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【東京Oターン日記】存在を肯定してほしかった、あの日のわたしへ。

Oターンという言葉をご存知だろうか。
東京に進学し、地元へUターンしたものの、再度東京へ戻ってきた人のことを言うらしい。

わたしは11月に東京へOターンしてきた。
新卒で地元・北海道に戻り、4年で2社を経験したものの、やっぱり東京で自分の限界に挑戦してみたくなった。

長くなるので、いくつかの記事にわけて書こうと思う。
今回の記事では、わたしが北海道に戻ったわけと、Oターンを決めたわけを綴る。

そもそも、新卒で北海道に帰った理由は、半分真面目で半分ヤケクソだった。
「北海道と全国を繋げる人になりたい」
その夢は、今も昔も変わっていない。
一方で、大学時代を東京で過ごしてみると苦しいことが物凄く多く、家族の近くで守られながら暮らすことに飢えていたのだ。
誰でもいいから、わたしを肯定してほしい。
そんな甘い気持ちがあったのだと思う。

大学の単位取得がかなりギリギリだったので、
(ダメな方向に反骨精神が働いた結果、歌ってばかりで勉学に身が入らなかった)
当然就職活動に身が入るわけもなく。
対策なんかほとんどせず、元からある才能と感性だけでマスコミ業界に滑り込んだ。
これは完全に運だった気がする。

ただ、現実は甘くなかった。
社会人としての洗礼なのかもしれないが、
褒められることなんかほとんどない。
1ヶ月に1度あれば救われる程度。
毎日のほとんどが、叱咤、叱咤、叱咤で
存在を肯定されるどころか、否定されているような感覚だった。
当時わたしは、新卒で入る事例がほとんどない、花形の部署へと入れられており、
「私がいなくたって成り立つのでは」と自問自答する日々だった。

結果的に、労働環境や自分のキャリア志向、会社の将来性を加味して退職を決意する。

2社目は、今度こそ自分の存在が肯定されそうな、得意分野への転職だった。
わたしは家族が一次産業に関わる仕事をしていて、小さい頃からこの業界へどうにかして貢献したいと思っていた。
ただし、研究とかはからっきしなので、自分の特性を活かすしかない。
そんなわけで、天性の文章力(とマスコミでの経験)を引っ提げて転職したのだった。
幸運にも、元々好きだった英語を活かす機会があり、走り出しは順調だった。

ところが、ここは前職と違って
仕事に対し何の枠も定められていなかったので
自由に動ける反面、自分のアウトプットについて良し悪しを判断できなかった。
出しても、出しても、スルー。
受け取る人がいないのである。

新しいことにどんどん挑戦させてもらえたことは大変ありがたかったが、私自身の成長へ限界を感じた。

もっといろんな人と切磋琢磨しながら、自分を高めていきたい。
そう思って、Oターンを決意した。

実は北海道でも内定をいただいていたのだが、
現在の職場の方が選考スピードが早かったこと、
待遇が天と地の差で、期待に応えたいと強く思ったことから、リスクを負ってでも東京へ出ることを決めた。

あのとき、自分の存在を肯定して欲しくて北海道へ逃げ帰った私へ。
紆余曲折あったけれど、北海道で磨きをかけて、今は東京で元気に働いているよ。

実際に東京へ行くことを決めてから、一苦労あったのだが、その話はまた今度。

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