見出し画像

手放してはいけないものがある|9/21〜9/26

コロナ禍の日々の記録。平日の仕事を中心に。土日祝は休みます(例外あり)。2020年の1回目の緊急事態宣言の最中にはじめた日記はこちらから。3回目の緊急事態宣言解除の日から再開。しばらく続けたい。

2021年9月21日(火) 自宅

午前は「移動する中心|GAYA」のZoomミーティング。「私」の記録(8mmフィルム)が、「私」の家(フィルムの提供者)に還っていく。その「旅」の記録(映像を見て、語って、調べたこと)が残っていく。それがGAYAの目指すところ。では、旅の道連れとなるプレイヤーを増やすには、どうすればよいか? 世田谷にも中間支援的な動きをしている活動がある。そことつながるのがよいのか? 記録を再生する場所をもちたい。GAYAの英語名は「Moving Archive Center in Setagaya|GAYA」。もともとは記録を囲む場=複数の中心(center)を世田谷につくることを目指していた。コロナ禍でなかなか展開出来ていなかったが、映像を見るための手法が出来て、使い手(サンデー・インタビュアーズ)の活動も盛り上がってきた。根幹となる考えかたと手持ちの情報を確認し、これからの動きかたを話し合う。
午後は係会(注:東京アートポイント計画のスタッフ定例会)。各現場の進捗を共有する。感染対策、実施プログラムの振り返りなど動いている活動が多いため、話題はどれも具体的だ。Tokyo Art Research Labの販売書籍は10月から価格を半額にし、来年1月末で販売終了。アーツカウンシル東京には自前のショップがない。販売の機会でもあった対面のイベントは、コロナ禍の影響でなくなった。オンラインショップは開設出来たけれど、公的機関だけに直接取引の手続きは煩雑だった(店舗との取引にしても……)。本づくりはプロジェクトの現場の価値を届けるための大事な手段。それだけに「届けかた」の悩みは尽きない。

東京都の新規感染者数は253人。3ヶ月ぶりに300人を下回る。国内の新規感染者数は1,767人。1,000人台は7月12日以来。

2021年9月22日(水) 市ヶ谷

終日オフィスで作業をする。午後は、来年度以降の東京アートポイント計画で重点的に取り組むトピックをミーティングで整理する。いくつかに絞りこめてきた。内部説明用の書類づくりの方針が固まる。あとは更新あるのみ。
米政府は、東京電力福島第一原子力発電所事故後に開始した、福島県をはじめとする日本の食品輸入規制の撤廃を発表。中国や韓国、台湾など14の国と地域では輸入規制は続く。

2021年9月24日(金)  自宅

終日在宅勤務。オンラインミーティングはなし。黙々とパソコンに向かい、ファイルの作成やメールでの連絡調整を行う。
国立ハンセン病資料館のYouTubeチャンネルで山川冬樹さんの講演「ハンセン病療養所から考える芸術の意味」のアーカイブ動画を視聴する。最後に触れていた大島青松園の野村さんの庭の話が印象に残る。ハンセン病療養所での野村さんの庭づくり。それは「ハンセン病療養所で差別と闘いながら、誰にも侵されない自分だけの領土を獲得し、奪われた時間を取り戻すこと」ではなかったのか。庭は、療養所の生活を自らの土地として「再領土化」する方法としての芸術だったのではないか(ここでの「芸術」は鶴見俊輔の『限界芸術論』にもとづく広い意味で使われている)。誰にも、そんな庭が必要なのだと思う。自分にとって、その庭とは、なんだろうか?
東京都の新規感染者数は235人。週平均の感染者数は500人を下回る。8月末までに自宅療養中に亡くなった人が全国でも少なくとも200人いることが明らかに。うち半数近くが都内。医療体制が追いつかなかったことが原因か。

2021年9月25日(土) 秋葉原

Tokyo Art Research Lab ディスカッション「災間の社会を生きる術(すべ/アート)を探る」の4回目。ゲストは瀬尾夏美さん。震災後に歩んできた道のりでの気づきや獲得(発明)してきた技術をうかがう。ひとつひとつのことばの練度に、これまで求められてきただろう「説明」の場面の多さを想像する。急いでメモをとる。震災直後の現場に入ったとき、被災してたたずみ、所在なさげにしている人たちがいることに気がついた。他者のことばを書く(記録する)。語りがあることで語れない人と橋を架けることができる。現場の「ほんとの感じ」を伝えたい。体験者と非当事者を媒介する聞き手としての「旅人」。時間が経つことで、旅人になることから、旅人をつくることへ向かう。中間的な出会いの場をつくる……。
瀬尾さんの話の後に、参加者はブレイクアウトルームに分かれて、事前に取り組んでいた「コロなかワークシート」の内容を共有する。ブレイクアウトルームは、はじめての試みだったけれど、みんな笑顔で帰ってくる。「コロナ禍は、振り返る機会がない」「時間が止まっているような気がする」。そんな意見を交わしながら「コロなかワークシート」の有効性を実感する。
ディスカッションのテーマである「術」のバリエーションが見えるような回だった。どの話も中核には「記録」があった。そして、記録の「メディア」は、人それぞれであるとともに、社会環境によって変化する。瀬尾さんは震災直後から記録メディアとして使ってきたTwitterと、いまは距離をとっている。それはTwitterという場の変化に影響されている。
この日々の記録はnoteに掲載している。公開することは、続けることへのプレッシャーとして使っている。誰かが読んでいる。そう思うと同時に、この長さは、さほど読まれていないだろうという「半開き」の安心感もある。
東京都の新規感染者数は382人。前の週の同じ曜日を34日連続で下回る。「下回る」の言いかたも、だいぶバリエーションが出てきた。

2021年9月26日(日) 北千住

東京藝術大学千住キャンパスのアサダワタル コロナ禍における緊急アンケートコンサート 「声の質問19 / 19 Vocal Questions」へ。真っ黒い壁のホールに入るのは、ひさしぶりだ。間隔を空けた椅子に座る。舞台上はテーブルに向き合うマイクが並べられたスタジオのようなセッティングだ。前面には透明な障壁が垂れ下がっている。架空の番組仕立てでコンサートは、はじまる。アサダワタルさんが「リスナーのみなさん」と話しかける。リスナーはフロアにいる人たちではないらしい。では、誰なのだろうか? ふと、いとうせいこう『想像ラジオ』のことを思い起こす。会場内の舞台美術に吊り下げられたカセットテープをランダムに再生していく。収録された「質問」が流れる。声色で年代や性別が異なる人たちであることがわかる。質問は、どれもはっきりと回答を出せるものではない。舞台上の演者はパーソナリティとして応答する。曲のパートになれば自ら演奏し、フロアに向かってテーマソングを歌う。目の前で歌う人の姿を見ているだけで、音の震えが伝わってくるようだった。そう、空気は媒体(メディア)だった。オンラインに空気はない。空気があるっていいなと思う。合間にはCMも流れる。後半は、フロアに質問が投げかけられる。会場内をマイクが巡り、現実に引き戻されたかのようにオーディエンスになる。手元のパンフレットに記載された質問に目を落とし、回答を考える。しゃべる、歌う、問い、答える……「Vocal Questions(声の質問)」は、さながら「Vocal Variations(声の変奏)」だった。公演が終わると、拍手がぱらぱらと巻き起こる。拍手をするのもひさしぶりだ。忘れてしまいそうだった。
「この状況」でやりかたを変えるのはやむえない。やりかたは工夫次第。それでも、やっぱり踏んばらないといけないことがある。手放してはいけないものがある。そう思った理由を明確にことばにすることは、まだ出来ない。「手放してはいけない」。強く実感した、そのことばが、頭のなかでリフレインしていた。

▼ 「声の質問19/19 Vocal Questions」の記録上映が4日間限定で開催(10/23、24、30、31/各日4回)。詳しくはリンク先を。

(つづく)

▼ 1年前は、どうだった?(2020年の日記から)

▼ Art Support Tohoku-Tokyo 2011→2021「2020年リレー日記」。1年前の9月の書き手は、西村佳哲さん(リビングワールド 代表)→遠藤一郎さん(カッパ師匠)→榎本千賀子さん(写真家/フォトアーキビスト)→山内宏泰さん(リアス・アーク美術館 副館長/学芸員)でした。