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Nikon1の思い出、カメラと私。

5年前のちょうど今くらい、急な用事でカメラが必要になった。

どうせカメラを趣味にすることは無いからと、間に合わせとしてとにかく安いものを探して、ちょうどAmazonで安くなっていたNikon1(S2)の標準ズームレンズキットを注文した。

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カメラの事は何も知らなかった。それでも、カメラを向けてシャッターボタンを押せば携帯よりもきれいに撮れるのが思ったより楽しくて、カメラを趣味にすることは無いって思ってたのに、気づけばどこにでも連れて行くようになったっけ。

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当時、宮崎あおいか誰かがOLYMPUS PENだったかのCMで単焦点レンズの宣伝をしていたのを覚えていて、何となく、単焦点レンズって写りが良くてオシャレなレンズなんだなという認識があり、せっかくレンズ交換式カメラを持っていることだし、Nikon1対応の単焦点レンズを調べて、1NIKKOR 18.5mm F1.8という単焦点レンズを買った。キットのズームレンズやスマホのカメラに慣れていたから、換算50mmの画角の狭さに驚いたけど、その「切り取る」感覚が楽しくて、すぐに気に入った。なにより、背景がきれいにボケて、いかにも一眼カメラで撮りました!というような写真が簡単に撮れて楽しかった。というかボケの写真ばっか撮ってる。だって楽しいんだもん。

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「撒き餌」レンズで味をしめたら、今度は望遠のズームレンズが欲しくなって、暗号通貨でアテたお金で1NIKKOR 30-110mmを買い足した。これが中々優秀で、ポケットに入る小ささなのに換算300mmまでズームできて、日常的な視覚からは想像もつかないような写真がとれた。

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カメラのレンズを替えることは、ちがった言語で世界を表現することに似ているように感じた。言語が違えば、世界の見え方、切り取り方がまったく違うように、レンズが変わると、被写体は同じでも、まるで世界が変わってしまったかのように、まったく違う写り方をする。この世界をもっと違った仕方で切り取って、いろんな方向から眺めてみたくなる。そのモチベーションは、私が大学で言語を勉強するモチベーションとほとんど同じものだった。

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写真を撮ることは大好きでも、カメラの事はほとんど何も知らなかったし、カメラ趣味の同輩に機材を見せるとちょっと複雑な顔をされたりもしたけど、レンズをかえてシャッターボタンを押すだけで世界の新しい側面を見せてくれるカメラがただただ大好きだった。いつでも、どこへ行くときも首から提げていた白いNikon1は、生活をちょっと違った視点から切り取って、もっと楽しくしてくれた。常に首から提げていても肩がこらない重さで、授業にも、買い物にも、いつでもどこでも連れて行ける相棒のような存在だった。

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いつでも一緒だと、往々にして事件は起こるもの。ドイツ語の授業をいっしょに受けていた友人と、試験が終わったら海を見に行こうと約束して、半袖短パンにビーチサンダルで試験を受けて、終わったらバスで海へ直行。そこで試験が終わった開放感から、首からNikon1を提げたまま海にダイブ。ただの水没ならまだしも、電子機器にとって海水はあまりに分が悪い。ああ、終わった…と思った。愛機が塩水に浸かったという現実が受け入れられなくて、せめてもの悪あがきとして、家に帰ってから水道水でじゃぶじゃぶ洗って、無水エタノールで数日かけて乾かした。覚悟をきめてバッテリーを入れて、電源ボタンを押すと…なんとびっくり!ボタン類の動きが怪しくなった程度で、他はいたって元気じゃないですか!電源ボタンが敏感になりすぎていて、鞄の中で勝手に起動して電池切れになる事が多くなったので、けっきょくNikon1 J4のブラックに代替わりすることになったけどね。白いNikon1は自分のトレードマークみたいになっていたので、黒いNikon1を首から提げていった時は同輩にびっくりされたっけ。

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その後、ひょんな縁でフィルムカメラやオールドレンズを使うようになった。フィルムカメラに慣れてくるとデジタルでもファインダーを覗きたくなるし、マニュアルフォーカスで使うことがあまり想定されていないカメラだからピント合わせは当てずっぽうになりがちだし、おまけにオールドレンズでは絞り優先オートも効かないとなると、Nikon1では無い無い尽くしで不満が出てきた。

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ピントがうまく合わせられなかったり、自動露出が効かず写真が明るかったり暗かったりして、最初のうちはそういう不便さがもたらす偶発的な「味」が楽しかった。でも撮るうちに、撮れるはずだったのに撮れなかった失敗写真が積み重なっていって、段々と楽しみ方のほうが制約されていった。

Nikon1シリーズでオールドレンズがちゃんと使えるモデルはラインナップされておらず、シリーズ全体としてもディスコンがアナウンスされていた。いつでもどこでもいっしょで、写真の楽しさをたくさん教えてくれたNikon1だったけども、カメラのある生活をこれからもっともっと楽しんでいくためには、お別れするしかなかった。

今はデジタルの一眼カメラは「OLYMPUS OM-D E-M10 markII」というマイクロフォーサーズのミラーレスを使っているけど、Nikon1で使っていた標準単焦点レンズと望遠ズームレンズに相当するレンズはずっと持っていなかった。というか、持てなかった。写真の新しい楽しさを求めて買い替えたシステムだから、今まで使ったことが無かったようなレンズを積極的に揃えたけど、一番慣れ親しんだ標準単焦点レンズと望遠ズームレンズを新しいシステムに迎えるには、Nikon1とお別れするための余韻の時間が必要だった。つい先日になってようやっと「DG SUMMILUX 25mm F1.4」という標準単焦点レンズと「M.ZUIKO DIGITAL 40-150mm F4-5.6」という望遠ズームレンズを迎えられたのは、その気持ちの整理がやっとついたって事なのかなと思う。

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当時の写真をこうやって並べて見かえすと、今となってはアラが目立つけど、写真が楽しかったのは、あの頃も、今も、おんなじだったんだなあって思う。Nikon1と過ごしたすべての瞬間に感謝のことばを述べたくてnoteを書き始めたら、思ったより長くなってしまった。

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