娘になって欲しい姿は自分のなりたい姿
娘が生まれて3ヶ月が経った。
私としては初めての女の子。
女の子を産んだことで最近つくづく思うことがある。
「娘には強く生きていって欲しい」
私の第一子は男の子だった。
息子を産んだ時は育児が忙しすぎて、自分も必死すぎて「こうなって欲しい」とかあまり考えずにいた。
娘は2人目で余裕があるというのもあるかもしれないが、私と同じ女性ということで、女性ならではの思い入れもある。
今も、これからも、女性は生きていくのは大変だと思うことが多いだろう。
仕事もして、結婚したら家事もして、子供を産んだら育児もして…
だんだん男性と家事分担できたり、男性が育児参加してくれたりしていっていると思うが、現在でも女性の家事育児分担は男性より多いと思う。
それによって仕事もセーブしないといけなかったり…。
(男性ももちろんだが)女性もやることが沢山あるから、仕事・家事・育児の両立ができなくて、何かを疎かにしてしまう人も多いと思う。
そしてこの女性の負担の大きさは娘が成人してもそんなに改善されていないかもしれない。
「文化」というのはそう簡単に変わらないと思うからだ。
現代を生きる女性、少なくとも私はやるべきことに忙殺されて、やりたいことはできないどころか、やりたいことすらわからなくなってきていると思う。
それは普通に学校を出て就職して結婚、出産を経ると自然とそういう風になるのかもしれない。
私は娘にはそういう風になって欲しくない。
これから日本はますます少子高齢化社会になり、若者は男性女性関係なく今まで以上に労働させられるようになり、安い賃金、高い物価で生活しなければならず、生活はやるべきことであふれかえるようになるかもしれない。
でも、娘には(これは若者全員かもしれないが)そんな逆境に負けず、「自分のやりたいことをやり、人生を楽しく過ごせる強い人」になって欲しい。
それはとても難しいことだ。
でも、そういうことを考えていたらまず「娘にそうなって欲しいなら自分もそうならないといけない」と思えてきた。
よく親で自分がなりたかった姿を子供に投影する人がいるが、その前に自分がそうなれるようにしたらいいのにと思う。
私も現状に不満を持って娘にはこうあって欲しいと思うなら、まず今の自分から変えていかないといけない。
昨日はちょっとしたことで落ち込んでしまい、寝る前にウジウジと考えていた。
でも、落ち込んでいるなら失敗したことをどうすれば良かったか、今後の対策を考える方がちょっとでも前に進める。
落ち込んでいても何も前に進まない。
こんな落ち込んでいる姿は娘に見せられるのか。
そう思うと、娘になって欲しい姿は自分のなりたい姿だと思い、自分自身も一日一日を少しでも前進しながら生きていきたいと思った。
今まで「育児は育自」という言葉の意味があまりわからなかったけど、最近本当にその通りだと実感する。
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