India life Day22〜24
書き出したいテーマや
降りてくる言葉が沢山あり
中々頭の中や文の構成を整理するのが
難しいここ数日。
ゆっくりと過ごせたムーンデーが終わり
インドでの生活も残すところ後4日となった。
やっと身体も心もこちらでの生活に慣れてきた
このタイミングでの帰国は
毎度もどかしさを感じる。
でも私はこの1ヶ月という周期が
更に自身の鍛錬に身が入り
集中でき
尚且つ自己観察に最適な期間な気がする。
初めて訪れたインド滞在は2週間。
当時26.27歳。
日々の生活と身体を酷使しながら
1日に何回ものレッスンをこなし
自分に自信をつけたくて
肩書き欲しさに色んなTTへ参加していた。
決して安くはない
一つのTTで30〜5.60万はかかる中
周りには余裕なフリをしながら
毎日を過ごすのに精一杯だった。
なにかをしなければ。
何者かにならなければ。
そればかり考え
その行動がまた更に自分を苦しめていた。
そんなタイミングでの
アシュタンガヨガとの出会い、
英樹さんとの出会い。
何かが変わる音がした。
今だから言えるのは
私は金融機関からお金を借りてまでして
インドへいきました。
まだ20代そこそこの
不安定な職種の
普通の女の子が
二つ返事で海外に行けるほど
私には余裕もなんてものはなかった。
助けてくれる彼もいなければ
身内にお金すら貸してたくらいだ。
インドに行くか?
と聞かれた時に
勿論『はい。』と即答できる状況ではなかった。
お金の問題。
レギュラーレッスンなどの代行
仕事の問題。
2〜3週間も日本にいないとなると
その当時はレギュラークラスを手放さなければ
いけない場所もあり
また約1ヶ月仕事ができない事も
収入が入ってこなくなる不安があった。
なのに私の口から出た答えは
『行きます』
だったのだ。
自分でも驚いた。
勿論今思えば観光気分や
憧れ、そして期待に応えたいという
私の根っからの優等生気質なところもあるだろう。
しかし私の直感が
行くという決断を下した。
人生は短い。
その終わりの瞬間に
私は度々遭遇している。
祖父、祖母の死
友人の自死
そして私自身が自死を選ぼうとしてた事もある。
明日が来ると思うな。
今日という日は
2度とこない。
いつからかそう思うようになった。
海外に行くとなると
よく言われたのは
『いいなぁー、お金あって』
『私も行きたいなぁー』
など渇望した声だ。
いいな、ああしたいな、こうしたいな
んじゃあいつするのか?
言葉ではいつだってどこだって
どうにだって言える。
人を羨んでいたって
結局は行動しないと何も変わらない。
だって私たちの今日は
今しかないんだから。
お金なんてまた働けばいい。
私はまだ若い。
そして健康だ。
2019年の春
私はダクシナというものが
なんなのかと言うのを
身をもって体感した。
私が私自身の成長のために。
私が日々学べる環境や指導してくださる
先生の為に
私が今日もこうして笑顔で呼吸ができることに
美味しく友人たちとご飯が食べれることに
待っていてくれる家族のために
生徒さんのために
ダクシナとは私自身への自己投資だ。
その私自身とは決して
この身体のことを言うんじゃない。
私たちは
身体、心、スピリット
この3つで一つ
その中を日々旅している。
身体の成長に
心の成長に
魂の成長に。
感謝の気持ちを。
海外にいくことだけが
自己投資ではない。
日々のプラクティスでも
自分の口の中に入るものでも
読んだり、聞いたり、観たりするものでも
全てが私自身の為になる。
それはすぐ花開く人もいれば
中々土の中から芽が出てこない人もいる。
でも何もしないでただ突っ立っているより
何か行動してその変化を観察して
旅していく方が
よほどいいんじゃないか。
大きな一歩じゃなくていい。
自分に合った
『大きな一歩』を。
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