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フランス料理コンクールの始まり

フランスレストラン文化振興協会(略称、APGF)note編集部員です。
APGF公式noteの 第一回目の記事は、APGF大沢晴美代表にお話をお伺いしました。
是非、APGF発足とコンクール始まりの経緯を楽しんでください。

はじめに

APGF代表の大沢晴美です。
私は1990年にフランス料理文化センター(FFCC)を立ち上げて、フランスの食文化を日本で普及する活動に携わる一方、レストランの両輪、料理とサービスのプロフェッショナルの皆さんのお手伝いをする活動を積み重ねてきました。

その柱としてきたのが「コンクール」の開催です。

2017年FFCCがコンクールから撤退することを決定したことを受け、私たちは新たに「フランスレストラン文化振興協会(APGF)」を創設して料理・サービスコンクールの継続と継承に注力しています。

それではなぜコンクールなのか?

両コンクールの誕生について書いてみたいと思います。

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フランス料理コンクールの始まり、小野正吉シェフのこと

初めての料理コンクールは1992年

翌1993年まではFFCCの講習を受講した方々を対象に開催しましたが、第1回の審査委員には当時ミシュランガイド(フランス)の編集長、ベルナール・ネジュレーヌさん、ホテルオークラの小野正吉シェフなど錚々たるメンバーが参加してくださいました。

結果発表・授賞式で、私が「オノ・ショーキチ」と呼んでしまい、小野シェフに「俺はマサキチだ」と叱られたことを今でも覚えています。

当時のフランス料理業界で小野シェフを知らない人はいなかったでしょうが、私はFFCC事務局長とはいえ、全くの業界素人だったのです。

怖いもの知らずで、オークラの調理事務所に乗り込み、いきなり小野シェフに直談判して審査委員を引き受けていただいたのでした。

FFCC発足から2年しかたっていないのですから、まだまだ業界での認知度は低いものでした。

それなのになぜ依頼を引き受けてくださったのかを考えてみると、多分、根っこにはシェフのフランスへの思いの強さがあったのではないかと思います。

1980年代半ばからフランス随一のプロ養成校、フェランディの講師を日本に招聘したり、また日本人プロ料理人の料理留学を実施したりしていた私は、日本の業界には疎くとも小野シェフがフランス修行中に親しくされていたフランス人シェフ関係者とフェランディを通じてフランスで交流を持っていました。

あいつは今、どうしてる?息子は?というお話し相手になることができましたから、小野シェフはそんな会話を楽しんでいらっしゃったのかもしれませんし、ご自分でフランス語のメニューを書くことにもこだわりを持っておいででしたから、フランスへの思いが極めて強かったのだろうと想像しています。


メートル・キュイジニエ・ド・フランス(MCF)とジャン・シリンジャ―シェフのこと

1994年にはこの料理コンクールを全国レベルに拡大しました。

きっかけは一人の革新的なアルザスのシェフ、ジャン・シリンジャ―さんです。

メートル・・キュイジニエ・ド・フランスMaitres cuisiniers de France(MCF)は、ルシアン・オジエ(小野シェフの友人でした)らの尽力により1967年に発足した著名シェフの集まる協会です。

1951年に発足したMaitres Queuxがその前身です。

1970年代にはアレクシイ・タンゴ会長の下,大企業の支援も得てネットワークを拡大、1980年代にはポール・ルイ・メソニエ会長が「MCFガイドブック」を創刊、ロジェ・ルーク会長は入会資格の厳格化を推進するなどして協会の拡大進化を進めました。若手養成のため「フランス最優秀アプランティコンクール」も主催しています。

1991年に会長となったジャン・シリンジャ―シェフはコルマールの二つ星レストランのオーナーシェフで、生粋のアルザス人で国際感覚に優れ、MCFの国際化を打ち出しました。

クイーン・エリザベス号の航海でMCFの美食会を開催するなどフランス国外の活動も推進しようとしたのです。

その一環としてFFCCのフランス料理コンクールが目に留まりました

シリンジャ―会長は第3回FFCC料理コンクールに自らMCFトロフィーを持参し、第1回MCFコンクールとしての審査委員長を務めました。1994年のことです。

しかし翌1995年の第2回MCFコンクールでも来日して審査委員長を務めたシリンジャ―シェフに悲劇が襲います

その冬, 放火によるレストランの火災で急逝されてしまったのです。アルザスの一流レストランですから、ワインだけではなくアルコール類も豊富に貯蔵されていたことから、火の回りが早かったのではないかといわれています。

本当に大ショックでした!

レストランにお邪魔すると、地下のカーブでアペリティフを。料理はアルザスの食材を使用しながらも、郷土料理とは一線を画するクリエーティブなモダン・ガストロノミ―を目指しているシェフでした。

私たちはシリンジャ―シェフへの感謝と敬意をこめてコンクールの名称を「メートルキュイジニエ・ド・フランス “ジャン・シリンジャ―杯”」と改名しました。

以上の経過は「MCFガイドブック」内の“MCFの沿革”に正式に記載されています。

2021年には第19回を迎えるコンクールのために、私たちはすでに準備に入っています。


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