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#ネタバレ 映画「ハロー!? ゴースト」

「ハロー!? ゴースト」
2010年作品
愛は与えるもの
2012/6/25 22:30 by さくらんぼ(修正あり)

( 引用している他の作品も含め、私の映画レビューはすべて「ネタバレ」のつもりでお読みください。 )

施設で育った主人公のサンマンには家族がいません。訪ねてくる人は彼の名前を知らない人ばかり。そんな彼の愚痴から始まる物語です。このエピソードなど当事者でなければ分からない哀しみでしょう。そうなのかと、いきなり、ぐっと来ました。

当事者でなければ分からない哀しみ。私たちの実生活でも色々ありそうです。それを想像力で理解したくても、世界が違いすぎると想像力も働きません。でも、相手に質問することは、ひとつ間違えると失礼になりかねず、いつも躊躇していました。

例えば、仕事をリタイアした者が、休日に喫茶店で待ち合わせをして、在職者の旧友とお茶を飲む機会をもてば、私の知る限り、在職者側は大抵お茶代をおごります。私もそうしていました。なぜなら(リタイア者=小遣い不足)だと見なされるからです。でも、その対応がいつも正解だとは限らない。なぜなら、リタイアしたという理由だけでおごられると、上から目線で(施しをされた)気分になる人もいるからです。もちろん、相手がバカになどしていないことは理性では承知していますが、感情はまた別物で複雑なのです。だから、お互い在職していたときの様に、すきっりとワリカンならワリカンで良いのです。もちろん会社に訪ねていった時のお茶代はワリカンではいけない。お客様扱いする必要があります。たかがお茶代でも難しい。

話しが少々脱線しました。

映画の話に戻ります。サンマンは哀しみのなか自殺をはかり失敗します。そこに表れたゴーストたち。彼らはサンマンに「願い事を叶えて欲しい」と迫ります。かつて武田鉄矢が映画「刑事物語」で言ったセリフと同じく、これは「愛とは与えるものである」ということなのでしょう。誰も愛してくれないと嘆くのではなく、ボランティアでもなんでも、出来ることから、周りに愛を与えていけば、世の中は良くしたもので、そのうち、回りまわって、自分のところに愛が戻ってくるらしいのです。そうしてサンマンがめぐり逢った女性が看護師のヨンスでした。

もちろん、そんなに簡単には愛が手に入らないかもしれません。しかし、信じて愛が獲得できるまで、周りに愛を与え続けるのでしょう。私は蒼井優の映画「洋菓子店 コアンドル」の主題を「終わりと書いてハッピー・エンドと読む」と書きました。そうです、ハッピー・エンドになるまで頑張るのです。そのせいか、どうか知りませんが、この2本の映画は両方とも米国でリメイクされるそうです。

いかにもお金がかかっていなさそうなB級映画!?だと、あくびをしつつ、観ていましたら、終わり近くになって、やられました。号泣と言うか、これは慟哭ものです。韓国人がお葬式で泣くように。油断したのがいけませんでした。でも必死でこらえました。

我に返って冷静に考えると、いかに親と言えども色々な人種(DVの加害者など)がいて、再会しても子は必ずしも喜ぶものではないのです。それを考えると、ある意味、主人公たちは理想的な家族でした。世の中にはもっと哀しい家族がいるのですから。

★★★★

追記 ( 冒頭にあった伏線 ) 
2012/6/27 22:14 by さくらんぼ

> 施設で育った主人公のサンマンには家族がいません。訪ねてくる人は彼の名前を知らない人ばかり。そんな彼の愚痴から始まる物語です。

「訪ねてくる人は彼の名前を知らない人ばかり」というのは、もっと正確に言うと「彼に名前を尋ねる人ばかり」という意味のセリフでした。このセリフが示唆する来訪者と言うのは、たぶん里子を選んでいる里親候補たちなのでしょう。でもサンマンは誰にも選ばれなかった。だから毎回名前を聞かれたのです。哀しいですね。

でもサンマンにゴーストたちが尋ねてきた時、私の記憶違いでなければ、サンマンに名前を聞きませんでした。つまりゴーストたちはサンマンを知っている人たちだと言う示唆です。

冒頭のサンマンの愚痴からして、すでに重要な伏線だったわけです。

サンマンの名前を知っている人たちの登場で、勘の鋭い人なら、あれれ、彼らはサンマンの親戚か知り合い?などと思ったかもしれません。そんな人なら早々と映画の結末までも読めたのかもしれません。私には、とても無理でしたが。



( 最後までお読みいただき、ありがとうございました。 

更新されたときは「今週までのパレット」でお知らせします。)


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