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#ネタバレ 映画「冬の華」

「冬の華」
1978年作品

2002/8/18 9:46 by 未登録ユーザ さくらんぼ

( 引用している他の作品も含め、私のレビューはすべて「ネタバレ」のつもりでお読みください。)

クロード・チアリさん演奏のテーマ曲が聞こえてくるだけで、もう酔ったような気分になってしまう。

この映画「冬の華」、昔テレビで観てとても気に入り、どこかで録画したのだが、テープの残量不足で尻切れとんぼになってしまった苦い想い出がある。ラストの消えたビデオほど悲しい物はない。

その、ずっと憬れていた作品が最近DVDになったので、早速買い求めた。あの名作映画「太陽がいっぱい」、あるいは映画「シンドラーのリスト」にも似た名曲が、CDと同等の音質で部屋に響く。今まで聴いたどの時よりも美しくせつない。

映画は、渡世の義理の為に、殺した仲間の幼子の成長を、陰から「足長おじさん」として見守る男(高倉 健さん)の物語である。

この映画の深層に流れる想いは、誰もが一度は経験した「片思い」であろう。

そこに、この映画は触れてくる。だからせつない。

でも、DVDで再度鑑賞して、その上にあるもう一つのドラマが見えてきた。よい映画は重層的構造になっている事が有るから矛盾は無い。その話しをしようと思う。

きっかけになったシーンはカラオケでマイクを離さないシーンだ。そのマイクの奪い合いでトラブルすら起きる。ずっと私はそこが余分なシーンだと思っていたが、そうでは無かった。

この映画で登場人物たちは皆、無意識に「癒しと贖罪」を「美」に求めていたのだ。

「カラオケで演歌」然り。ボスの「シャガールのコレクション」然り、そして主役の健さんの「美しい女子高生に成長した幼子」に対しての想いもそうだ。それから「チャイコフスキーのピアノコンチェルト」も出てくる。

また、彼女が通っている高校には教会らしきものがあり、時々鐘の音がするのだ。「美」を求めるその先には「神」すら見える。そして健さんが彼女に逢いたいが為に出かける名曲喫茶も彼にとっては事実上の教会である。

映画の後半、港でボスに「足を洗う夢」を語る健さん、それにうなずくボス。向こうの空には神の啓示のように雲の切れ間から光が差している。

そういえば、ミレーの名作絵画「羊飼いの少女」だったか、祈りを捧げる羊飼いと羊たちの後ろの空に描かれているのも同じ光だった。

追記 ( 自灯明 法灯明 ) 
2014/11/21 9:40 by さくらんぼ

スーパーの本屋さんで立ち読みするのが趣味(失礼)の私ですが、つい先日も、何かの本に健さんの映画が紹介されていて、なんでこの本に、と思ったことがありました。

あれは、何の本だったのか、思い出してみたら、そうでした、あれはオーディオ雑誌でした。そこには健さんの映画「冬の華」DVDが音楽とともに紹介されていました。

それは健さん演じるヤクザが、義理のために殺めた友の子(女の子)に、あしながおじさん、よろしく、遠くから援助をする話です。

やがて独身の健さんは、その子を実子みたいに想うようになります。

いや、女子高生になった彼女に、どこかに、ちょっぴり、歳の離れた、ほのかな恋愛感情さえも、不覚にも感じていたのかもしれませんね。二人とも寂しい境遇ですから。

彼女の近くでは健さんがガタガタ震えるほどギコチナクなるのが恋愛の記号だと思うのですが…単なる親代わりなら、秘密であっても、そこまで緊張しないでしょう。

あれは、まさに恋する純情少年の姿です。

そんなある日、刑務所で、あしながおじさんの噂を聞いた同僚が、健さんに醜聞な冷やかしをした時の健さんの激怒の報復は、養父としての怒りだけでなく、健さんが自ら否定したかった恋心に無神経に触れてきた報いだったのでしょう。同僚は、健さんの暗闇の逆鱗に触れたのです。

ところで、彼女が好きなのはクラシック音楽した。

チャイコフスキーのピアノ・コンチェルトです。ヴァイオリン・ケースを抱えているのですが、なぜかヴァイオリン・コンチェルトではないのですね。本当はピアノがやりたかったのに、親の無い貧しさから、高価なピアノなど買えなかったのでしょう。

そんなある日、健さんは彼女の顔を見るために、似合わない音楽喫茶(彼女の行きつけの店)に一人で入り、店員にリクエストを聞かれて、それをリクエストするのですが、店員から「今かかっているのがそうです」と言われるのです。その時の健さんの、可愛くも、少々バツの悪いシーンが印象的でした。

あれは、身分違いの恋、の記号ですかね。

ところで、オーディオ雑誌の編集時には、まだ健さん病気の情報は流れていないはずなのに、業界ではすでに噂になっていたのかもしれませんね。もし、そうでなければ、タイムリーにも、この映画を話題に持ってきた雑誌はすごい。

タイムリーと言えば、安倍首相の解散表明の日に、健さんの訃報が流れたのもそんな気がします。朝日新聞の一面でも右側に健さんの訃報、左側に解散表明のニュースとなってしまいました。

安倍さんは、いや、安倍さんだけなく、その他の政治家たちも、いやおうなく「男が惚れる男、健さん」と「生きざまの格を比較される」選挙戦にもなるでしょう。

健さんが最後に、選挙にエール、候補者に鼓舞、といったところでしょうか。

健さんから「バカ言うんじゃない」と叱られそうですが、健さんの訃報を聞いた時、私は親が亡くなった時のような哀しみを受けました。

健さん亡き後、私たちは、いったい誰を北極星(兄貴)として歩んでいけばよいのでしょうか。私を含め、道に迷う者も出てくるかもしれません。

そのとき、お釈迦さまが入滅する時に、弟子に言われた遺言の言葉を思い出しました。

「自灯明」「法灯明」です。

健さんが沢山の映画(法灯明)を残してくれたことに感謝して、

ご冥福をお祈りいたします。

健さんありがとう。

追記Ⅱ ( 蓮の花 ) 
2014/11/22 21:37 by さくらんぼ

>いや、女子高生になった彼女に、どこかに、ちょっぴり、歳の離れた、ほのかな恋愛感情さえも、不覚にも感じていたのかもしれませんね。二人とも寂しい境遇ですから。

かつて健さんが義理のために殺めた男は兄貴分でした。

そして、健さんはその娘に恋をしたのです。

しかし、その娘に恋していたのは健さんだけではありませんでした。

娘には顔向けできない父親殺しの健さんは、弟分を伝書鳩代わりに使い、刑務所などから手紙や金品を届けさせていました。

そのため、いつしか、その弟分も娘に恋をしてしまったのですね。

恐ろしい三角関係の誕生です。

普通、兄貴分の愛人を狙った弟分は、ただでは済まないでしょう。

でも、それを知った健さんは、逆に、弟分が足を洗って堅気になることを条件に、娘と結婚を前提に付き合うことを許します。

その後の健さんは、組同士の抗争に巻き込まれていき、また、義理で人を殺めるのですね。

その結果、健さんは死ぬ(逮捕される)のです。

これは、ある意味、健さんの世を儚む自殺とも取れます。

実際、今度こそ死刑になるかもしれないし、ならなくとも、堅気の社会では、死ぬも同然でしょう。

この様に、健さんは、けっして聖人君子としては描かれていませんね。

一つ間違えば、もっと人でなしの世界へ足を踏み入れた(娘を騙して手に入れた)かもしれない。でも踏みとどまり、堅気の娘の夢だけは守った。そこに男の美学を魅せたのです。

観客は、その美学に、深層レベルでアクセスし、泥の中に咲く蓮の花を見るのでしょう。

追記Ⅲ ( ピアノはタイルになる ) 
2014/11/22 22:05 by さくらんぼ

なぜチャイコフスキーのピアノ・コンチェルトなのか、ですが、娘が貧しかったという事以外の理由が、シャガールの絵に呼応した曲を選んだ、という事だとしたら、それには、あまり賛成できません。

たとえば共感覚的に言えば、シャガールの絵に前述の曲は合わないように思います。絵のイメージがやわらかすぎます。モーツァルトのクラリネット五重奏曲ぐらいなら、まだ分かりますが。

チャイコフスキーのピアノ・コンチェルトは、ピアノの力強い打音から始まる楷書体の音楽なので、もし合う絵をあげればクリムトの「接吻」など、だと思います。

堂々とした曲想と、ピアノの音粒が、クリムトの硬派な絵画と、タイル状の模様にマッチします。

追記Ⅳ ( シャガールブルー ) 
2014/11/25 21:50 by さくらんぼ

>この映画で登場人物たちは皆、無意識に「癒しと贖罪」を「美」に求めていたのだ。

私は映画も素人ですが、絵画はもっと素人です。だから、「シャガールブルー」と言う言葉が存在することさえ、恥ずかしながら、先ほど知りました。

そのシャガールブルーの中に描き込まれる恋人たち…

そして映画「冬の華」のイメージカラーもブルーでした。

特に、健さんが出所して組に挨拶をした後、組からマンションを貸し与えられるのですが、その内装の寒々としたイメージは、いたたまれなくなるほどのブルーでした。

この寒々とした世界の中、美(愛)を求めて右往左往する人々を映画「冬の華」は描いていました。

つまり、映画「冬の華」は、それ自体が一幅の「動くシャガールの絵画」だったのかもしれません。

でも、チャイコフスキーのピアノコンチェルトのイメージカラーは私的には赤です。

ですから、これを絵画の背景のつもりだとすると、ブルーとは符合しませんね。ブルーなら、やはりモーツァルトですから。

でも、チャイコフスキーのピアノコンチェルトが、ブルーの世界に描き込まれた恋人たちの記号だとしたら、赤で立派にマッチするのです。

つまりチャイコフスキーのピアノコンチェルトは、背景ではなく、登場人物たちのパッションを音楽化したものだったのかもしれません。

ならば、ヤクザの掟の四角四面も、ピアノ(タイル)のイメージに符合することになります。

また、娘のオヤジもヤクザの幹部でしたから、娘がヤクザの血を引いていてもおかしくありませんしね。

だから、娘が好んでこの曲を聴いていたのかもしれません。

これでシャガールの絵画の中にの、視覚化した図形としてタイルがあれば最高なのですが、ないものねだりでしょう。

追記Ⅴ ( クロードさんの仕事 ) 
2014/12/8 21:39 by さくらんぼ

>クロード・チアリのテーマが聞こえてくるだけで、もう酔ったような気分になってしまう。

おじさん、おばさん世代には、知らぬ者はいないだろうと思います。クロードさんの、泣きのギターサウンドですが、レビューでも最初にふれておきながら、うっかり、忘れるところでした。

生クラシック・ギターの音は、近くで聴くと暖色系です。

でも、昔の歌謡曲時代、アイドル歌手にかけられていたような、たっぷりと透明感のあるエコーを重ねると、寒色系のサウンドになるのですね。

レリゴー♪ではありませんが、私には、寒々とした青白い氷の館でギターが泣いている、様に聴こえます。

もちろん色は薄い青。

シャガールブルーの背景は、クロードさんのギターが受け持っていました。

追記Ⅵ ( フタを閉めるのも言葉 ) 
2016/2/20 11:45 by さくらんぼ

昨日は無添加白ワインを飲みました。おいしかった。おかげで料理も少々食べすぎたみたい。

ところで、ホームドラマなどで、ときおりオヤジが、ちゃぶ台で酒を飲むシーンがあります。一升瓶やウイスキーのふたを開け、湯呑みやグラスに注いで…。

でも、フタを閉めない場合が多いのですね。開けたまま酒を飲み始めたり、会話を始めたり。

皆様も同じようにフタを開けたままにしておきますか? 私はアルコールが飛ぶので、必ずすぐ閉め、それも心の中で指差呼称をするぐらい、しっかりと閉めておきます。

だからドラマで開けたままにしているシーンを見ると、なんだか不愉快な気分になるのです。それは精神的な堕落を感じさせるというか、所作が醜いというか、一事が万事というか。

監督は、きっとドラマの進行上不要なシーンだと判断しているのでしょう。俳優さんも黙って監督に従っている。

ところで、この映画「冬の華」をBSで久しぶりに観ましたが、ここにはウイスキーのフタを閉めるシーンが出てきました。出所した健さんが、父親?の元を訪れたときのシーンです。

父は下町の小さな町工場のオヤジをしているよう。生活も貧しいようです。夕食の後、コタツに入って二人でウイスキーを飲むシーンがあるのですが、父は、あまり高級ではない、いわゆる晩酌ウイスキーをグラスに注ぐと、すぐに栓を「きゅっ」とキツク閉めたのです。ボトルに残ったウイスキー残量は1cmほど。

なんだか急に、臭ってきそうなほどリアルな雰囲気が漂いました。

今、ラジオから伊藤咲子さんの歌・「乙女のワルツ」が流れてきました。そう言えば、むかしそんな歌もありましたね。良い歌です。私は彼女の歌唱の、ぎこちないほどの“ひたむきさ”が好きでした。

追記Ⅶ ( 身内に裏切者がいる ) 
2016/2/20 12:06 by さくらんぼ

この映画、健さんに“秘密の打ち明け話”をする組員たちのシーンがいくつかあって、そのたびに健さんは「それ、誰かに話したのか」と聞くのです。

相手が「いえ…」と答えると、健さんはいつも「誰にも言うんじゃねぇぞ!」と念を押しました。

身内に裏切者がいる場合もあるからですね。雑談一つが命取りになりかねません。健さんはそんな汚い裏世界を嫌と言うほど見てきたのです。

この映画「冬の華」には、少女の話も含めて、秘密と裏切りがいっぱい出てきました。健さん自身からして、少女の父の仇ですからね。恩人ずらしていて、少女から裏切り行為だと罵倒されてもしかたないぐらいですし。

この映画の主題は、そんなところにも有ったのかも知れません。

追記Ⅷ 2022.12.11 ( お借りした画像は )

キーワード「ブルー」でご縁がありました。支笏湖とのことです。なんと言いますか、整った感のある風景ですね。少々上下しました。ありがとうございました。

追記Ⅸ 2022.12.16 ( 「去る者は日日に疎し」 )

組の会長を裏切り、対立する組に寝返った男を、加納秀次(高倉健さん)は殺めます。それで15年間服役することになります。

でも、15年後に出所した時、だれも加納を迎えに来た者はいませんでした。加納の右腕のような南(田中邦衛さん)も、加納のアパートの手配はしても、言い訳をしただけで、顔を見せませんでした。

南には忙しい事情があったのかもしれません。しかし、人脈を使って、仲間の誰か一人にでも迎えに行かせることは出来なかったのでしょうか。会長も、同様の指示をだせなかったのでしょうか。そして、会長の言葉「南が一番利口だ…」が妙にひっかかります。右腕でさえそうですから、その他の仲間は察して知るべしです。

そんな加納は、出所して間もなく15年前と同じようなトラブルに巻き込まれ、又、自分が損な役目を演じるのです。今度は何年刑務所暮らしになるのか知りませんが、出所の日、やはり加納を出迎える人はいないのかもしれません。

「去る者は日日に疎し」を思い出します。



( 最後までお読みいただき、ありがとうございました。 

更新されたときは「今週までのパレット」でお知らせします。)


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