バイオレンス夜・ザ阿佐ヶ谷
こんな真夜中に来るのはどうせ亜沙子だろうと思ってオレは寝ぼけながらドアの鍵を開けた。オレの部屋の玄関のベルはファミマの来店チャイムと同じ音で、真夜中のアパートにファミマの入店音が、オレが寝ていたら部屋に何度も間抜けな音で響き渡った。真夜中に玄関のベルを鳴らすのは近所に迷惑だからやめてくれとあれほど言ってあったのに、何回も押しやがって、ほんとに迷惑なんだよな、などとブツブツ言いながらオレがドアを開けると、そこに立っていたのは亜紗子ではなくて、スキンヘッドでくまみたいな体型のデカイおっさんだった。あんたぁ、オハラさんだよな、悪いな夜中に。そう言いながら、その言葉とは裏腹に、ちっとも悪びれる様子を見せずに、そのくまみたいなおっさんはオレの部屋に上がり込んできた。そう、信じがたいことに、土足のまま上がってきたのだった。外は雨が降っているようで、おっさんが着ている下品な色合いのスカジャンの肩は薄っすらと濡れていたし、当然だが、おっさんの靴の裏も濡れていて、オレの部屋の床を泥色に濡らして汚していた。おっさんの後ろには、寿司屋のしたっぱとかにいそうないかにも体育会系という感じの丸刈りの青年が二人従っていて、そいつらも突然のような顔で靴のまま室内に上がり込んできた。おっさんは顔とか首とか手とかに沢山入れ墨が入っていて、ゴツゴツとした指輪をしていた。殴られたら痛そうだなと思ってオレは俯いて黙ったままその指輪を見ていた。亜紗子がよ、ちょっとな、やらかしてな。どう話つけんだよ、ってなったときによ、おめえさんの名前が出てきてな。まぁそりゃ一方的な話だとは思うけどよ、わりぃけど、そういうもんなんだ、うん、わりぃけどな。おっさんはゆっくりとそう言って、スカジャンのポケットから煙草を取り出した。おっさんが口に咥えるその前に後ろの舎弟が既にライターを用意していて、なんのことわりもなくおっさんは煙草に火をつけた。あの、すいません、それ、一本もらえませんかね。そう言ったオレの声は震えていたし、オレの体は膝のあたりがガタガタと震えていて、全く気分が落ち着かなかった。普段はあんまり煙草は吸わないのだが、ひどく疲れたときとか、精神的に落ち着かないときとかにはつい吸いたくなってしまう。おっさんはニヤッと笑って一本煙草を抜き出して、セブンスターのソフトパックをおれに差し出した。オレが震える手でそれを抜くと、後ろの舎弟がどこかのバーのマッチの箱をポケットから出してオレの足元に放り投げた。いい度胸してんじゃねぇかよ、オハラさんよぉ。おっさんがマッチの箱を見ながら笑って言った。オレが恐る恐るしゃがんで、マッチを拾うと、おっさんと舎弟たちはその姿を見てデカイ声でゲラゲラと笑った。拾ったマッチを擦って、セブンスターに火をつけた。普段は吸うにしても換気扇の下で吸うことにしているが、もうヤケクソでそのままそこでオレは煙を吸い込んだ。マッチのリンの香りがあたりに広がって、オレは少しだけ懐かしい気分になった。さっきからの話し声も小さい声とは言いがたかったし、舎弟たちの後ろのドアは開いたままで、皆が黙ると雨の音が聞こえる。あの、深夜なんで、近所から苦情とか来ちゃうんで、あの。おっさんと舎弟たちがオレが煙草を吸う様子を見てまた大声で笑ったので、やんわりとそう苦言を呈したら、いきなり強く殴りつけられた。ゴツゴツとした銀色の指輪の冷たい金属の感触が頬に触れて、おっさんの身体から漂う香水と煙草のまざった匂いがして、おれはシャワー室のドアに凭れて倒れ込んでいた。手にしていたタバコがパジャマの太もものあたりに落ちて布が焦げて皮膚が焼けるにおいがした。歯は折れてはいないようだが、口の中からは血の味がするし、よく見るとシャワー室のプラスチックのドアが割れて壊れていた。えっ、割れちゃったじゃないですか。自分の怪我の心配もそこそこに、退去時の敷金の返却額が減ることを心配していたら、お腹のあたりに蹴りが入った。厚くて硬いブーツの底がみぞおちの下辺りに思いっきり入り込んで、オレは吐きそうになった。オハラさんよぉ、痛いのと、ひどいの、それだったらどっちがいいかね、選ばせてやんよ。おっさんの目からは笑いが消えていて、チクチクと生えた白髪交じりのあごひげを指先でなでながらオレの前にしゃがんでそう言った。口のなかの出血がとまらなくて、オレは曖昧に、へぇ、と返事をした。おっさんはまた立ち上がって、咥えていた煙草を床に放り投げると、靴の裏で踏み潰した。床が…と思ったが、また殴られたり蹴られたりするのが怖かったのでオレは黙っていた。さっき殴られた時にメガネがどこかに飛んでしまって、おっさんが立ち上がって離れてしまうと、どういう表情をしているのかがわからなくなった。何を言っているのかはよく聞こえなかったが、おっさんが舎弟になにか小さな声で指示を出して、舎弟の一人が部屋を出ていって見えなくなって部屋には沈黙が残った。蹴られた時にシャワー室のドア枠に当たった腰のあたりが痛かった。いなくなった舎弟は亜紗子を連れに行っていたようだった。メガネがないのであまりハッキリとは見えなかったが、近づいてくると、亜沙子はなにやら酷い格好をしているようだった。雨と泥に髪も肌も汚れていたし、服装も乱れていて下着同然のような格好だった。口を銀色のガムテープで塞がれていて、目のめのまわりが赤黒い紫色に腫れていた。こういうことになっちまった理由はよ、こいつに後で聞いてくれ、ってとこなんだけどよ、わりぃけど、オハラさん、あんたにも来てもらうからな、すまんけどよ。また言葉とは裏腹に、全く済まなそうな様子を見せずに、おっさんはおれの手首を掴んで、オレの身体を軽々と引き上げた。亜紗子を連れてきたほうではない方の舎弟がすかさずオレの口を銀色のガムテープで塞いだ。おれはパジャマに裸足という格好で、携帯も財布も持っていなかったが、そのまま引きづられるようにして部屋から連れ出された。手足は縛られていなかったし、このままどこかに連れて行かれて亜紗子と一緒にひどい目に合うのはとにかく御免だったので、なんとか逃げることを考えながら、アパートの前の鉄の階段を降りた。隣の部屋に住んでいる利根川さんは、今頃すやすやと眠っているのだろう。足の裏に伝わる階段の濡れた冷たさが辛かったし、屋根のない外に出ると、そう酷い降り方ではなかったが、雨が容赦なくオレの顔や髪や身体を濡らした。オレの部屋の前の路地にはあくすんだねずみ色のハイエースが停まっていて、ナンバーは練馬ナンバーだった。まずおっさんが助手席に乗り込んで、舎弟のひとりがうしろのドアを開けて、オレを中に押し込もうとした。その時、亜紗子がなにか抵抗したようで、もう一人の舎弟がそれを抑えようとする声が聞こえて、オレの後ろにいた舎弟も亜沙子の方を向いたのでオレは一瞬だけ後ろを振り返って走って逃げ出した。亜紗子は地面にしゃがみこんでいて、舎弟がその手を引っ張ろうとしているところだった。そもそもオレはなんの関係もないし、亜紗子が何をしたのかは知らないが、それを助ける義務もなければ、ともに罰を受ける筋合いもない。おれは、濡れたアスファルトを裸足の足の裏で蹴って雨の中に走り出した。もっとも、逃げ出すのはびっくりするくらいにあっさりと失敗した。素早く手前のほうにいた舎弟のチャージをオレは食らって、そいつの肩がオレの背中に食い込んでオレは路地の突き当りのブロック塀に顔面から叩きつけられた。地面に擦れて足の甲が擦り傷だらけだったし、小指のあたりをどこかにぶつけてものすごく痛かった。フラフラとするオレを無理矢理引き起こして、その舎弟はオレをハイエースの荷室に押し込んだ。亜紗子も既に荷室に押し込まれていて、舎弟の一人が運転席に座り、もう一人がオレたちの前の折りたたみシートに座った。荷台の床は雨と泥で汚れていて、オレは体中が痛くて起きていることができなくてだらしなく横になっていた。車が動き出して、亜紗子の顔を見たら、亜紗子は悲しそうな顔をしていて、オレの視線に気づくとすぐに目を逸した。口のなかの出血が酷くて、生臭い血の匂いが鼻腔には漂っていたが、よく意識を研ぎ澄ますと、シャンプーとか香水とかの、いつもの亜紗子の匂いがした。オレはその匂いで不意に勃起してしまって、でも身体を動かす余力がなくて、ただそのまま上を向いて寝そべっていた。メガネがないから、窓の外に見えるであろう雨に濡れた景色は、きっと余計に滲んで見えるのだろう。目を瞑ってエンジンと道路の音に意識を集中していると、亜紗子の手がトランクスの中に入ってきて、オレの勃起したそれをいきなり強く握りしめて、そのまま力任せに素早く擦り始めた。わけがわからないまま絶頂を迎えてオレは下着の中に射精した。射精のその瞬間、この先にどこに連れられていくのかとか、どんなひどくて痛いことをされるのかとか、そういうことを瞬間的に考えて、その後で急に全てを諦めたような穏やか気持ちになって亜紗子の顔を見たら、亜紗子は上を向いたまま涙をボロボロ流して声に出さずに泣いていた。亜沙子の手がオレのトランクスの中から出て行くと、下着の布地が中からもぐっしょりと濡れて気持ち悪くて、亜沙子の手からあたりには精液の青臭いにおいが漂っていた。(2018/02/07/20:39)
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