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70年代の赤坂という街

最初に書いたように、私が赤坂に通っていたのは1974年春頃から77年春までの3年間。秀樹が19歳~21歳の頃。毎日いくつもの歌番組があり、テレビからもラジオからも、そして街角にも歌が溢れていた歌謡曲全盛期、後のバブル期とはまた違う、熱狂の時代。テレビに関わる人たちは、とにかく面白いことを、ヒトとは違うことをやってやろう、と、熱に浮かされたかのように寝食忘れて駆け回っていた。

ちょうど今、昭和歌謡に注目が集まっていることもあり、そんな時代のことを訊かれることがある。TBSというTV局を中心とし、まさに「The芸能界」という熱気に満ちていた、と言われていた街。秀樹が暮らし、所属する事務所があった街。そんな赤坂という街はどんな街だったのか。

昭和の熱狂時代を忍んで、あるいはハタチの頃の秀樹の面影を求めて、赤坂に行ってみたい。その手がかりのようなものがあれば教えてほしい。そんなふうに請われて、何度かツイッターにアップしてきた。といっても私はまだ10代でその熱狂時代を舞台の裾からほんのちょっと覗いていたに過ぎないのだけれど。しかも何の記録もなく記憶も定かではないので、ほんとうにただの「覚え書き」なのだけど。

それでもこういうものは残しておかないと、何もかも薄れていくばかり。時代の証言者もどんどん少なくなっていくばかりだから。70年代の赤坂について、このnoteにもマトメてみたいと思ってます。が、このまま続けると長くなるので、また次回に。(って、まだ始まらんのかい😅)(ごめんなさい)

で、ちなみにTOP画像。たぶんこれは当時のTBS会館の地下へ続く外階段で撮影したのではないか、と。なんとなくそんな記憶があるのだけど。ちがうかなぁ。

そしてもひとつちなみに。↓この画像は、2019年1月にテレ東の「アド街ック天国」の「赤坂」特集のときのもの。TBSの真向かいに西城秀樹さんの所属する芸能事務所があって。その下の階にあるアマンドは業界人が忙しく出入りしていて、と峰さんが語られていて。ほんとうに懐かしかったです。

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