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監督のセルフ・カウセリングのような映画

『日常対話』(台湾/2016)監督ホアン・フイチェン

解説/あらすじ
66歳で母アヌの営む葬式陣頭<牽亡歌陣>の仕事を手伝い始め、10歳で小学校中退を余儀なくされたチェン。暴力を振るう夫から身を守るために、アヌはチェンとその妹を連れて家を逃げ出す。学校に通うことが出来なかった子供時代。弔い業に対する世間の冷ややかな視線、そして周囲に隠すことなく「女性が好きな女性」として奔放に振る舞うアヌへの偏見。さらに娘たちよりも恋人を優先するアヌに、チェンは次第に不信感を募らせ、母娘関係はいつしか他人同士のように冷え切ってしまう。やがて自らも一児の母となったチェンは家族の姿を映画に撮ることで、アヌの本音を聞き出し、自分の秘密を打ち明けようと決心する。

タイトルはちょっと違うな。カメラを間に置かないと話せない母と娘の対話。監督のセルフ・カウセリングのような内容。それは、母親が葬儀の時の魂をあの世の送って遺族を癒やす葬式陣頭<牽亡歌陣>の仕事をしていたこと。シャーマニズムの血筋が娘である監督にも流れているのである。そして、母親と対話することによって、過去の自分自身と相対しながら自己分析していくのである。

母親がレズビアンというのは二人の間ではそれほど問題でもなかった。むしろ、夫のDVだった。母より娘の告白のほうがキツイ。家族はしょせん他人なのか?母親は自分の腹から出てきたからそうは思わないだろうけど。

母親の分裂した自己が娘に投影させてしまったのではないのだろか?男尊女卑という家族主義の中で夫の暴力に耐えねばならなかったこと。

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