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#ネタバレ 映画「眼下の敵」

「眼下の敵」
1957年作品

2003/8/5 18:42 by 未登録ユーザ さくらんぼ


( 引用している他の作品も含め、私のレビューはすべて「ネタバレ」のつもりでお読みください。)

子供の頃、テレビ放送されるたびに喜んで観ていた戦争映画の傑作である。

職場の鬼の先輩にも、酒を飲んで酔っ払うたびに、ビデオで繰り返し観たと告白した、可愛げのある人もいた。

映画は一人の民間船の船長の話である。

彼の船がタンカーか貨物船かは忘れたけれど、とにかくそんな巨大な船だったらしい。

それが、ある日妻と一緒に航海していたら、潜水艦の魚雷攻撃を受けて船は真っ二つに割れて沈没したのだ。妻は向こう側、自分はこちら側に・・・妻を助けることもできなかった。

その時、紳士な彼でも復讐の鬼と化したのだろう。猛勉強のあげく対潜水艦攻撃のプロとなり、民間船をやめて駆逐艦の船長になる。

だが、初航海の日、船員達は新任の彼をバカにするのだ。民間船とはワケが違う、務まるものかと。しかし、やがて彼らが潜水艦に遭遇したとき、船長は神技の指揮ぶりを見せる。

この映画のモチーフは「変化」ではないだろうか。

民間船から駆逐艦の船長への転任もそうであるし、船長が神技を見せたとき、船員は軽蔑から尊敬へ態度を変えるのもそうである。

又、逃げ回る潜水艦の艦長の心の変化を予測して、つねに先手を打つストーリーも、そのモチーフの見事な昇華ではないだろうか。それに一見オマケ的に見える、爆雷の爆破深度の変更調整の為に手を怪我する船員のエピソードも、実はそうではないと思う。

そしてラストの、少し救われる展開もそうで、彼が復讐の鬼である事をやめた姿を描いている。

いつか戦争は終わる。そのときには憎しみも終わらせなければならない。自分が救われるためにも。

追記 ( ソローさんに知らせたい話 ) 
2015/8/4 6:18 by さくらんぼ

樹にも、

視線があるのを、

知ってますか。

公園で体操をしています。

いつも一人です。

何年もそうして過ごし、だんだん気づいてきたことがあります。

それは樹の視線です。

あたりまえですが樹も生きています。

「気」をまとっています。

「気」は「情報でありエネルギー」です。

生きものはすべて「気」を通しても「交信」をしています。

それが樹の視線の正体でしょう。

だから一人で体操していても、まったく一人でいる気がしないのです。

たくさんの、顔なじみの、知り合いの、樹に囲まれて、樹に見守られて体操しているの感なのです。

群衆の中の孤独とも違います。樹は群衆よりもやわらかな「気」をまとっているからでしょう

私は、トトロの森に何かが棲むとか、あの森には神が、妖精がいるとか言うように、目も耳も有る、生きている樹たちにかこまれているき気がして、しかたないのです。

今まで通行人の一人だった見知らぬ人。

それが、いつもすれ違っているうちに意識するようになり、ふと気がつくと、恋愛感情を抱いていることがある。

あれとおなじ大発見。

ソローの「森の生活」を読むと、一人で森にいても寂しくなかった、みたいな話が書いてあります。

この夏、やっと、あれが分かりました。

追記Ⅱ ( 本音を話せるのが友達である ) 
2015/8/5 6:32 by さくらんぼ

本当の戦争は、

こんなもんじゃない。

でも、人間だから人間を信じたい。

映画の前半、こわもてのUボートの船長が、部下の一人を自室に呼び、酒を飲みながら、ひとしきり愚痴をこぼした後「俺たちは友人か?」と尋ねます。

部下が、あいまいな返事で逃げようとすると「それでは答えになっていない!」と迫るのです。

おいつめられた部下は「正直、あなたが怖いと思うときもある」と言って、友人だとは思っていないことを示唆すると、船長は「俺たちは友人だ!」、「友人同士は本音を言い合うものだ」と喝破するのでした(正確ではありませんが、概ね、こんな会話です)。

これは、あの華麗とも言える戦争映画においては、忘れてしまいそうな、地味なシーンですが、実は、重要な主題を語っていると思います。

それは「本音を言い合うのが友人である」と言うところです。

そして、これを相似形で拡大すると、映画全体の構図、つまり、米駆逐艦と、独Uボートの戦いになるのです(ここでの本音とは、戦争ですから殺意のこと)。

本音を言い合うという事は、男子にいおいては、ときに殴り合いのケンカも含みます(女子にもあるかもしれませんが)。

そして二人とも、顔面がぼこぼこになって倒れ込み、やがて、ゆっくり起き上がって、どちらからともなく笑い出し、不思議な友情で結ばれることもあるのです。青春ドラマでよくあるように(これも変化)。

私の様な軟弱者でも、さすがに殴り合いはしませんでしたが、男同士の戦いという、似たような経験があるので、その不思議が実感として理解できます。

このように、映画「眼下の敵」は、人と人との友情が出来上がっていく様を、戦争で描いていたのです。

それは、ときには国と国との友情にもあてはまるのかもしれません。

「雨降って地固まる」と言っても良いでしょう。

人間を信じられる、幸先の良い映画なのでした。

鑑賞後の爽やかさはの理由は、そんなところにあったのでしょうね。

★★★★★

追記Ⅲ ( その水の流れ方を ) 
2017/12/18 16:16 by さくらんぼ

「 目の前でコップが倒れた時、その水の流れ方をいち早く読める人。それがプロってことだと思う。

起こってはならない、予想外のことがいつでも起こりうる。それを動揺せず、先を読んで対処できる人が必要ね。」

( 2017.12.17 朝日新聞(朝)27面 「加藤登紀子の ひらり一言」より )

追記Ⅳ ( 映画「アイ・イン・ザ・スカイ 世界一安全な戦場」 ) 
2020/3/24 14:20 by さくらんぼ

( 以下、映画「アイ・イン・ザ・スカイ 世界一安全な戦場」のネタバレにもふれています。)

>子供の頃、テレビ放送されるたびに喜んで観ていた戦争映画の傑作である。職場の鬼の先輩にも、酒を飲んで酔っ払うたびに、ビデオで繰り返し観たと告白した、可愛げのある人もいた。(本文より)

いつの間にか私も、あの先輩のように、晩酌のお供として、この映画「眼下の敵」をつまみたい年齢になってしまったようです。

昨夜も観ていて、こんなことに気づきました。

Uボートの艦長フォン・ストルバーグ(クルト・ユールゲンス)が部下にしみじみと語るのです。「昔は魚雷も『感』で発射した。だから当たらないこともあったし、故障で発射できないこともあった。今は、潜望鏡を見るだけで、データが表示される。当たるようになったが、戦争から人間味が無くなった」と(表現は正確ではありません)。

この映画が作られたのは1957年とずいぶん昔なのに、もう機械化の功罪がのぞいていますね。ところがご承知の通り、その直後から、駆逐艦と潜水艦の、実に人間臭い戦いが始まります。

ふと思ったのですが、この「ハイテク化によって、ますます先鋭化する人間臭さ」は、近年の良作映画「アイ・イン・ザ・スカイ 世界一安全な戦場」に引き継がれていたのではないでしょうか。

オマージュか否かは現段階では分かりませんが、無人偵察機(駆逐艦)と潜水艦(テロリスト)の戦いであり、映画「眼下の敵」で、マレル艦長(ロバート・ミッチャム)が新妻を潜水艦攻撃により亡くした(怨念の)下りは、映画「アイ・イン・ザ・スカイ 世界一安全な戦場」では、敵地の少女と、泣きくずれる父になっていたのか、とも思ったりしております。

追記Ⅴ ( 在宅勤務 ) 
2020/3/24 14:24 by さくらんぼ

ツイッターやブログ・インスタグラムなど、相手の顔が見えなくとも、直接語り合わなくとも、意外に人間臭い道具であったことが、すでに多くの人に理解されております。

また、新型コロナウイルスにより、在宅勤務への加速が始まれば、増々パソコン上の相手の気持ちを、忖度しなければならなくなるのかもしれませんね。



( 最後までお読みいただき、ありがとうございました。 

更新されたときは「今週までのパレット」でお知らせします。)


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