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初夜




「今?元彼の家いる」

なにしてんのと笑う友人の温度感は想定通りで、本人不在のアパートで布団の上に寝転がりスマホをいじっていた。

『会員登録ありがとうございます』

の感謝を無視してページを進めていく。アプリの使い方の説明と、必要事項の記入を淡々と済ませる。プロフィールを作成しようとして、ふと手が止まった。自分の本名以外の名前を考えるのは初めてだ。何と名付けていいのか戸惑った。数秒考えていい案を思いつく。その名前に決めた。

「うわ~。プロフだって。なんて書こう」

電話越しの友人に問いかける。薄暗く月の光が差し込む部屋、元彼はあと2日程帰ってこない。友人がソツなく無難で可愛い文面を提案したのでそのまま書き写していった。カーテンを持ち上げる風が少し肌寒くて、立ち上がって窓を閉めた。



登録が済んでアプリの画面が切り替わった。

男性ユーザーの顔写真がずらりと並ぶ。


「ね~~!すっごいおじさんの数!」


やだ~!最悪笑、と友人が笑った。60代も70代もいるよ!うそ?いるいる!アプリ使えるんだね、とLINEで画面共有しながら男性プロフィールを流し見ていく。


「そっちでの相場っていくらくらいだった?」

『私が1年前にやってみたとき、ご飯行って2~3時間で3万もらえたよ。社長だった。』

「嘘でしょ。何その世界」

『でも東京だったらもっともらえるんじゃない?』


電話越しの友人は地元の予備校で知り合った仲で、私よりずっと綺麗で聡明で、早い段階でこういう世界を知っていた。今回、このアプリを教えてくれて私を唆してくれたのも彼女だ。



「や~~。ずっとやってみたかったんだよね。彼氏とも別れたし。自由の身になったから。興味あったこと全部やりたいと思って」

『ネクなら多分できるよ笑。得意でしょ男の人転がすの』

「通用するかな?」

『するする。おじさんたち、思ってるより頭悪いから』


強気で勝気な友人の言葉で笑ってしまう。画面を見たらホーム画面に通知が来ていた。

「ねえもうメッセージきた!」

なんて?と尋ねる友人に文面を読み上げる。この時届いていたメッセージは忘れてしまった。ただ、自分の身分証明書の写真を撮って運営に送らないとメッセージが返せないと知って、戸惑いながら送った記憶がある。




なんであの日元彼の家に居たのかはあまり覚えていない。ただ、倹約家で贅沢を嫌う彼と過ごしていたらこの先見られない景色に近付いていく気がして、ドキドキしたことだけは覚えている。今思えば若気の至りによる好奇心と、元彼の主義思想に対するアンチテーゼと、もっと心の深いところで言えば復讐心ともとれる動機で踏み込んだと思う。踏み込んでから、もう年単位の時間が流れている。


アプリを開けば年上の男性からメッセージが届く。時に丁寧に、時に高圧的に。

話し相手になればお小遣いがもらえる。時に高揚し、時に辟易する。

欲望を擦り付けられる。時に可愛さを感じ、時に憎悪を抱く。


そういう世界にやってきて、何を見て、何を知り、何を思うか。そう長く持ちはしない市場価値を纏っている今、記録として書き残していこうと思う。



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