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赤ワイン無季俳句読む酔っぱらい

くっきり空が分離しているのが綺麗だと思って撮ったのだけど写真ではそれほどでもなかった。昨日は午前中雨が降っていたので引き籠もることにして、午後から食料を買い出しに。ワインとつまみを買って、午後は酒盛り。今日の一句。

赤ワイン無季俳句読む酔っぱらい

たいして意味はないです。無季俳句にすると幻想的になると書いてあったのだけどただの酔っぱらいの句でした。

読書。『文學界(2022年5月号)』特集「幻想の短歌」は面白かった。俳人との座談会「短歌の幻想、俳句の幻想」で俳句の季語は共同幻想だという話があり、それで幻想はみんなで見ると現実になるような、やっぱ幻想はユートピアにしろディストピアにしろ孤独者が見るものだ的な意見で。それは幻想的(シュール)な世界だということです。でも孤独者はシュールではなくフールであるかもしれない。覚めたフールということだよな。

あと韻律の研究やっていたのに、「うたの日」で音数を間違えるという痛恨のミスをやらかしてしまった。

これは音数の意味がわかっていないのだと。何故五七五七七の形式が必然になるのかと。5音を7音にしたり、7音を5音にしたりする初心者的なミスが多すぎる。それは5音とか7音の違いが良くわかってないのだろう?でも説明も出来ない。ただリズム的に同じ音数だと単調になるからと思うからなのだが、下の句ではどうして七七になるのだろう。短歌の音数の本を研究しなければ。八音説というのがあって、八音を五連続ける。それだと単調なんで五七調にしたという。

そんな短歌のことばかりで俳句がなおざりになっていた。
高柳克弘『究極の俳句』を読んでいるのだけどちっともわからん。ただ芭蕉の俳句は、究極だぞみたいな。究極もいっぱいあるとどれがいいんだか、わからなくなる。そもそも意味が全然掴めないし。解説を読んでなるほどと思うがすぐ忘れてしまう。

そんなこんなでなんかnotoの記録というものがあった。一番読まれている記事がマイルスのマラソンセッションだが一番評価されていないというがっかりな結果でした。でもよく書いているなあ、と自分でも感心する。誰に読まれる宛もないのに。フールなんだろうか?

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