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こんばんは、上野。

「結膜炎ですね。」

そう医師から言われてやっぱりかと心の中で呟いた。
私がやっぱりかと確信めいていたのには理由があったからだ。木曜日の夜から瞼が異常に痒く、痛い。鏡をみると赤い。もしかしてと思いながらも木曜日の夜はそうではありませんようにと願いながら眠りについたのに、金曜日の朝に鏡を見ると案の定、腫れている。金曜日の仕事は瞼が気になって仕事どころではない。

土曜日の朝。天気がよくない。傘は手放せない。瞼はやっぱり痒いし、痛い。コンタクトレンズも処方してもらわないといけない。土曜日は当番制の女性医師に診てもらってやっぱり結膜炎だとはっきり診断された。おまけに触ってはいけないということもあり、しばらく眼帯生活。マスク生活に加えて眼帯生活。これで私の顔の3分の2は白色に包まれている。包帯を巻かれたミイラの気分だ。眼帯をしている私を見る周りの目が痛い。いや、私の目の方がもっと痛いのだけれど。

土曜日は忙しい。
眼科の受診を終えて家に戻り早々とお昼ご飯を作り出す。眼科の次は皮膚科に行かなければならない。お昼を駆け込むようにして食べてまた傘を持って地下鉄に乗り込む。新宿線の岩本町から日比谷線の秋葉原への地下鉄の乗り換えはまだまだ慣れない。日比谷線の秋葉原駅のホームに降り立ったときにはいつも息があがって人知れず呼吸を整えている。元々皮膚が弱く、この夏は悩まされた。今、夏からすっかり秋らしくなったので肌の調子は落ち着いている。診てくれた男の医師は見た目から私と年齢がきっと近いこともあってかなりフランクに分かりやすく説明してくれる。でも、この医師ともしばらく会うことはない。

八丁堀の皮膚科を出た後はバスで東京駅八重洲口へ。運よくバスに乗れた。バス停にたどり着くまでに走ったけれど。八重洲ブックセンターに辿り着く。大きい本屋さんはいつだってワクワクさせてくれる。ある人に本を贈るのだけれど、なかなか’’当たり’’だと思う本屋さんに出会えずにいた。Amazonでも本は買えるけれどそれだと味気がない。あの無数にある本の中からこれだと思う本を選ぶ時間が楽しい。ようやく買えたので一安心だ。自分にももちろん買った。江國香織の「泣く大人」と原田マハの「あなたは、誰かの大切な人。」私はちょっと疲れているのかもしれない。

東京駅の地下にあるスターバックスで休憩。人が多い。秋にしか出されないパンプキンタルトとイングリッシュブレックファーストティーラテでオールミルク、ホワイトモカシロップに変更。このカスタムをもう3年ぐらいしている。これに近い味のフラペチーノがでたことがあって販売が終了した後にどうしても飲みたくなり、店員に近い味をカスタムするにはどうすればいいか聞いたらこのカスタムが一番近いとのことだった。甘ったるいこの味が私は気に入っている。フラペチーノではないけれど。

東京駅から山の手線で上野駅へ。
御徒町で若い女性二人が小走りに乗り込んでくる。座席を確保できたことに嬉しそうだ。そんな様子を横目に電車は上野に向かう。
初めての上野。上野と聞けばパンダと動物園、アメ横。これくらいしか思い浮かばない私の乏しい情報。そんな上野に用があって降り立った。景色はすっかり真っ暗だ。待ち遠しかったロンドン・ナショナル・ギャラリー展を見るために国立西洋美術館へ。夜の美術館は特別にドキドキする。ゴッホのひまわり、モネの睡蓮の池にフェルメールのヴァージナルの前に座る若い女性。他にもレンブラントの自画像やトマス・ローレンスのシャーロット王妃。どの絵画も偉大で、豪華で、数百年経っても鮮やかさを保ちながらこうして見ることができることに感動した。視界は結膜炎のせいでよくなかったけれどそれでも記憶に残すように、どれも見逃すまいと一つ一つの展示品を時間をかけてゆっくりと見た。それはとても優雅で贅沢な時間だ。

最後の展示品にゴッホのひまわりの黄色についてのパネルがあり、こう書かれてあった。裏覚えなのだけれど、「ただ、黄色。薄い硫黄の黄色、薄い金色の黄色。それでも彼にとってこの黄色は幸福の黄色と言える。」この文章を見とれて暖かい気持ちになった。ゴッホは描いたひまわりの黄色についてのこの文章を読んだらどんな気持ちがするだろうか。ああ、間違いなく幸福だ。幸福の黄色だ。そんな風に同じ気持ちであってほしい。真っ暗な夜の美術館を後にして私の気持ちには少しの明かりを灯したまま上野を後にした。


そして日曜日。



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