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#ネタバレ 映画「英国王のスピーチ」

英国王のスピーチ
2010年作品
「あるがまま受け入れるのが愛である」
2011/3/11 11:34 by さくらんぼ(修正あり)


( 引用している他の作品も含め、私の映画レビューはすべて「ネタバレ」のつもりでお読みください。)

エドワード8世は、シンプソン婦人をあるがまま愛しました。その為には王冠を捨てることも厭わなかったのです。世の常識で言えば、色々問題もなくは無かったのですが、「あるがままなり」との信念で、それを超越するのが愛というものです。

アドルフは、幼いころ父から愛されなかった。今で言う家庭内暴力の被害者だったのです。家庭内暴力を受けた被害者は、心に傷が残ると、大人になり親になってから、今度は自分が加害者になる事があると言います。

画家になりたかった(自分の殻に閉じこもる逃避行為か)アドルフなのですが、なまじ演説も上手だったので、それを軍部が利用し…気がつくと、彼の心の傷が目覚め、大量虐殺の加害者へと豹変していったのです。

ジョージ6世は、厳格な王室ゆえの悲劇か、幼い頃「あるがままなり」な存在を父から許されず(愛されず)、左利きを矯正され、脚も矯正具をはめられて苦痛の日々を送ったのです。これでは父から肉体的暴力と精神的拒絶を受けたのと同じでしょう。彼は自信をなくし、今で言えば心療内科の範疇になるのでしょうが、吃音まで発症しました。

ここで、ジョージ6世がアドルフを成敗するために勇気を持って立ち上がる物語の真の意味が見えてきました。似た傷を抱えたもの同士、アドルフは傷を利用されて悪魔になり、ジョージ6世は傷を癒やされて、アドルフに宣戦布告する神になったのです。

この映画は歴史を謳いあげながら、あるがままに愛する事の真の大切さを描いていました。十人十色、人は人、自分は自分、と知っていても、いざ自分の子供が生まれると、子は自分の所有物だと錯覚し、子の個性を自分の好みに染めようとするのです。さらには虐待など論外です。

もちろん半分は、王に自信を付けさせるための演技でしょうが、王と対等に渡り合うセラピストも素晴らしかった。よい映画を観たと充実感を味わえる佳作でした。

★★★★☆

追記 ( 感情転移 ) 
2011/8/27 9:39 by さくらんぼ

傑作映画「アナライズ・ミー」では、神経症のギャングを偶然診察することになった精神分析医の悲喜劇を描いていました。ギャングから「先生は名医だ!」と感激され、親友扱いされ、追いかけまわされるのです。

ところで映画「英国王のスピーチ」では、英国王ジョージ6世の言語障害を診察した専門医ライオンとジョージ6世との、医師とクライエントとの垣根を越えた友情物語として語られることがあります。本当に友情が有ったのかは知りませんが、美談としても喜ばれるのでしょう。

私は専門家ではありませんが、そもそも心のお医者さんの場合、クライエントが心を開いてくれなければ満足な診察はできないのではないでしょうか。外科医ではないのですから。でも心を開くとクライエントが医者に友情・恋愛感情などのプラス感情を誘発することもあります。(ときには敵意などのマイナス感情もあります。)それを「感情転移」と言うそうです。それが極端に表れたときにはカウンセリングが中止になることもあるようです。

だから、クライエント側のマナーとしては、できれば「感情転移」の存在を心得ておき、過度のものは理性で抑える必要があるのかもしれません。つまりクライエント側から「先生は親友だ!」と言って接近することはご法度なのです。もちろん医者側は仕事ですから不用意クライエントに接近することはないでしょう。

映画「アナライズ・ミー」のギャングはロバート・デニーロが好演して魅力的な人物に仕上がっていましたし、映画「英国王のスピーチ」のジョージ6世も観てのとおり魅力的な人物です。でも、接近するのが、片方はNOで、もう片方ならOKでは、これは美談ではなく、単に医者のエゴだと言われかねない危険もあるのだと思いました。


( 最後までお読みいただき、ありがとうございました。 

更新されたときは「今週までのパレット」でお知らせします。)


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