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社会運動の機能しなさ。

BLMが出てきたとき、黒人は白人を滅ぼすかwhite trashと呼ばれる人々と共に闘うべきで、
LGBTの社会運動がしたいなら、女性を消滅させるか、ストレートカップルのために立ち上がるかで、フェミニストは男と専業主婦を滅ぼすかしかない。
なぜ共闘が無理だったり不在なのかと言えば、部族の解体こそが近代化であり、一切は近代化の帰結に対するガス抜きだからだ。

つまるところ、近代化を抑制できるのは貴族だけで、逆に加速できるのは資本家だけであり、
近代化の兵隊でしかない、解体された元部族としての市民が、近代化という概念をぶん殴れる主体になることが不可能だからだ。

SNSで回ってくる動画や個別の事件を立場に紐づけて解釈し、その内容を巡っては揉めてを、延々と繰り返すのは、
個別の問題が、お互いのつまらない運動もどきに都合のよい問題として、実体化してくれたかのように捉えているからだ。
共通の物語があるのは部族であり、物的証拠としてストーリーがやって来てくれれば、
これで、全てのそういった運動家とアンチが、近代化の抑制と加速が可能であるようなふりができる。
活動家の現実と、のほほんと無視できる環境にある人と境遇は同じなので、放っておけるなら放っておけばいい。

例えば、専業主婦の悪魔化の結果、娼婦が増えたとは考えることはないし、
特別、悪魔化してやらなくても、現実には社会運動がなくても、勝手に共働きが当たり前になるのだから、責任逃れが出来るわけだ。
第一、今どき、娘ほども歳の離れたよその子をつかまえて、学ぶな働くななんて言う男なんて、そういないだろう。
むしろ、存在しながら放置されているのは、全ての女性に自立を促し、主観的な人からぶっ壊れていく現実だけだ。 

ようするに、納税者は増えろ、顧客も増えろ、いないなら外国人だ。工業は人がいらなくなりました。
という、人口に対する姥棄てと間引きの、社会保証費と労働市場の事情が足され、
ミドルクラスを動員する新しい販路がないだけで、要するに、近代国家には、脱工業化から先がないのだ。

結局、金融商品を売りさばくに当たり、積み立てNISAは大資本家の利益に課税する代わりに課税された。
労働者が不必要になった世界では、税金そのものが戦時に徴収される鉄でありながら、徴兵の代替物なのだろう。
別段、高尚な文学なんて読まなくても直感で拒否していれば事足りるが、
小馬鹿にしたならしたで、その小馬鹿にされた古典や近代文学の顛末の方を自分ごとにしていないと、
民主主義は資本主義に飲み込まれてはいません。という、アリバイ作りの駒にされてしまうのだなと思った。

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