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#ネタバレ 映画「スイミング・プール」

「スイミング・プール」
2003年作品
恋文
2004/6/19 10:09 by 未登録ユーザ さくらんぼ(修正あり)

( 引用している他の作品も含め、私の映画レビューはすべて「ネタバレ」のつもりでお読みください。 )

もう一度観なければ細部はよく分からない。だからまったく的外れかもしれない。ただ、この映画はミステリーを売りにしているようでいて、実は主人公の哀しみの告白、もっと言えば恋文ではないだろうかと思っている。

作家である主人公のサラは、出版社の社長と、昔、男女の関係があった様な気配がする。しかしそれは浮気であり、今はもう社長はサラに女を求めてはいない。彼にとってはすでに単なるビジネスの相手になっている。

一方サラは、捨てたの捨てられたのと大騒ぎするような女性ではないが、まだ社長に未練が残る。もう中年であり、他の男が言い寄ってくるような事も少ない。仕事も自分の気に入らないジャンルの小説を書かされて面白くない。

サラは現実の世界でも小説の世界でも、生きている事が面白くないのである。冒頭の乗り物の中でファンに気づかれて別人を装ったあと、カウンターで一人酒をあおるシーンが物悲しい。さらにその後、社長との軽いやり取りの言葉にならない感情も哀れである。

ある日、サラは社長から南フランスにある別荘へ創作活動に行くように勧められる。

到着した別荘は居心地が良さそうなところだったが、後から来ると言った社長はいつまでも来ない。そんな中、リゾート地に放り出された形の彼女は、解放された心で自分自身との対話を始めるのである。そこらあたりから虚実が入り混じる。

そこで書かれた小説は仕事ではない。義務でもない。彼女にとっての一番大きな関心事を書いた。それは社長への恋文になった。

もちろんそれは、あからさまのアイラブユーではない。サラは小説に(面識のない)社長の娘を登場させた。これは作戦ではなく母性本能のなせる技でもあるのだろうか。そして群がる男達を追い払い、空想の世界で自分の娘の様に可愛がった。娘のためには母は何でもするのである。だから危ない橋も渡った。

そして、一人小説を書き終えて出版社に戻ったサラは社長にそれを見せる。希薄になった社長とサラの間に娘を小説で登場させる事で家族を作って見せた。子はカスガイである。その時の社長の困惑した顔。帰り際、偶然やってきた本当の社長の娘を外から見つめるサラ。

結ばれない運命なら、好きな人の匂いの残る別荘になど一人で行ってはいけない。哀しい夢をみるだけだから。

追記 ( チラシ写真の謎 )
2004/6/26 6:19 by 未登録ユーザさくらんぼ

涼しげでエロチックで、今のシーズンにピッタリの、とても魅力的な「スイミング・プール」のチラシを眺めていた。若い娘がプールサイドで寝転んでいる写真である。

写真の3分の2ほどをプールの水色が占めている。水泳はセクシャルな記号らしいのでプールの存在理由はそこにある。もちろん娘もセクシャルである。

その後気づいたのは、この写真はイラストではないだろうかという事だ。印刷の関係でそう見えるだけかもしれないが、スーパーリアル・イラストレーションの様だ。もっとも今はパソコンで写真を加工することなど簡単に出来るそうなので、原版は写真なのかもしれない。

そんな事を思いながら見ていたら、彼女の足が変なのに気づいた。左足はぴったりとプールサイドに置かれているから右足の置き場が無いはず。右足膝下はどうなっているのだ。

プールに浸しているのなら右膝の位置はもっと下がらなければならない。もしも無理にあの構図のままでプールに浸そうとすると、リラックスどころか強い緊張感を伴う。苦しくて一時的にしか出来ない、とても不自然なスタイルになる。しかも、つま先ぐらいしか水には入らない。

この様な不自然なイラストや写真を意図的に演出する手法は、昔から各方面で使われた様だ。人々の潜在意識にダイレクトに作用する。今回で言えば「理由は説明できないけれど、なんかアヤシイ」と注目させる効果があるのだろう。

また「この娘は現実には存在していない」とのメッセージも含まれていたのだろうか。そして左下の影、謎の人物はサラなのだろう。そうすると逆に影の方が存在している事になる。

誰も居ないプールを一人眺めて夢想するサラがそこにいた。


( 最後までお読みいただき、ありがとうございました。 

更新されたときは「今週までのパレット」でお知らせします。)



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