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お湯



「…あ」

確かお風呂の中だった。いつだって思考が深まっていくのはお風呂の中だから。両手で覆う目元が温かくて、膝を抱えてシャワーの音に包まれていた。

もう多分、言えるのかも。

そう気が付いて驚いた。誰に、何と言うか。誰に、の回答は「従兄弟のお兄ちゃん」で、何を、の回答は「あなたからの性暴力で私はこんなに壊れたよ」だ。


前回、シャワーに洗い流してもらいながら泣いていた時は、そのことを考えると瞬く間に動悸がして息が荒くなった。返してほしい回答はただ一つ決まっていて、それ以外の回答、まして「あ、そうだったんだ。それで?」くらいのライトな言葉が返ってこようものなら、その場で何か、硬く重たいものを手に取り、振り下ろすかもしれないと思った。


今。多分、彼にそれを伝えて、それでなんという回答が返ってこようとも、きっとなんとも思わない。正解が返って来るようにと強く願うことも、不正解に殺意を抱くことも、もう、無い気がする。そして何より、それを伝えたいとも思っていない。


前回泣いていたのが1年前なのか2年前なのか、もう思い出せないけど、なんとなくまた一つ、自分で膿を取り除けた気がした。母親に打ち明けることができたときも、自分の叫び声で目を覚ますことがなくなったときも、「次は死ねばいっか」と思わなくなったときも、私は少しずつ、自分の傷を治してきた。膿を綺麗に取り除き、消毒し、清潔な膜で覆う。ひたすらそれを繰り返していく。その作業はきっと他の誰でもなく、私にしかできない。


膿を取り除こうとする、その気力を与えてくれる人達に出会えたことが私の何よりの救いで。まだあといくつ残っているのか分からないこの膿を、全て取り除いて死ねたらいいなと思っている。死ぬまでになくなればいいな、とも思うし、もし可能なのであれば、次のステージに進むまでに取り除ききれたらいいなと思う。次のステージとは、私が私のためだけに生きることができていた「今のステージ」のあとに続くもので、例えばそれは出産のあとに続いたりする。





ふさがった傷が開いていないか、ちゃんと綺麗に乾いているか。いくつかあるその場所を、なぞって確かめながら生きている。

今新たに乾きつつあるその場所に、そっと触れながら、「もう二度と傷つけずに生きていけますように」とささやかに願った。




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