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銭湯

 ほんとうにうっかりしていた。すっかり払ったつもりになっていたのだが、先月の分のガス代の払い込みを忘れていた。今月の分はもう払ってあったというのに。督促と停止宣告の手紙はきっとポストの奥に埋もれてるのだろう。出かける支度をするためにシャワーを浴びようとしたらいつまでたっても水が温かくならなくて、しばらく風呂場で寒さにもだえていた。つま先にかかるシャワーの飛沫が冷たい。もしかして、と思って風呂場から出てキッチンに行くと、コンロの火もつかなくて、ガスが止まったことを確信して、わたしははだかのまま、ワンルームのキッチンに立ち尽くした。クレジットカード払いとか口座引き落としとかにすればいいだけなのだが、その手続をどうすればできるのかもよくわからなくて、結局、面倒になってそのままで、毎月コンビニで律儀に支払っている。ガスが出ないと、この真冬には何もできなくなるということが本当に身にしみてわかった。温かいものを食べたくて、きのうの鍋の汁の残りをスープにアレンジしなおして食べようと思ったが、火にかけられないので調理もできない。電子ケトルでとりあえずお湯を沸かしながら、もし電気も同時に止まっていたら、という想像をして、わたしは絶望に打ちひしがれそうになった。とりあえず服を着て、あきらめてケトルのお湯で紅茶を淹れた。ガスとか電気が止まった経験が、幸運にもいままでは一度もなかったので、本当に油断していた。友人とかが、帰ったらガスが止まっててさ―とか、夏の夜に帰宅したらエアコンも電気もつかなくて、とか、そういうことを嘆いているのを聞いたことはあったし、支払いが滞るとガスとか電気とか水道とかが止まるものだというのは知識としてはしっていたが、いざ止まってみるまでは、こんなにも困るものなのだということを知らなかった。顔を洗いたくてもお湯が出ないし、本当にケトルでお湯を沸かして紅茶を飲むくらいしかできることがない。時計を見るともう十五時を過ぎていた。きのう明け方まで仕事をしていたので起きたのが十二時過ぎで、それからまたパジャマのまま仕事をして、そろそろ出かける支度をしようと思ったらガスが止まっていたことが判明した。貴志との待ち合わせは十九時で、まだ余裕がある。ポストを見に行ったら、ガスを止めました、という手紙がご丁寧に投函されていて、チラシの山の奥には、督促と停止宣告の手紙が入っていた。とりあえずコンビニで支払いを済ませてから部屋に戻り、手紙に書かれている電話番号に電話した。すぐにはオペレーターに繋がらなくて、ただいまお電話が大変混み合っておりますしばらくお待ち頂くかあらためておかけ直しを…というような内容のアナウンスの声を聞きながら、ベッドに仰向けになってだらしなく天井を見上げる。なかなか繋がらなくて、でもイライラとか諦めとかではなくて、いま電話をかけている、ということそのものを忘れてしまいそうな感じで意識がぼーっとなってきたあたりで、急に電話が繋がってびっくりした。お客様番号と名前と電話番号を伝えるよう言われて、支払ったという旨を話すと、係りの者がガスの開栓に向かいますのでお待ち下さい、と言われて電話は終わった。支払えばすぐにまた使えるようになるものだとばかり思っていたので、このまましばらくガスが使えないというのは誤算だった。きょう貴志に会って話すのは、たぶん、別れ話だ。そして、それできっと別れることになるのだろうともわたしは思っている。どうせ別れるんだし、べつに風呂にも入らず髪も顔も洗わず、適当にメイクを塗り直して行けばいいのかもしれない。そうかもしれないし、それでもいいのだろうとは思うが、なんとなく、いつもどおりにきちんと支度をして行きたかった。ガス会社との電話を切って、銭湯を検索してみたら、案外、近所にもあったし、ちょうど十五時からの営業になっていた。家からどちらも同じくらいの距離のところにふたつ銭湯があって、建物がキレイそうなほうに行くことにした。銭湯なんて、実家にいたころも、一人暮らしを始めてからも、全く行ったことがなかった。興味がなかったし、風呂なら家で入れるのにわざわざ銭湯に行く理由もわからなかった。考えてもみたことがなかったが、あたりまえのようにほとんど全ての人の家に風呂とかシャワーがあるこのご時世に、どうして潰れずに銭湯がやっていけているのか、不思議に思えてきた。シャンプーとかボディソープとかが置いてあるのかどうかわからなくて、検索してみたが、そのあたりは銭湯によって違うらしい。わたしが行こうと思っている銭湯がどうなのかはわからなくて、とりあえず旅行用の小さいボトルのやつを持っていくことにした。湯上がりに化粧をできるようなスペースはなさそうなので、化粧品は基礎の乳液だけ持っていき、コンタクトではなくメガネで行くことにした。旅行先で温泉に行ったりしたことはあるし、公衆浴場というものがどんなものなのかはなんとなくは知っているが、銭湯に行くのが初めてなので、少しだけ、ワクワクしていた。東京都の料金は一律で決められているらしく、どこの銭湯に行っても四百六十円なのだとネットには書いてあった。下駄箱とロッカーで百円玉が要るところと要らないところがあるとか、サウナはたいてい別料金なのだとか、そういう親切な情報がネットにはたくさんあった。銭湯専門のサイトもあったりして、まさか家に風呂とかシャワーがないわけでもあるまいし、どうしてみんなそんなに銭湯が好きなのか、実際に銭湯に来てみるまで、わたしには理解できなかった。番台で料金を渡して、そのまま女湯の赤い暖簾をくぐる。まだ早い時間だからか、客は少なくて、脱衣所には誰もいなかった。浴室に入るとおばあさんがひとり大きな湯船に使っていて、後ろ姿しか見えないので年代はわからなかったが、黒くて長い髪の華奢な体型のひとが身体を洗っていた。メガネを外しているのでおばあさんの顔ははっきり見えないし、もしかするともうちょっと若くておばあさんというには早いくらいの人かもしれないが、よくわからない。せっかく持ってきた旅行用のシャンプーのセットをロッカーの中に置いてきてしまったことに気がついたが、ここの銭湯はシャンプーとリンスとボディーソープが備え付けられていたので、それを使うことにした。身体を洗いながら、貴志といつか行った温泉のことを思い出した。確か、日帰りで箱根あたりに出かけた帰りで、帰り道で貴志が疲れたから温泉に入りたいと言い出して、小田原のあたりのスーパー銭湯みたいな温泉に寄った。そこのお風呂がどんなだったかとかは全く覚えていないが、男湯と女湯は別れていて、約束した時間になっても貴志が出てこなくて、わたしが怒ってそのあと喧嘩になった。貴志は温泉とか風呂とかがとにかく大好きて、普段から時間にルーズだったが、その日もひどくて、いくら待ってもなかなか出てこなかった。入ってから一時間後に出てくる約束をして入ったのだが、貴志が出てきたのは二十分以上も後で、貴志に言わせると、一時間で出れるわけがない、とのことだったが、わたしは約束の時間の二十分前くらいにはもう飽きて出ていたので、結局その差は四十分くらいになって、早く出てきたわたしも半分悪いにせよ四十分も待ったことでイライラして怒ってしまった。髪が長いと洗うのに時間がかかるのか、わたしが髪と身体を洗い終わって湯船に浸かったあとも、華奢なお姉さんはまだシャワー台の前にいた。家でお風呂を沸かすことはほとんど無いし、湯船に浸かったのは久しぶりだった。去年の冬に貴志の家に泊まりに行っていた頃は、貴志はなにかとお湯を張りたがって、貴志のマンションのそう広くない湯船にふたりで浸かった。最近はわたしが貴志の部屋に泊まることもほとんどなくなったし、なんだかそうやって一緒にお風呂に入っていたのが、遠い昔のことのように思えてきた。髪を湯船に入れないでください、と張り紙がしてあって、わたしもお湯に入る前にゴムで髪を結った。さっきの髪の長い人は、たぶんわたしよりも少し上くらいの年代で、持参していたクリップで頭の上に纏めた髪をとめていた。スリムなのに、その割に以外におっぱいが大きくて、形も色もキレイだったし、なんだか羨ましかった。平日の昼下がりに見ず知らずの女三人が湯船に浸かっているというのは、わたしにしてみればとても非日常的なことで、不思議な感じがした。貴志はきっと今頃も、いつものようにオフィスで働いているのだろうか。別れなければいけない、というような気がしていたし、別れたほうがいいのだろう、ということもわかっていたが、ほんとうはわたしは別れたくないと思っているんだろうな、ということが、静かにお湯に浸かっていたらわかった。わかったというよりは、気づかないでいようとしていたのに気づいてしまった、という感じだった。貴志には会いたいけど、別れ話はしたくない、というふうに思いたかったのに、思わないようにしていた、みたいな感じ。別れたくないと騒いで相手を困らせるような物分りの悪い女にはなりたくない、とか、別れたくないと自分から言いたくはない妙なプライド、とか、そういう、いまのわたしを縛り付けているものを全部捨ててしまいたかった。気がついたら涙が出ていて、おばあさんが心配そうな顔でときどきわたしのほうを見ているような気がした。気のせいかもしれないし、それに目が悪いので表情とかはあんまりよくは見えないが、そういえばおばあさんではないかもしれないと思っていたけど近くでよく見たらやっぱりおばあさんだった。あるよね、そういうこと、わかるよ、わかる。涙をこらえようと思っていたら、そんなようなことを、痩せているくせにいいおっぱいのお姉さんがわたしに向かって言ってくれているような気もしてきた。妄想と思い込みだったとしても、なんだか、銭湯が優しい場所のように思えてきた。壁にペンキで描かれた富士山の絵が、よく見ると湯船に反射して映っていた。窓の外から、夕方の光が差し込んでいて、天井の蛍光灯の明かりが、だんだんと白さを増してきているような気がして、銭湯に来るときに見た、寒々しい空と、ほとんど葉の落ちた木を思い出した。(2018/01/31/16:42)

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