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歪む視界、研ぎ澄まされる意識、濁る世界

 わずかに視界が歪んだような気がした。自分のいる場所が後ろに下がるような錯覚、ビデオカメラで後ろにスライドしたり、ズームアウトしたりするような、そんな感じで、薬が鼻の粘膜から吸収されるのを感じた。その夜おれは眠れなくて、苛立っていた。神経も身体もぐったり疲れているというのに、どういうわけか眠れず、時間を持て余したまま深夜が過ぎていった。仕方がないので、随分と久しぶりにその安定剤を砕いて鼻から吸った。この程度の安定剤で、とは随分と安上がりになったものだ。昔は睡眠薬でそれと同じことをしていたが、睡眠薬はいまは手元になかったし、一応、自分のなかでそういうのは卒業したことにしていた。そのへんにあった一番しっかりとした紙がそれだったので、クレジットカードの請求明細の上に錠剤を置いた。そしてそのへんにあったブランデーのスキットルタイプのガラスのボトルの底で、丁寧に錠剤を押しつぶした。処方箋で貰った薬だし、服用方法が正しくないというだけで、べつに違法性は全くないが、それでも、なんだか正しくないことをしている背徳感のようなもので、少しだけ気持ちが昂る。きれいな粉になるまで錠剤をつぶしたら、財布からクレジットカードを取り出してその渕を使って、粉末が線になるように整えた。ストローを探したがそんなものがあるはずもなく、財布から一万円札を抜き出して筒状に丸めた。別に一万円でなければならない理由はまったくなくて、たまたま財布のなかの一番綺麗な札が一万円だっただけだった。一万円札のストローを鼻に突っ込んで、左右交互に、粉末のラインを強く吸い込む。しばらくして、どんよりと頭が重くなってくる。空中に首から上だけが浮いていて、その重さを感じているような、不思議な感じだ。重力だ、重力を感じている、そんなふうにぼんやりとした頭で考える。どういう働きかは知らないが、脳の感度がいつもと違う感じがする。流石に実際に幻聴や幻覚はないが、見えないものが見えていたり、聞こえないものが聞こえていたり、するような気がしそうになる。少し離れたところにあるベッドの上でめくれた布団の形が、ゆらゆらと動き出しているように見えそうになる、ような気がする。喉の奥に吸入した薬が垂れてきて、甘くて苦い嫌な味がする。精神がすごく落ち着いた感じになって、脈が遅くなっている。いままで気にしたことなんてまったくなかったような壁紙の模様が急に気になってくる。きれいな格子模様が細かく刻まれた壁紙のその格子模様が、歪んで乱れているように見えそうな、気がする。無意識のうちに手が伸びていて、ブランデーをくちに含む。なめらかな液体が喉を流れ落ち、食道を熱くする。人間のすべての活動がどうしようもないくらいに無意味で無駄、それでいて、とてつもなく有意義で無駄なんてかけらも存在しないように思えてくる。たとえば、十代の女の子とのセックスがとても素晴らしいものなのかと言えば、答えはいいえ、べつにそうとは限らないし、そもそも素晴らしいセックスがあるのかどうかが怪しい、そんなことを考えながらオレは、いままで経験してきた素晴らしいセックスの数々を思い出す。ブランデーをもうひとくち飲むと、強い香りが口のなかの粘膜を刺激する。空中に浮いていた首から上の部分が、すこしだけ、さっきよりも少しだけ、重力から自由になったような気がした。ふわふわと浮いているわけではもちろんないし、実際はいつもどおり“首から下の部分のオレ”に支えられてそこに存在しているのはわかりきったことなのだが、それでも、重力から少しでも自由になれたことに、おれは喜びを感じた。もう随分と食べていないが、きちんとした中華料理屋の鶏そばというものがオレは昔からとても好きだった。東急の目黒駅の裏手にある坂の途中に建っている昔からある中華料理屋に子供のころからよく行っていた。父方の祖父母に連れられて行っていたことが多かったように思う。角のある細麺で、蒸鶏と青菜が乗っている。スープは上品な鶏ガラで、甘みと塩味のバランスがよい。環八沿いの九品仏と尾山台の間にかつてあった豪華飯店という店も好きな店だった。目黒の店よりも少し庶民的な感じの店だったが、昔からあるという感じの暗い雰囲気の店だった。こっちは母方の祖父母に連れられてよく行った。この店にも、鶏そばがあって、目黒の店よりもすこし醤油が効いた味だったが、塩ベースの鶏出汁に角のある細麺の組み合わせで、蒸鶏と青菜が乗っていた。なぜいまオレは急にこんな中華料理屋の鶏そばのことを考えているのか、自分でも皆目検討がつかないがたぶんオレはあしたの朝おきたら中華料理屋の鶏そばを食べたいと思っていて、おそらく目黒でも田園調布でもなくて、西麻布にある中華料理屋にいくような気がする。目黒の店は無駄に高価すぎるし、田園調布の店はもう十年くらいも昔にビルごと潰れていまは跡形もない。西麻布の店は他のふたつの店よりは少しだけ品格に劣るかもしれないが、それでも、それなりの値段を取っているし、青木雄二の漫画に出てきそうなパンチパーマの昔風のウェイターのおじさんと、六十歳を越えた緑色の喋る鳥が名物の店だった。なにわ金融道のおじさんは、背広を肩に引っ掛けて、暇な時はただただカウンターで煙草をふかしている。鳥は去年死んだらしい。以前行った時に、鳥のことをおじさんに聞いたら、先月に死んじゃって。と言って、レジ台の内側を指差した。白い箱がその指がさす先にはあって、それがあの鳥の骨だという。バーカ。あの鳥はよくそういうような短いことばと喋っていた。ブランデーのスキットルボトルが殆ど空になっている。スキットルとスキレットが混ざって、よくわからなくなってしまうことがある。そうだな、たとえば五万円もあれば、一人でも、二人でも、楽しい旅行に行けるような気がする。視界の追従速度が遅くなっている。部屋の中を見て回すと景色があとからゆっくりとおれの視線の動きに従いてくるような感じがする。五万円あったらオレはいまやはり伊豆にいくだろう、伊豆には何度も行っているが、素晴らしい温泉があるし、海産物も美味しいし、なにより、馴染みの天ぷら屋がある。泊まるところなんてどこでもいいし、別に車のなかに泊まったってかまわない。最後に伊豆に行ってからもう二ヶ月くらい経ってしまった。月々の家賃とは別に、伊豆に行く金を稼ぎたいくらいだ。べつに五万円でなくてもいいのだが、毎月の伊豆代、五万円。五万円というお金を稼ぐのは、十年前のオレには最低でも五日はかかる仕事だった。六年前のオレなら四日だろうか。いまのオレなら最低でも二日、頑張れば一日で稼げる。ブランデーのボトルは空になった。オレはいま、自分の身体や精神を制御できなくなりそうで、ギリギリ制御できている、そんなラインにいる。かつてこうやって安定剤とか睡眠薬をスニッフ吸引していたころは、それこそ本当に幻覚が見えたり、止まっているものが動いて見えたりした。文章だってまともにかけなかったし、それを思えば、いまは限りなくシラフに近い、それでいて少しだけキマった状態だ。そうめんを茹でて食べるのも悪くないだろう。いまおれは、炭水化物をあまり不必要に摂らないようにしている、それが今日はランチに友人とうどんを食べてしまって、それがきっかけになったのかどうかはわからないが、なんだかやたら腹がへるような気がしている。ひやむぎでもいいかもしれない。茹でて冷たくキリッと締めたひやむぎを、もう一度お湯にくぐらせて温めて、生卵に絡めながら辛口のつゆで食べたい、しかし、ひやむぎが家にあったかどうかはさだかではないしひやむぎをわざわざこのクソ深夜に買いに行く程のモチベーションはない。重力から頭は自由になったが、それがブランデーの酔いなのか、安定剤の酔いなのか、よくわからないが、自分の身体がまるで自分の身体ではないようだった。そうめんを茹でるのか、それともひやむぎを茹でるのか、こうして深夜に眠りに落ちる前に炭水化物を摂取することで、おれはたぶん明日の朝、とんでもない空腹に苛まれて目を覚ますことになるのだろう。仮想通貨のトレードアカウントを見ると、オレがこうして安定剤と酒に酔っている間に、指値注文による売却益で、ちょうど五万円くらいが儲かっていた。オレは、この先の人生を、この先の日々を。誰と、何をして、過ごして行けばよいのだろうか。わからない? そんなわけはなくて、おれはとっくに知っている、全てを知っている。脳裏に唐突に港区の金杉橋あたりの風景が思い浮かぶが、全く関係ない。それからさらに、すさき橋という品川区にある橋と、その橋のそばにある天ぷら料理屋のことが脳裏に浮かぶがそれも全く関係ない。流れていく時間の中で、大切なものがなんで、大切なひとが誰で、ほんとうにするべきことがなんなのか、何をして生きていけばいいのか、そんなことをオレははるか昔の生まれる前から、たぶん、知っている。もうすぐ夜が明けて、新しい一日が始まる。ランチに食べにいく中華料理屋の鶏そばに備えておれはたぶんこれからひやむぎを茹でるが、おそらくきっと中華料理屋にはいかないような気がする。人生、その矛盾と間違いに含まれた、人生、というその言葉に、オレは塩素臭い人工温泉につかることができる千葉県の美浜市のスーパー銭湯に通っていた頃のことを思い出す。あの頃の俺は、暇ができるといま思うとたいして良くもないその温泉に通っていた。温泉に入る前には、その近くのオートテニスでひとりでテニスをしていた。テニスで汗をビールを飲んで流して温泉に入る。温泉は深夜二時までで、追い出されるようにして温泉を出て近くのローソンで、Lチキと味付きゆで卵を食べる。温泉の近くの大戸屋に、昔、何回かセックスをしたことがある女の子と来たことがあった。豆乳と豚の何か、みたいな料理を、その子におごったような気がする。その子とはもう随分会っていないし、会う必要もないし、たぶん会わないだろう。おれはたぶん、このあと、そうめんかひやむぎかはわからないが、何かの小麦によってできている麺を茹でる。シラフでは絶対に書けないこの怪文章のようなテキストを見て、あしたのオレはどう思うのだろうか。たぶん、何も思わないような気がする。あの子と付き合えて、あの子と生きていけるといいのだろうな、と突然におれは今、あの子の顔を思い浮かべながら思った。何回かセックスをしたことがあって、千葉の大戸屋で豆乳と豚の何か、みたいな料理をおごった子のことではないが、しかし、あの子ってどの子だよ。でも、それは完全なる愚問で、そんなことはオレだって知らないし、わからない。さっきも言ったが、これから炭水化物を食べてから寝るので、明日の朝はひどい空腹に苛まれて目が覚めることになる。たった一度うどんを食べただけで、こんなにも、食欲の内容が変わってしまうことを考えると、ほんとうにグルテンは恐ろしい。オレはあの子が好きで、あの子とできればずっと一緒にいたいと思っている。いつか、御前崎の漁港で車中泊して目が覚めて、しらす丼を食べたことがあった。あの子とも、御前崎の漁港でシラス丼をたべたり、由比漁港で桜えびを食べたり、有東木でわさび料理を食べたり、そういうことが一緒にできたらいいな、いやきっとできるだろう、そういうことを考えて、それで、おれは結局はどうしたいのだろうか。ブランデーが空になって缶ビールに手を出す。こうやってダラダラと飲み続ける感じが、とりとめがなくて、最低で、まるでオレの生き方みたいだと思った。ふわふわとした首から上は、風にのって空を飛んでいけそうだった。恋愛がなんだ、人間がなんだ、オレはオレで、たぶん、明日もオレはオレだろう。部屋が寒すぎることに急に気がついて、オレはいま、やっと、暖房をつけた。(2018/01/15/05:14)

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