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#ネタバレ 映画「学校」

2024.3.16
待っている人がいる幸せ・映画「生きる」を連想


( 引用している他の作品も含め、私のレビューはすべて「ネタバレ」のつもりでお読みください。 )

TV放送されていたので録画して観てみました。

印象に残ったのはラブレターのエピソードです。

中年の夜間中学生・イノ(田中邦衛さん)が、ハガキを書く宿題で、宛先を担任の黒井先生(西田敏行さん)ではなく、黒井の同僚・田島先生(竹下景子さん)にするのです。職員室まで行って田島先生にお願いして。

今の世相(少なくとも私の感覚)では、宛先は学校にして、そこに担任の名前も付記するの適切だと思いますが、当時は個人の住所をオープンにしていたのでしょう。

田島先生も自分の住所をためらいもなく教えました。しかし、イノはラブレターを送ってしまったのです。しかも「結婚してください」と。初対面の様子からイノの一目惚れだったようです。

ハガキを受け取った田島先生は困惑し、「油断した私も悪かったけど・・・」と黒井先生に相談に行きました。もちろんイノと恋愛するつもりはありません。話を聞いた黒井先生は「俺が話してやる」と言い、実際、イノを酒席に誘って、丁寧に断りの伝言をしました。

イノはすぐに納得してくれました。素直に失恋を受け入れたのです。

しかし直後、イノは別のことで怒ります。

私も失恋経験がありますから想像できますが、第三者の男が代理人として断りに来ることは面白い事ではないのです。

田島先生は一人でイノに返事をすべきだったと思います。そこにイノは田島先生の誠意を見て納得するのです。

もしイノがあきらめてくれず迷惑行為にでも及んだら、その時は黒井先生が出て行って話を付ければ良いと思います。

それなのに、いきなり黒井先生が出て行ったら、「お前たちは恋人同士なのか、皆で俺をバカにして・・・」みたいな事になってしまいます。

幸いこの場は、店主が酒乱のイノを追放することで収まりましたが(翌日、酒が冷めると、イノは酒乱の状況を覚えていない)、映画の終盤には、田島先生と黒井先生からの、イノへのトドメの一撃が入るのです。

イノは末期がんになったようで、田舎の親戚の家で養生することになりました。その別れの日、ワゴン車で横になっているイノに、窓から田島先生と黒井先生が仲良く二人そろって挨拶するのです。

田島先生と黒井先生の仲を少し疑っているイノは、きっと二人に嫉妬を感じた事でしょう。自分は厄介払いさせられたように感じたかもしれません。道中のイノの暗い表情。イノはしばらくの後に亡くなります。

田島先生と黒井先生は別々に挨拶に行くべきだったと思います。恋人でなくても、仲良しの姿は見せないようにして。

話し話変わりますが、裕木奈江さんが、みどりという名の少女役で出ていました。しかも不良ぎみの役で。だからメイクに注目です。残念ながら今作品では主役ではなさそうですが、思いがけない出会いでした。

追記 2024.3.17 ( 黒井と寅さんの共通点 )

>イノはすぐに納得してくれました。素直に失恋を受け入れたのです。
>しかし直後、イノは別のことで怒ります。
>私も失恋経験がありますから想像できますが、第三者の男が代理人として断りに来ることは面白い事ではないのです。(本文より)

このようなストーリーになっているので、監督も黒井先生のしたことの問題点を承知していると思います。

ひるがえって見れば、あの寅さんも個性的な人間でした。黒井も先生と呼ばれる存在ではありますが、決して蒸留水のように無味無臭ではなく、第二の寅さん的存在だと思えば理解できそうです。

黒井先生が個性的な存在であることは、映画の最初に(伏線のように)紹介されていました。黒井先生が校長から「次回の人事異動で転勤して欲しい」と言われるシーンがあります。しかし、黒井先生は嫌がります。実は、嫌がって、すでに2年ぐらい余分にここにいるのです。だから、校長も今度こそ異動させるつもりのようで、心なしか態度も冷ややかでした。

ちなみに、黒井先生の言い分は、「卒業した生徒がふらりと訪ねてきたときに、自分がいないと淋しがる」というものでした。全体を考える校長に対して、一部を考える黒井先生のようです。

なぜ黒井先生が個性的な存在でなければならないのか。それは、夜間中学の生徒たちが(映画の中では)個性的な面々だからでしょう。そしてホームのような人間関係もある。映画「DOGMAN ドッグマン」のストーリーを借りれば、「心に痛みを抱えている者同士」の方が、仲良しになれそうだからかもしれませんね。

追記Ⅱ 2024.3.18 (「待っている人がいる幸せ」)

>ちなみに、黒井先生の言い分は、「卒業した生徒がふらりと訪ねてきたときに、自分がいないと淋しがる」というものでした。(追記より)

映画のラストにも、不登校から夜間中学に来たえり子(中江有里さん)が、「進学して自分も夜間中学の先生になる」と、黒井先生に宣言するシーンがあります。

それに対して「それまで待ってる」と言う黒井先生。

この映画「学校」の主題は「待っている人がいる幸せ」みたいなところにあるのかもしれませんね。

そう思うと、なぜ手紙のエピソードがあったのかも分かる気がします。手紙を待っている人がいる幸せ、出すことのできる幸せ、みたいな事なのでしょう。

この構図は寅さんでも同じですね。寅さんを待っていてくれる義理の妹・さくらがいる幸せです。もしさくらが居なくなれば、寅さんにとってのとらやの空気感は、変わってしまうと思います。又、寅さんがとらやを留守にすると、寅さんが旅先で知り合った人が遊びに来てがっかりします。

夜間中学は、単に授業をするだけでなく、人間関係のホームにもなりえる場所なのでしょう。

他にもホームな作品を挙げれば、千葉真一さんが出て来る、深夜のコンビニを不眠症者の集会場にした、1986年のTVドラマ「深夜にようこそ」や、ご存じ「深夜食堂」もありました。そうそう、あれもそうでした。ルーチン化したささやかな日常に幸せを見つける映画「PERFECT DAYS」です。

追記Ⅲ 2024.3.18 ( 役所は人事異動が頻繁 )

余談ですが、市区町村役場職員は平均5年(係長以上は3年ぐらい)で人事異動を繰り返します。定年まで。

という事は、人事異動で出て行った者にとっては、3年もすると古巣の係長との人間関係が断たれるわけです。

係長というリーダーが別人になってしまった係は、出て行った者にとって、あまり居心地が良いものではありません。人間関係が出来ていないからですね。だから、遊びに行くと、往々にして係長から無表情の視線をあびせられます。

もちろん他の職員も半分ぐらい変わりますので、こちらも同様です。

役所という入れ物自体は永年続くとしても、十年一日のごとく同じ仕事を繰り返していたとしても、係員はすぐに別人になり、懐かしい係は、想い出の中にしか存在しなくなるのです。

追記Ⅳ 2024.3.19 ( 末期がんのことで、なぜ先生は生徒に謝罪したのか )

イノが療養先で亡くなった時の話です。

黒井先生がそのことを教室でクラスメイトに伝えると、皆は驚き、特にカズ(萩原聖人さん)は、「病気が治らない事が分かっていたなら、なぜ教えてくれなかったんだ。教えてくれたら皆でお見舞いにいったのに」と怒りました。

「そうだな、先生が悪かった」と謝る黒井。

先生から謝罪されて、調子に乗るカズ。

①がんが不治の病であった昔の日本では、がんの場合は本人に告知しないのが一般的だったと思います。しかし、クラスメイトに教えれば、カズの言う通り、集団でお見舞いに押し寄せ、イノが「何事か」と、自分が余命いくばくもないことに気づいてしまう心配があります。だから、クラスメイトに教えなかったのは妥当な判断だったと思います。

②でも・・・見舞いに行かないのではイノが可哀そうではないのか。

私は、黒井がイノからの(治ったら学校へ行く)というハガキを、皆に紹介して、壁に掲示したエピソードを思い出しました。あれは、「イノは皆に会いたがっている。だから、行ける者はお見舞いに行ってあげて」というメッセージのつもりだったのだと思いました。あるいはイノに励ましの返信をすることも出来ます。しかし、クラスメイトはしなかったようです。

実社会には、面倒な説明を省くために、(とりあえず自分が悪者になって)簡単に済む謝罪で収める、みたいな事も無くはないと思います。しかし、ここは教育の場であり、カズも中学生とはいえ、年齢的には大人でしょう。①や②を、少なくとも①ぐらいは説明して理解を求める必要があったように思います。

ここまで考えて、ふと、別の事を思いました。

③イノさんが田島先生に失恋した一件です。

黒井先生はイノの恋愛の秘密に立ち入り、イノとトラブルになりました。黒井先生にとっても、それはトラウマとして残っていたのでしょう。だから、末期がんという病気の秘密も、クラスメイトには言えなかった。

③が、黒井先生がクラスメイトに秘密にし、(反論すればイノの失恋に触れる事になりかねないので)カズにも反論できなかった理由なら、簡単な謝罪で場を収めようとした理由なら、黒井先生の謝罪も納得がいくと思うのです。

追記Ⅴ 2024.3.19 ( イノが田島先生を見初めた伏線もあった )

イノが田島先生にラブレターを送った事にも伏線があると思いました。

イノが夜間中学に入る前の事です。

イノは街中に立ち、人々を観察して、自分の相談に乗ってくれそうな人を探したのです(本当は、とりあえず市区町村役場で相談するのが妥当だと思いますが、イノは知らなかったのでしょう)。真っ直ぐに行動しますね。

そこで白羽の矢を立てたのは、街中でテントを張って、健康診断のような事をしていた若いお医者さんでした。こちらは男性です。

イノは簡単な挨拶の後、率直に「勉強をしたい」と言いました。そのとき同僚からも声がかかったお医者さんは、イノに「後で話を聞きます」と返し、後に夜間中学へ連れて行ったのです。

以前、パレット記事にも書いた記憶がありますが、実は私も、休日に他区を散歩中、見知らぬ高齢女性から「生活できない」と人生相談を受けた事がありました。内容から生活保護関連だと思われたので、(込み入った話は電話でなく)実際に区役所まで行くよう助言しました。

だから、イノのエピソードもまんざら荒唐無稽ではなさそうです。

追記Ⅵ 2024.3.19 ( 田島先生には好きな人がいたのか )

田島先生は、黒井先生の家を訪ね、イノから求婚された事を話します。

冷静に、事務的に解決方法をさぐる黒井先生に対して、田島先生は途中から縁側に近づき、黒井先生に背を向け、庭を眺めて会話をしだすのです。

事務的に話す男と、「背中を見せて話をする女」。

このところが微妙に感じました。

背中を見せたのは不満と恥じらいの記号でしょうか。

もしかしたら、単にラブレターの後始末を頼みに来たのではなく、「私をほかって置くと、他の男に取られちゃうわよ」と、言いに来たのかもしれませんね。

追記Ⅶ 2024.3.20 ( 映画「生きる」 )


映画「学校」からは、映画「生きる」を連想します。

最初にそう思ったのは、映画「学校」の終わりが雪だったからです。校庭に舞う雪、画面の左端にはブランコらしきものも。

でも、ただそれだけでは、映画「生きる」を持ちだすには情報が少なすぎます。

でも、数日間ぼんやり考えて、今朝、他の事も気づきました。

イノは映画「生きる」の市民課長ではないでしょうか。だから医師に声をかけるし、近くにいた若い女性に惹かれ、上司とも対立するのです。同僚との関係も微妙で、そして、がんで亡くなる。

イノや市民課長が残したものは何でしょう。

それは「本当の生きがい」「本当の幸せ」論ではないでしょうか。

市民課長やイノは幸せだったのか。

映画「学校」では、イノ亡き後、生徒と先生がイノのそれを議論しました。



(  最後までお読みいただき、ありがとうございました。
更新されたときは「今週までのパレット」でお知らせします。)


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