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個々人の「感じ方」に、どう対応していくのか|5/26〜6/1

緊急事態宣言のなかで始めた日々の記録。火曜日から始まる1週間。ステイホームのリモートワーク。仕事と生活のあわい。言えることもあれば言えないこともある。ほぼ1か月前の出来事を振り返ります。

2020年5月26日(火) 自宅

10時から係会(注:東京アートポイント計画スタッフの定例会)。先週は休んだので1週間ぶり。それぞれ事業の近況を共有する。ふたつの話題を思い出す。数日前の移動する中心|GAYAの打合せで最後に話したオフラインの場でもオンラインの選択肢を用意するということ。緊急事態宣言が解除になった途端になし崩し的にいろんな場所が使えるようになるかもしれない。でも、そんなときに物理的に集まりたくない人もいるだろう。たとえば、自転車で行けるところならばいいけれど、公共交通機関を使うならば避けたい、と。これからはオンラインとリアルな場所のどっちかではなく、どっちも参加形態としてありにしていく必要があるのだろう。もうひとつ、東京以外に動くときの基準として、県境の移動自粛をひとつのラインとすること。それも、6月19日に政府は「容認」の可能性がある。ラインがなくなったならば、すぐに動けるとは思えない。個々の現場レベルで判断をつくっていくしかないのだろう。
東京都が22日に発表した「新型コロナウイルス感染症を乗り越えるためのロードマップ」。会話のなかにロードマップにあったステップ1、2、3という言葉が入り込むようになった。ベイブリッジを赤くして知らせる「東京アラート」は大阪モデルに倣ったらしい。なんのこっちゃ。ミーティングで、そんな会話をする。また言葉が増えている。
NOOKと長時間のZoomミーティング。いま劇場で上演するとはどういうことか。これからどうなるか。アートはどこに触れていくのか。深遠な議論を繰り広げ、実務的な話題を詰める。焼肉を食べたい、で終わる。

2020年5月27日(水) 自宅

近所の公園に出かける。木陰で距離を取って談笑している人たちがいる。鬼ごっこをする小学生たちは、ときたま水飲み場で水を飲んでいる。
Yahoo!トップニュースに「芸術関係者に最大150万円」の見出し。

政府は26日、新型コロナウイルスに対応する第2次補正予算案に、文化芸術・スポーツ関係者や団体に対して、活動の継続や再開などを支援するために、総額で560億円規模の新たな支援策を盛り込む方針を固めた。個人に対しては、最大で150万円を支援する方針。2月末に政府が大規模イベント開催の自粛を呼びかけてから、演劇や音楽会などが相次いで中止や延期に追い込まれており、関係者や与野党内からより踏み込んだ公的支援を求める声が高まっていた。
これまで政府は、イベントのチケット代金の払い戻しを受けない人への税優遇制度の創設や、文化施設の感染症対策(21億円)、活動機会を失った文化団体や芸術家らの公演・展覧会の実施(13億円)などを講じてきた。コロナ問題の収束後を視野に入れた内容が目立ち、イベントの損失補償については具体的な支援策を示してこなかった。

2020年5月28日(木) 市ヶ谷

出社。行きの電車に乗りながら、畠山(直哉)さんの『気仙川』のあとがきで池澤夏樹さんの言葉を引いて「あのとき感じたことは本当のこと」と言っていたくだりを思い出した。これまで見えた「本当のこと」に踏ん張るタイミングが来ているのかもしれない。
昼に行ったカフェの定員さんの声が小さかった。そんな雰囲気の人ではあったけれど、この状況下で配慮した結果なのか。判断が付かない。すべてをコロナのフィルターで見てしまう。
『アートプロジェクト』『アートプロジェクトのピアレビュー』、『補遺』(『「日本型アートプロジェクトの歴史と現在 1990年→2012年」補遺』)を並べて眺める。これに続くような本とは、どういうものだろうか。他分野の人たちや行政の人たち、これからプロジェクトの担い手となるような人たちに向けて。これまでの実践を踏まえた「つくりかた」からその活動の価値を伝えるためには。ぼんやりと方向性が見えた気がする。そのまま行くかはわからないけれど。

2020年5月29日(金) 自宅

いい天気。外に出たいけれど、ステイホームでリモートワーク。この言い回しが気に入ってきた。急速に日常の気分になってきた。昨日はSNSで映画館に行った人の投稿を見かけた。カフェでランチをしている写真をあげている人もいた。
昨日思い出した『気仙川』の「あとがきにかえて」を読み返す。

作家の池澤夏樹さんは「あの時に感じたことが本物である。風化した後の印象でものを考えてはならない」(『春を恨んだりはしない』中央公論新社刊)と、僕たちに釘を刺していた。彼が「風化した後の今」と本に書いたのは、震災後五ヶ月の時点のことだったけれど、はたして現在、世の中はどうなっているかと眺めてみれば、彼の心配したことは予想以上に進んでいると言わざるを得ないだろう。今でも心ある人たちが発している「忘れるな」という呼びかけは、「震災という出来事を忘れるな」「被災者のことを忘れるな」「死者のことを忘れるな」という意味だけで発せられているのではない。あの時僕らの多くは、真剣におののいたり悩んだり反省したり、義憤に駆られたり他人を気遣ったりしたではないか。「忘れるな」とは、あの時の自分の心を、自分が「真実である」と理解したさまざまを「忘れるな」ということなのだ。

いま、必要な言葉だと思った。
夕方にASTT(Art Support Tohoku-Tokyo)ウェブサイトのミーティング。デザインを検討する。
noteの記事を準備する。日記を何度も読み返す。書いていてよかったと思うと同時に、この方向で公開していいのだろうかと不安になる。noteの書き心地がいい。ブログの延長で考えるよりも、感覚はSNSなんだなと思う。

2020年5月30日(土) 自宅

北九州市で感染者が増えている。5月19日に再開していた北九州市立美術館は5月31日から6月18日までを臨時休館とするらしい。
5月28日付の福島民友のオンライン記事「県またぐ「移動」6月1日から 段階的緩和、5都道県へは19日」

県をまたぐ移動について、今月31日まで不要不急の移動を極力避けるよう要請する。6月1日から移動可能とするが、同18日まで北海道と首都圏の1都3県(東京、埼玉、千葉、神奈川)との不要不急の往来を控えるよう呼び掛ける。
 観光は2段階で緩和する。6月18日までは県外からの集客を控え、県内客向けの期間とし、県外の観光客を呼び込むのは同19日からとした。

ラジオ下神白のメンバーにアサダ(ワタル)さんから、この記事が共有される。19日以降にどこまでメンバーが動くのか。アサダさんだけが訪問するのか。いまだ疑問形で結論はない。
「感染拡大地域」と書かれた今日のニュースには北九州市に東京都が並ぶ。東京都の新規感染者数は15人。福島県は5月9日以来、0人が続く。この差が、どう現地の感情に影響するのか。大枠の基準とは別にある個々人の「感じ方」に、どう対応していくのか。枠組みが早く緩みそうだからこそ。

2020年5月31日(日) 自宅

機微がない。オンラインのミーティングが増えて、この言葉が頭をよぎる。ほとんどのストレスは、ここに起因している気がしてきた。細々した揉めごとやすれ違いの原因は、些細なことで、それは対面で会うことが(無意識に)内包していた情報量の欠如なのだろうと思う。対面であるだけで伝わってしまう情報は思ったよりも多い。
オンラインベースだと複数人が関わる仕事の全体像をつくったり、言葉の繋ぎ目になるような感覚の共有がしにくい。予定を押さえて会う。画面に映る。テキストを打つ。意識的に自らを情報化しないとオンラインでは存在しえない。なんでもない時間がつくりにくい。
ふと思う。オンラインの技術を駆使して仕事の「出来る」技術を得ることは、それ以外のコミュニケーションに時間をかけるために必要なのではないだろうか、と。Slackで細かいことは進めておく。その分、Zoomで会うときは近況や雑談に時間をかける。それでも「会う」ことの情報量に及ばない。
以前は会うときに何を交換していたのだろうか。機微を取り戻すには、どうすればいいのか。きびだんごという言葉しか思いつかない。どうしようもない。
明日の夜は全国で花火が上がるらしい。そんなニュースを目にする。

2020年6月1日(月) 自宅

雨で寒い。東京都のロードマップはステップ2に移行する。北九州市の小学校で発生したクラスターと各地の小学校再開が並んでニュースになっている。クリストが昨日亡くなった
noteの原稿整理から始める。細々とした連絡や確認を行う。夕方にZoomで会議。「アートアクセスあだち 音まち千住の縁」の立ち上がりの話をきく。
仕事が終わらなくなってきた。ボリュームが増えたのか、周囲のスピードが上がってきたのか。始まるものが増えてきたからなのかもしれない。やらねばならない原稿に手がつかなかった。そういえば花火は上がったのだろうか。

(つづく)