割れたオイルパン
タクシーに苛立つのは、日常的に東京で運転していれば、そう珍しくもないことだろう。過ぎてしまったことは仕方がない、そんなのはわかっていた。とりあえず困ったな、と思いながら、オレは地面に寝そべって、エンジンの下からオイルを垂らす愛車の姿を、途方に来れながら眺めていた。ついてない、そんな言葉が脳裏をよぎったが、少なくとも車が壊れたことに関しては自分に非があるのは明確だったし、怒りや恨みは全くなくて、めずらしく、後悔と自責の念にオレは溢れていた。一台のタクシーが原因ではなかった。山手通りを池袋の方から走ってくる間に、累計で十台近いタクシーに苛立っていた。無理矢理割り込まれたり、突然客を拾うために止まったり、駅前に近づくと突如スピードを落として客を探してノロノロと走ったり、あたりを全く見ていなくてトロトロと走る初心者マークのコンパクトカーと並走したり、とにかくそういう運転をするタクシーにイライラし続けて、もうすぐ中目黒に差し掛かろうとする山手通りで、その時前にいたタクシーをオレは強引に追い抜いた。追い抜いた瞬間にはスカッとしたが、追い抜き様になにか嫌な金属音がボディの下から聞こえて、フレームでも打ったかな…ロアアームとかにあたってると嫌だな、などと思いながらオレは反射的にスピードを緩めて、その刹那、また目の前に別のタクシーが割り込んできて、ため息をついた。べつにまっすぐ走ったし、とくに足回りがイカれたりしたわけではなさそうだったが、不安で、そのあと家の近所のガソスタに寄った。いまになって思うと、ただ現実から目を背けたかっただけなのかもしれないが、オレは何を思ったのか、下回りは見ずに、空気圧の点検をした。空気圧が低いと下回りとぶつけやすくなるような気がしたのかもしれないような気がするが、点検の結果、空気圧は正常で、オレは渋々車の下を覗き込んだ。ポタポタとオイルが垂れていて、心臓を急激に冷やされたような気持ちになった。ライトで照らして覗き込むと、オイルパンから垂れているのが見えて、脳内で三万円くらいだろう、という見積もりが出て、その日の仕事のギャラが二万五千円だったことを思い出して、オレは絶望的な気持ちになった。オイルパンというのは、エンジンを潤滑したり冷却したりする働きのあるオイルをエンジンのなかで循環させて、暖まったオイルを一旦その中に溜めて冷却し、またポンプで上に吸い上げる、というサイクルのなかに登場する部品で、放熱性や低重心性能を狙って、車体の低いところに取り付けられている。そこが割れてしまうと、オイルを溜めておくことができなくなり、そのまま漏れ続けているとエンジンオイルが無くなって、最後はエンジンが焼き付いてしまう。ちょうどオイルパンのシールからのオイルにじみが気になってはいたので、まァいい機会だしと思い、心を無にしてとにかく修理することにした。もちろん、目視でわかるオイルパン以外のところにもダメージがある可能性はあったし、そうなると三万では済まない可能性も充分にあったし、考え出すと嫌な気持ちになるだけなので、とにかく何も考えないようにした。翌朝、行きつけの修理工場に電話すると、すぐに見積もりを出してくれることになって、ロードサービスを呼んで車を運ぶことになったのだが、家の鍵が見つからない。昨日の行動をたどると、帰宅したときにちょうど玄関が空いていて鍵を使わなかったこと、その前に寄った店、とかのことが思い浮かんで、夕飯を食べた店に電話してみたが鍵の落とし物はなくて、その後に寄った家電量販店にも届いていなくて、半ば絶望しかけたが、ガソリンスタンドに寄ったことが記憶から抜け落ちていることに気がついて、電話してみると、車の下を覗き込んだときに落とした様子がカメラに記録されていたらしく、車両のナンバーを伝えると、預かっていますよ、と教えてくれた。ディーラーからはその日の夕方には電話が来て、見積もり金額は五万円出してお釣りが二〇〇円、というような金額だった。三万円くらい、というのは一般的なオイルパンの部品代と交換工賃の相場観からのイメージだったのだが、オレの車はなんということか、贅沢にアルミ製のオイルパンを使っていて、しかもその交換にはマフラーの脱着が必要なため、どうしても総額でそのくらいの金額になってしまうらしかった。反射的にヤフオクで中古のオイルパンを探したが、オレの型式のエンジンに対応するオイルパンは出品されていなくて、泣く泣くオレはその五万円の修理を整備工場に依頼することになった。全く別の仕事で、三万円のギャラの仕事のオファーがタイミングがいいのか悪いのかわからないがその夜に来て、仕事の内容とギャラが割に合わない気がしたので、オレはまず断ろうと思ったのだが、修理代のことを思い出して、すぐに思い直して、その仕事を請けた。結果、あまりいい仕事ではなかったし、請けなければよかったと思ったりもしたが、修理代を捻出しなければなかったので、仕方がなかった。そもそも、タイミングベルトとウオーターポンプの交換、さらにはタイヤの交換もしなければならなかったので、そんな余計な出費をしている場合ではなくて、とにかくその五万円というのは、オレにとっては痛い勉強料だった。これで済んでよかった、という安堵と、こんなことにならなければよかった、という悔いとが混ざった不思議な気持ちで、いっそ笑ってしまいたかった。修理代を払って家に帰る道で、運転しながらオレはひとりで、渇いた声で笑った。そのときの修理代の請求明細書を、オレは今でも部屋の壁に画鋲で貼ってある。(2018/02/05/04/45)
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