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「最後は臼が笑う」 -読書記録vol.3-

唐突に、ご無沙汰していた日記を開いた。
一番最新は6月26日。本の引用を手書きで記していたのでここで僭越ながら紹介を。

本の主人公は、碌でもない男にことごとくひっかり続けてきた30代女性。それまでの恋愛経験から「善はどこから見ても丸いが、悪は近付くほどに印象を変える」と友人たちに豪語している。そしてまたも潜む悪に気づかぬまま新しい男に期待を寄せ、見事に引っかかる。そんな彼女の言葉に対し、友人である「私」が返した次の言葉を日記に残していた。

むしろ善のほうが近付くほどに意外なほころびを呈したり、その内側に囲っていた悪を露見させたりと、多彩な変化を見せるのではないか。
善の複雑さ、悪をも呑み込む懐の深さに比べ、悪はあまりにも一辺倒すぎるのではないか。

『最後は臼が笑う』(森絵都)より

引用したのは森絵都さんの『最後は臼が笑う』。作家に詳しくない私でも森絵都さんのお名前は知っている。確か小学生の頃『カラフル』というタイトルの小説を読んだような記憶がある。

読みやすくてポップな文体。一癖ありながらも憎めないキャラクターたちが登場する小説だったこと、そして『カラフル』との出会いは姉の本棚から勝手に発掘したことを覚えている。

初めに戻るが、6月26日に日記に記していた『最後は臼が笑う』は、大学からの家路、電車で読んでいたKindle作品である。

恋愛や人を善悪で表現する、と言うのが自分の価値観になかったために主人公「桜」の台詞と「私」の切り返しは掴みにくいところがあった。
だからこそ、消化不良のまま、日記に残していたと言うことに違いない。

そして先に引用した善悪の描き方では善と悪が二項対立のように感じられた。私の中では善も悪も、仏教の陰陽の考え方や光と影の存在のように、表裏一体で存在していて、片側から見れば悪でももう一方から覗くと善である、という考えを持っている。なので「善の懐の深さ」という表現に少々驚かされた。

Kindleで無料だったこともあり、何気なく読み始めた(わずか30ページほどの)短編小説だが、また読み直す機会が来るかもしれない。




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