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I need 湯

明かりの付いていない、暗い銭湯の玄関の前に書かれていた張り紙の文言をみてただ立ち尽くした。

「休業中です。」

ガガガガーンという効果音がぴったりだろう。
久しぶりに日頃の疲れをとりたいのと大きなお風呂に入りたいという二つの願望を叶えるためにマンションから歩いて10分ほどのところにある銭湯へ行ったらこれだ。
調べたら昨年の4月からこの状態が続いているようで、張り紙には休業中と書かれてあるもののネットとは恐ろしくすでに「廃業」だとか「閉業」の言葉が並んでいる。あながちどちらの言葉も間違いではないのかもしれない。
なぜなら2階に設置されている窓にはカーテンがなく明らかに物が置かれてない様子だったから。
銭湯という建物だけがドシッと構えているだけできっと中は空なのだろう。
銭湯の主も、客も、湯もない銭湯はこんなにも寂しく、悲しく見えるのか。
すぐに「どうしてもっとこの銭湯に通わなかったんだろう。」ということと通わなかった、いや通えなかった約1年のことを思い返しては行けなかったことへの後悔の気持ちが湯のごとくふつふつと湧き上がる。

一番最初にここを訪れた時。
今日と同じように仕事の疲れを癒すために銭湯ののれんをくぐった。
番頭のおじいさんに「何時までに入ればいいですか?」という、いかにも素人全開の質問に「21時半まで入ってくれれば大丈夫よ。」と笑顔付きで答えてくれたのを今でも覚えている。
それから最初に質問しておいてよかったと思うくらい、何回か私は遅い時間にここを訪れた。
私の行く時間の女湯は貸し切り状態のことが多く、一人で大きなお風呂を占領できるというのは最高に贅沢な時間だ。どれだけ贅沢な気持ちになるかってご機嫌すぎてドリフのいい湯だなを大声で歌いたくなるくらい。きっと歌ったら歌ったで男湯から「下手くそ~!」というヤジか、色とりどりプラスチックの桶が女湯めがけて飛んできそうだ。(その前にマナーとして公衆浴場で歌わないけど。)
‘‘極楽’’とはこういう場所でそういう時間を過ごすことだと熱すぎる湯に浸かる度に思った。残念ながらその極楽は当分味わえそうにない。

きっとあの張り紙の文字は番頭のおじいさんが書いたものだろう。
「休業中です。」の文字の「す」の感じでさえも愛おしい。
それと同時にもう会えないかもしれないと思うとまた後悔の気持ちが湧き上がる。

京都にいたときも広島にいたときも住んでいたマンションの近くには徒歩圏内に銭湯があり、今回の出来事は当たり前にあると思っていた銭湯の抱える問題を垣間見た瞬間だった。問題とは来場者不足や後継者不足等だろうと勝手に推測する。恐らく本当はそれらだけの問題ではなく、低視聴率のドラマよりもはるかに見ごたえのある濃くて深いドラマがあることは間違いない。
次に住む場所の近くで銭湯があればこの出来事をきっと思い出して、疲れたときは極楽を求めに通うだろう。通うということがきっと銭湯のためになると思うから。

今は休業中の文字を信じて青葉湯からまた新たな湯が湧き上がることを願い、ここに記す。




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