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移動に飢えているからか、夏バテか|8/11〜8/17

緊急事態宣言のなかで始めた日々の記録。火曜日から始まる1週間。仕事と生活のあわい。言えることもあれば言えないこともある。リモートワーク中心。そろりと外に出始めた。ほぼ1か月前の出来事を振り返ります。

2020年8月11日(火) 自宅

朝のニュースは「危険な暑さ」から。40℃を超えた。冷房の効いた室内で1日を過ごす。今日は11日。東日本大震災から9年5ヶ月が経った。昨夜、日本でも香港の民主活動家として知られる周庭さんが香港国家安全維持法違反容疑で逮捕された。夜のニュース「深夜でも30度」。頭を冷やしても、なんという時代に生きているのだろうかと思う。

2020年8月12日(水) 飯田橋→神保町→市ヶ谷

健康診断のため飯田橋に向かう。事前に問診票は書き込んだ。検尿も忘れていない。バリウムを飲むため、昨夜から何も食べていない。起きがけにコップ一杯、水も飲んだ。受付時間にも余裕をもって着けそうだ。会場のビルに着いたら、入口に貼り紙。移転のお知らせ。健康診断の封筒を見ると、大きく朱書きで、その旨が記されていた。急いで移転先の神保町へ。
血圧を測ると、とても低い数値なのだと言われる。例年、低いことは指摘されてきたけれど、今年は、さらに低いらしい。ここ数ヶ月、朝晩の調子の悪さは、これだったのかと思う。採血は、途中で血が止まってしまわないように、診察台に横になって行うことになる。
その後、市ヶ谷のオフィスへ。東日本放送(KHB)から「10年目をきくラジオ モノノーク」への取材の電話があったことが、デスクに付箋で貼りつけてあった。9月で、震災10年まで半年になる。そのニュースの一環でとりあげたいとのこと。
東京都の新規感染者数は222人。ニュースは熱中症対策で躍起だ。8月3日から9日まで熱中症で病院に緊急搬送された人は6664人。前週に比べて倍。今日は雷や急な雨も降っていた。気象は荒れるばかり。
群馬県「御巣鷹(おすたか)の尾根」の日航機墜落事故から35年。国内の航空機事故で最多の520人が亡くなった(生存者4人)。この事故で坂本九が亡くなった。ふと、3月末に亡くなった志村けんのことを思い出す。数十年後に、いまの状況は、どう語られるのだろうか。

2020年8月13日(木) 横浜

ヨコハマトリエンナーレ2020へ。横浜美術館の事前予約は11時半。予約が必要のないプロット48から向かう。横浜アンパンマンこどもミュージアムだった建物を、そのまま(廃墟のように)使っている。窓からの光が眩しい。詩的なキャプションが並ぶ。ほとんどが知らない作家だった。「わからない」こととの出会いをつくっているのだろう。でも、そこから先、わかりたいと思ったときに、どうすればいいのだろうか。それはトリエンナーレのなかで、すべてを回収するものではないのかもしれない。自分の見える(見えていると思った)世界を変容させる入口としてのトリエンナーレ。それもいい。でも、何か手立てがあるのではないかと考える。職業病。
横浜美術館に移動する。思ったよりも混んでいる。岩井優さんの『彗星たち』が印象に残る。標語(らしきもの)やドローイングが貼り紙で掲示されるように展示されていた。岩井さんがずっと取り組んできた「掃除」というテーマが通底している。書かれた言葉は、戦争や福島の経験を想起させる。直接的にいまを描いていないとしても、いまのことのように見えてくる。図らずも渦中の表現になっているのだろう。

2020年8月14日(金) 自宅

今日も危険な暑さは続く。各地で40℃近くまで気温は上がっている。

2020年8月15日(土) 自宅

父方の祖父の誕生日。幼い頃からお盆の記憶は、祖父の誕生日祝いと結びついている。その祖父も数年前に亡くなった。それはお盆に帰省をする新たな理由になった。今年は帰省をしない。
自分の誕生日が終戦記念日なのは、どういう気持ちだったのだろうか。祖父に聞いたことはなかった。いや、うっすらと聞いたことがあるような気もする。シベリアに抑留されていた祖父にとって、その日に戦争は終わっていなかったのかもしれない。日本が敗けた。それをどこで知り、何を感じたのだろうか。もはや、知ることは出来ない。
祖父は若い頃から欠かさず日記を書いていた。1年に1冊。祖父の部屋の書棚には、びっしり何冊もの日記が並んでいた。この日記を書いているときは、いつも祖父の姿を思い出している。
「10年目をきくラジオ モノノーク」の第2回が配信。戦争の語り部、小野寺哲さんの語りが紹介されていた。祖父の話を聞けなかった、と瀬尾夏美さん。祖母のまさこさんは毎日戦争の話をしている、と桃生和成さん。距離が近いから聞けない/聞こえないことがある。家族はその最たるものなのだろう。それでいいんではないだろうかと思う。そもそも、家族だから引き受けるいわれもない。もっと他者が介在していい領域なのではないだろうか(というか関心をもつ他者がいるから聞けることなのかもしれない)。そして、きっと語りを聞くだけでなく、近くにいたということだけで、その動機や態度はリレーするのだろうとも思う。

2020年8月16日(日) 自宅

「深刻な暑さ続く 外出は避けて」。どのニュースも「災害級」の暑さが話題になっている。浜松では40℃を超えた。髪を切りに出かける。この暑さで今年も台風は大きいのでしょうね、なんて話をする。在宅勤務の様子を何度か聞かれる。不思議に思いつつ、ふと美容師は在宅が出来ない仕事だと気がつく。それは気になるだろう。単に話すことがなかったから気を遣って、話を振ってくれていた気もする。急激な眠気に襲われて、何度か意識が飛びそうになる。目の前に置かれた雑誌には、アフターコロナは遊ぶように働くといった煽り文句。サーフィンの文字が目につく。狙ったかのように店内にはジャック・ジョンソンが流れている。ハワイに行きたい。そう思うのは、移動に飢えているからか、夏バテか。
2014年8月20日に広島の集中豪雨で起こった土砂災害。災害関連死を含めて77人が亡くなった。6年が経つのを前に、追悼式があったのだという。扇状の土地にある住宅地に山側から土砂が流れ込んでいる映像は、よく覚えている。各地の豪雨が災害となる、はじまりの記憶のように思う。

2020年8月17日(月) 市ヶ谷→自宅

朝から出社する。外に一歩出たときの暑さが尋常ではない。マスクが暑い。汗が止まらない。電車は、ぼちぼち混んでいる。ぎゅうぎゅうではない。「10年目の手記」のチラシの入ったダンボールがデスクの上と下を占拠していた。パソコンに貼り付けられた付箋には、先週末に「10年目の手記」取材の問合せがあったことが記されていた。新聞社の方に電話を折り返す。Art Support Tohoku-Tokyoの枠組みから話す。夕方には仙台のテレビ局から取材のメールが入った。にわかに「10年目の手記」と「10年目をきくラジオ モノノーク」の問合せが増えてきた。「10年目」のニュースを探しているのだろう。
昼前に急いで移動をはじめて、午後イチのGAYAのオンラインミーティングから在宅勤務を開始。と思ったら、ネットがつながらない。もしや、ルーターがこの暑さでやられたのか。部屋を冷やしはじめて、すぐにネットは再開。本当に加熱が原因かは不明。
ミーティングでは、来月スタートで準備を進めるサンデー・インタビュアーズのnoteの話をする。あとは、このところ、毎回繰り返し議論をしている事業の「開き方」について。映像を「読む」のは楽しい。その楽しみ方を実践する人たちがサンデー・インタビュアーズなのであって、その実践は、ほかの人たちの実践を誘うものになるのだろう。先導者であり、煽動者…。だからこそ、結果ではなく、その動き方を可視化していく必要がある。では、どう取り組んでいくか。いくつものとっかかりが見えてきた。と思うのだけど、もやもやのなかで今日の議論は終了。いま見えている動きを具体化しつつ、検討課題は継続審議。
東京都の新規感染者数は161人。6日ぶりに200人を下回る。ここ数日、数字を追えていなかった。16日260人、15日385人、14日389人、13日206人。もう3桁は日常だ。

(つづく)

noteの日記は、Art Support Tohoku-Tokyo 2011→2021「2020年リレー日記」のテスト版として始めたのがきっかけでした。7月の書き手は、大吹哲也さん(NPO法人いわて連携復興センター 常務理事/事務局長)→村上慧さん(アーティスト)→村上しほりさん(都市史・建築史研究者)→きむらとしろうじんじんさん(美術家)。以下のリンク先からお読みいただけます!
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