案件を通して仕事を教わっていた。奏は留学していたことから、英語力と思考の柔軟性や行動力を見込まれての採用だった。しかし、いずれも教育係りとなった野見山に期待されていた水準ではなかったようで、仕事の遅さなども含めて毎日叱責され続けていた。早朝から夜遅くまで働いていたが、睨まれて叱責されればされるほど、相手の言葉が頭に入らず、仕事の精度は著しく低かった。毎日、遅れている仕事について「どうするの?」と、電話が何度もかかってくる。叱られることに時間をとられて、実際に仕事に手を着けるのが夕方からになる日もよくあった。また、原因のひとつに決定権のある社員と連絡がつかないこともあったが、正直にそう言えば、「それでも捕まえるのが仕事だ」と返された。さらに、奏の状況を野見山とともに把握するために業務フローを表にして提出するよう命じられるなど、突発的な仕事が数珠つなぎに起きた。始業は10時からだが、7時にはそれぞれの担当者から見計らったようにメールが届き、その数は20通に上った。上司に確認しながら対応しているうちに、本来なら今日しなければならない作業に手を着けるのが遅くなる。夜中まで掛かって作業をすると、明け方に「もう1つ」と仕事が追加され、また他の仕事が遅れる。その繰り返しだった。
 また、奏に話しかけてくれる社員もいたが、楽しく話していると必ず野見山が、目をつり上げて奏を睨みつけながら横を通り過ぎていくので、奏は他の社員と話しづらくなり、社内でも徐々に孤立していった。
 野見山からは、業務に関する叱責だけではなく、例えば「この程度の仕事なら、もっと若い学生アルバイトを雇ったほうがいい。棚絵さんの年齢では、もう宴会に花を添えることすらできないくせに」だとか、「僕の時間を奪うことは、僕の命を削ることと同じだ。今まであなたの周囲には、こういう指摘をしてくれる人がいなかったのでしょう。残念な人生だ。老婆心ながらこの場合、指摘してくれた相手に感謝するのが普通ですよ」など、人間性をえぐるような発言をされ続けたが、その会社は奏にとって初めて働いたところだったので、彼の厳しさが社会では当たり前で、すべて自分の至らなさに原因があるのだと思い込んでいた。実際に、就業状態について、奏が野見山の上司にあたる高島に相談した直後、野見山から「仕事に対するモチベーションについて、相談させてください」というメールで呼び出され、こう言われた。
「高島さんから聞きました。棚絵さんに負担をかけすぎなんじゃない? って心配していましたよ。高島さんとは面接のときに話していらっしゃるし、今回の件も相談しやすかったのだとは思いますが――これは棚絵さんのためにあえて言わせていただくのですが――社会の筋として、まず教育係りを任されている僕を通してほしかったですね。そして、メールに書かせていただいた通り、今日は棚絵さんの仕事に対するモチベーションについて相談させてください。誤解を恐れずに、あえて忌憚なく言わせていただきますが、もしかして棚絵さんはビジネスタイム、つまり契約している就業時間だけが仕事だと思ってます? お互いの今後のために正直に言うと、基本的に編集者やライターなど、メディアに関わる人間の多くは、休みはないと思って仕事をしていますよ。例えば文章を1行書くとして、物理的には1分もかかりませんよね。でもその文章の背景、因果関係、事実関係、単語の正しい意味など勉強する時間は書く何十倍も必要です。ましてや取材を基にその1行を書く場合は、事前に取材先やインタビュイーについて勉強しておくなんて当たり前ですよね。30分程度の取材だとしても、その人はもちろん関連する人の著書を読んだり、周辺情報を集めて頭に叩き込んだりする。事前に質問案を作って相手に展開するためには、頭の中で取材をシミュレーションして、原稿もあらかた頭の中で書いておく。こんなことは言うまでもないことです。そして、その1行を採用するかどうかを判断する場合も同じように、いや、書く以上に勉強した上で、根拠を明確にしてから判断しますよね。つまり棚絵さんの状態は、この業界では当たり前のことで、これを何十年も続けていくのが普通です。プロジェクトを何本も並行して抱えるのも普通ですし、また、自分で仕事をつくり出すためには、平行して企画提案のための情報収集もしないといけませんよね。今回、高島さんに棚絵さんが相談したと聞いたとき、僕は正直とても残念だなと思ったんです。考え方が甘いし仕事に対するモチベーションが低いなって。それと、僕の伝え方が悪くて理不尽に感じたようですが、上司や先輩から理不尽なことを言われるのも、社会では当たり前に起こります。これは棚絵さんが別の会社に行ったとしても、基本的には同じだと思いますよ。ブラック企業やパワハラとだと誤解されてはいけないので、これはあくまでも善意による個人的なアドバイスだとお断りしておきます。もしちゃんと早くお家に帰って休みも十分にほしいようでしたら、単純作業やパートタイムなど、就業時間に明確な区切りのある、別の仕事を選ばれたほうが棚絵さんのためにいいのではないでしょうか。僕は、棚絵さんが正社員として共に仕事をしていくことを前提として今このチームにいるので、あえてここまでお話ししています。棚絵さんはなぜ僕たちの会社を希望されたのですか? 今ここで、あらためて聞かせていただけません? また、僕がこういうお話をするのは諫言といって――ああ、諌める言葉と書くんですよ。正しくは目上の人に対して使う言葉ですが――要するに、普通なら感謝されるべきことなんです。今まで棚絵さんには、こういう諫言をしてくれるような相手がいなかったんでしょうね。学生時代の友人も含めて、上辺だけで人と付き合ってきたんでしょうね。今もほら、『すみません』ではなくて、普通は感謝の言葉を言うものですよ。僕だってわざわざ自分の仕事をストップして、実力もなく、いつまで続くかもわからない試用期間中の人に、こんなことを言うためにエネルギーを使ういわれはないんですよ。一方で、棚絵さんの少し後に入ってきた鈴木さんは、もっと早い段階で『このスケジュールでは無理です』とか『現状ではこれ以上仕事を引き受けられません』と自分から言ってくれましたよ。そうしてくれればこちらも対応できるのに。そもそも棚絵さんは、このスケジュールで納品できると考えていたんですよね?」
 確かに奏は、「限られた時間の中で記事を完成させるためにはどうすればいいだろうか」と、泣きながらそればかり考えてきた。しかし「無理だ」とすぐ断った人間のほうが正解だと言う。その事実は衝撃とともに奏の心を砕いた。
 進捗が遅れたのは奏だけの責任ではない。野見山は急ぎの連絡を何度も無視したくせに、現行プロジェクトと関係ない客からの相談を相手が諦めるまで無視し、奏が伝えていないと客に誤解させて信頼関係を崩したくせに、自分が夜中2時半に仕事を追加してきたくせに、その上こんなふうにハシゴまで外すのか。
 みるみる目の前が暗くなり、周囲から音が消えた。
 奏は、2カ月をすぎたあたりで本格的に体調に変調を来たした。なだれ込むように迎えたお盆休みは、寝込んでいるだけで、墓参りにも行かないうちに終わった。連休が明けると奏は、逃げるように会社を辞めてしまった。自分の心の状態はさておき、野見山の指摘は的確な内容が多いと理解しているだけに、奏にとってそれは大きな挫折となった。
 さらに、当初は休学していただけの大学も、この時期に辞めてしまった。母である佳澄(かすみ)から毎日のように、体調が回復したらこのまま日本で働いてほしいと言われ続けているうちに、心が折れてしまったのだ。すべての状況が落ち着いてから、それでも留学したければ、自分の力で再チャレンジすればいい。それも叶わないようなら、はじめから自分には縁がなかったのだろう。いつの間にか奏も、そう思うようになった。
 朝も夜もなく、ぐったりと部屋で臥せっている間、家の借金を軽くするために帰国したのに、結局は経済的に負担をかけてしまっていることに奏は罪悪感を覚えていた。また、野見山に言われた言葉の数々がなお鮮明に蘇り、昨日よりも強い挫折感を味わうために生き続けているような気分だった。
佳澄は1週間に1、2度おかずをまとめて作り置き、奏が好きなときに食事ができるようにしてくれていた。雄一郎(ゆういちろう)からは頻繁に電話がかかってきたが、その度に奏は父からの連絡を丁重に拒否した。
「大丈夫だから。今はちょっと体調を崩しているだけ。初めて働いたのが多忙な所だったから、身体がビックリしているんだと思う。迷惑をかけて申し訳ないけど、もう少しだけ休ませてもらって、その後はちゃんと働くね。だから、ある程度、返済の目途がつくまでは、どうか連絡してこないで。じゃないと甘えて、家のことからも逃げ出してしまいそうだから」
 両親に同じことを繰り返し伝えているうちに、雄一郎もしぶしぶ納得したようだった。
「ちゃんとお母さんと相談しながら暮らすように」
と言い残し、奏宛てに電話をしてくることがなくなった。(続く)

著者略歴
本間文子(ほんま あやこ)
宮城県生まれ。出版社の宣伝部、書籍や雑誌の編集部勤務を経て、現在フリーランスのライター・編集者としても活動。2002年に「ボディロック?」で第10回ストリートノベル大賞を受賞し、リトルモアからデビュー。著書に『ボディロック‼︎‼︎‼︎!︎』(リトルモア)、『ラフ』(エンターブレイン/現:KADOKAWA)がある。2020年4月に新刊出版予定。
本間さんから読者へのメッセージ
昔、転職先を探していたときに、自費出版系の出版社の求人広告を見たことがあります。のちに一部の自費出版やセミナービジネスではどのような営業が行われるかを知り、私自身や母も似たような営業に騙されてしまったことがあると気付きました。こういった経験から興味がわき、騙されやすい人にはどういったタイプが多いのか、人はどういった営業トークに釣られてしまうのかを調べているうちに、この物語の構想につながっていきました。ひさしぶりのオリジナル書下ろし小説となる本作は、日々プレッシャーと闘いながら仕事をしている人や、周囲の人たちから浮いて、心を矯正されそうになっているあなたに読んでほしいと、心から願っています。

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