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#ネタバレ TV「不適切にもほどがある!」

2024.1.29
「愛はかげろうのように」の歌詞にドラマの言いたいことが書かれている!?

( 引用している他の作品も含め、私のレビューはすべて「ネタバレ」のつもりでお読みください。 )

終戦で、軍国主義から民主主義に変わり、学校の教育方針もガラリと変わったので、人間不信になった子どもいたようです。戦前生まれの知識人には、今でもそのトラウマを語る人もいるようです。

現代はどうでしょう。例えば、昔の会社では、目下の者が目上の者に気を使うのが当たり前だったと思います。それが今では、目上の者が目下の者に気を使う時代になり、昔のような言動をする目上の者は、ハラスメントだとして糾弾されかねないようになりました。

この逆転現象は、もしかしたら、戦後の価値観の大転換にも匹敵しているのかもしれません。おじさんたちは戸惑っています。自分たちが若い頃には先輩上司に気を使って生きて来たのに、やっと、自分たちが先輩上司になったと思ったら、今度は若者にたいして気を使わなければいけないのか等と。

お互いが「不適切にもほどがある」と思っているのでしょう。どちらの価値観が良いかは別として、若い頃に刷り込まれた教育は一生消えないものだと思います。おふくろの味が忘れられないのと同じで。そんな二つの世代が共存していくには、頭ごなしに否定しあうだけではいけないでしょう。ドラマでは「話し合いましょう」と語られているようです。

(追記)①TV「不適切にもほどがある!」のタイムスリップにはトイレが使われていました。そこからは、同じくトイレが使われた②映画「パリの確率」を連想します。②に出て来た砂漠は、①では、おじさんがバスに乗ると、他の乗客がみんな嫌って逃げて行くエピソードになっていたように思います。逃げられたおじさんの心は砂漠になるからです。

(追記2)しつこくスマホが出て来ました。現代でも皆は、昔以上に繋がりたがっている事の記号でしょうか。もしかしたら、ドラマはこの辺りに光を見ているのかもしれません。

(追記3)映画「パリの確率」レビューでも少しふれましたが、連想する作品として映画「プリシラ」もあります。こちらは本当の自分を隠して生きなければならないドラッグクイーンが、長い葛藤の末、あるがままで息子に対峙するお話です。自分を隠して生きていた彼らの心象風景を、オーストラリアの荒野で表現していました。

この映画「プリシラ」にバスが出て来るのです。ですから、TV「不適切にもほどがある!」で、バスで異常者扱いされる主人公から、映画「プリシラ」も連想されるのです。

映画「パリの確率」や映画「プリシラ」で描かれている「砂漠」「渇き」は、TV「不適切にもほどがある!」では、タバコ、野球の練習中に水を飲む生徒、ビールに慰めを求める女、アイスクリームを食べ歩くJK、ベッドインしたがるJKと中学生、そして、みんなが手放せないスマホや、うどんみたいなイヤホンで描かれていたように思います。

そう言えば、主人公がバスから降りたら、髪を半分赤く染めた男が、空き地で、地縛霊のように、何とかタバコを吸っているのに遭遇し、主人公がじっと見つめる「?」なシーンがありました。もしかしたら、あれはドラッグクイーンの記号のつもりだったのでしょうか。

(追記4)ドラッグクイーンと言えば、映画「プリシラ」の冒頭には、彼女たち!?の歌「愛はかげろうのように」のシーンが挿入されていましたから、TV「不適切にもほどがある!」のクライマックスが、ミュージカル仕立てになっていても不思議はありません。又、「愛はかげろうのように」は「ねえ、私の話を聞いて・・・」という内容なので、TV「不適切にもほどがある!」の歌詞と、内容は似ているのです。

( これは2024.1.27以降のパレット記事に加筆再掲したものです。)

追記Ⅱ 2024.1.30 ( 黒板の言葉 )

第一話では、中学校の教師である主人公・小川市郎(阿部サダヲさん)の教室に、「愛はかげろうのように」の歌詞を連想するような言葉が書かれていました。作文の時間のようです。

正確ではありませんが、こんなような言葉。

「 夢を空にあずけた少年

将来どんな大人になりたいか、夢だけでなく、実現する方法を考えよう 」

追記Ⅲ 2024.1.31 ( 他のドラマにも・・・ )

TV「不適切にもほどがある!」の世界観は、突然出て来たように思われるかもしれません。しかし、「割れ窓理論」ではありませんが、近年の他のドラマにも、いくつか、「このままでいいのか?」という萌芽は見られたように思います。

何十年も昔のドラマにも型破りな若者は出て来ましたが、その型破りで、仕事を成功させる話が多かったと思います。

しかし、近年のドラマでは、それに加えて、型破りでもあまり仕事はせず、上司が注意したくても「ハラスメント」と言われるのを恐れて何も言えない、という悲喜劇も見られます。そのような人物が係に一人混じっていて、時に、上司と一対で、ピエロのような役をはたしているのです。

追記Ⅳ 2024.1.31 ( 映画「風の電話」 )

そう言えば、映画「風の電話」の世界観からも、「愛はかげろうのように」の歌詞を連想させました。



(  最後までお読みいただき、ありがとうございました。
更新されたときは「今週までのパレット」でお知らせします。)


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