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共同井戸端がある世界と一発の爆弾

『ブルターニュの歌』ル・クレジオ【著】/中地 義和【訳】

毎年家族で夏の数カ月間を過ごした、思い出の地ブルターニュ。
水のにおい、水の色、古城での祭り、土地の人々との交流……。
そして、戦時下に生を享け、戦争と共に五年を過ごしたニース。
母と祖母の庇護、兄との川での水浴、まばゆい日々の記憶……。
ノーベル文学賞作家が初めて語る幼少年時代。

そこは私の誕生の地ではなく、一九四八年から五四年まで毎年夏の何カ月かを過ごしたにすぎないが、どこよりもたくさんの感動と思い出をもたらしてくれた土地である。(…)われわれはブルトン人であり、どれほど時を遡っても、こうした見えない堅固な糸でぼくらはこの土地に結ばれているという考えとともに私は成長したからだ。
(「ブルターニュの歌」より)

私の心をかき乱すのはおそらく、歴史のこの部分だ。それは、戦争とは子供を殺すものであることを理解させる。戦時中に生まれた者は、真に子供でいることができない。(…)武器を運搬する子供は子供ではなくなる。その子は人生の別の年代に属することになる、別の時代に入ってしまったのだ、粗暴で、獰猛で、仮借ない時代に。大人の時代である。
(「子供と戦争」より)

ル・クレジオの幼少期(戦争)もの中編二作。それが個人の戦争の思い出あり、幼少期が重なっているので、それが繭の中(おばあさんのスカートの中という『ブリキの太鼓』的な)の読みようによっては明るい懐かしさのようなものがある。それは戦争で大人の男たちはいない女と子供だけの世界に占領軍がいて、その占領軍もドイツ兵ではなく陽気なイタリア兵(女たちをナンパするような)だったので、母と祖母に守られながら生活していたようだ。ブルターニュという地方がブルトン人というケルトの血を引く親イギリス人と見られていたことからもフランス中央とは対立があり。またモーリシャス島と植民地出身ということも複雑な民族的事情があるのだった。そうした記憶が一発の爆弾で吹っ飛んでしまう(それはドイツから解放させようとするカナダ軍のものだった)。その書き方が過去の戦争ものではなく、現在も続いている戦争文学という気がする。ル・クレジオがトラウマから窓からものを叫び声を上げながら投げ捨てる破壊衝動とか『ブリキの太鼓』のオスカルのものようだった。

あと直接には関係ないのだが、フランスの「落穂拾い」のスタイルがル・クレジオの時代にはあったというのがアニエス・ヴァルダのドキュメンタリー映画『落穂拾い』と重なって興味深かった。おなじような飢餓に逢いながら中国の作家は「落穂拾い」は地主から酷い仕打ちにあったとか。そういう思想性もあるのかもしれない。最初の村にある井戸の話も古き良き共同体の話だった。


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