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『恐るべき大人たち』というドラマもあった

『恐るべき子供たち 』ジャン・コクトー(著)東郷青児(翻訳)(角川文庫)

近現代文学史上、智々、で危険な小説!

享楽的で退廃的なムードが漂う第一次大戦後のパリ。エリザベートとポールの姉弟は、社会から隔絶されたような「部屋」で、ふたり一緒に暮らしていた。そこへポールの級友ジェラールが入りこみ、さらにエリザベートの親友アガートも同居をはじめる。強い絆で結ばれながら、傷つけあうことしかできない4人。同性愛、近親愛、男女の愛…さまざまな感情が交錯し、やがて悲劇的な結末を迎えるまでの日々を描いた小説詩◆同性愛、近親愛、異の愛。部屋のあり天才芸術家の名を見る訪問にありジャン・コクトーの小説を、西洋画家・東郷青児が戴可い筆最後で訳しだでき名作。

ジャンピエールメルヴィルが監督した映画『恐るべき子供たち』を観て映画ではよくわからないところがあったのでコクトーの原作を読んだ。

弟のポールは病弱、雪合戦でダルジェロに胸を撃たれて倒れる。介抱した友人ジェラールに連れられ姉がいる家(部屋)に出入りするようになる。最初は姉弟と友人の三人関係。

ダルジェロは悪魔的とされる少年だが死神に近い存在。ポールはダルジェロに惹かれており、それを姉が許さない。姉はポールと喧嘩することで、ポールにまとわりつく死の倦怠感から抜け出させようとする。姉と喧嘩することでポールは生の情熱を持つ。

姉弟の愛の物語なのだが、ブルジョア的な成長を拒否する。孤児のマネキン娘アガートと親友ジェラールはブルジョア的結婚をさせたということで、姉であるエリザベートの策略(姉弟心中)は完成されるのだが、ポールは姉に押しつぶされたのではなかったのか?

もともと病弱で姉が面倒を見てきた保護者であったわけだ。ポールがダルジェロの雪玉に胸を撃たれるのは、同性愛的でそれを姉が阻止したのか?ダルジェロは悪魔的とされるのだが、姉の方が悪魔的。途中ミカエルという保護者と結婚するのだがすぐ事故死。あの結婚はなんだったんだろう。偽装結婚?

ミカエルはキリスト教の保護者の堕天使の名前は、意図的に付けられたのだと思う。キリスト教的な保護では済まされない死があったのだ。

コクトーが阿片中毒期に書かれた小説で、その(ボードレール的な)倦怠感を断ち切ろうとして書いたレクイエムなのだ。大人になれなかった者たち、早逝した若者たち。

「彼らはどこにいるのか、それらの栄光の仲間たちは?
 殺された海兵隊の水兵たち。
 詩で一面おおわれた操縦席で焼死した、ロラン・ガロ。
 友だちの手紙を整理しながら機関銃で殺された、ジャン・ル・ロア。
 休戦の朝、発作で死んだ、ギョーム・アポリネール。
 アルザスで殺された、マルセル・キル。
 ゲシュタポに拷問された、マックス・ジャコブ、ジャン・デオルド.........
   死者たちの行列」

この死者の名簿には『肉体の悪魔』のレーモン・ラディゲが入ってないが、一番の喪失はかつての恋人とも言っていいラディゲの死だった。コクトーが若く天才詩人と活躍したベル・エポックの時代(この作品で描かれるような子供時代)から第一次世界大戦が忍びよる暗澹たる時代(戦争によって大儲けするブルジョアジーの時代)にノーを突き通すレクイエム作なのだ。

ガラクタだらけの子供部屋は、ボリス・ヴィアン『うたかたの日々』を連想させる。『うたかたの日々』は愛人に蓮の花が胸に咲くのだが、それが弟だった。エリントンの音楽と恋愛小説があれば満足だったという世界。コクトーは阿片中毒を断ち切る為にベルエポック時代を清算をした。死者たちに捧げられている。

姉が弟を愛しすぎていたのはわかる。弟は、別の世界に行きたかったのではないのか。ダルジェロそっくり(こちらも姉弟的な側面を見せる)のアガートを好きになるのも姉離れの傾向だった。そうこの作品でも引用される『ポールとヴィルジニー』という小説がポイントになる。コクトーのアヘン中毒を断ち切る為に書かれた小説。

ダルジェロによる憧憬と姉の愛に引き裂かれながら夢遊病者であるポールが結局は死の力に屈服せねばならないことはわかっていた。だから束の間の刹那を生きなければならなかった姉の弟思いなのかもしれない。それによって、友人のジェラールとダンジェロの生き写しの少女は結婚させられる。どうしようない戦後に。




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