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躁鬱のそうそうそわそわ如月

裏庭の梅の木だけどまだ蕾状態。日陰は寒いから咲くのが遅い。公園の河津桜はもう花を付けていた。


今日の一句は、風呂に入りながら作ったが内緒。オンライン句会用に三句。まあ、ここの掲載句も一句交えたけど後で見直すつもりだ。そうだ、今日は俳句の公募を重点的にやろう。

躁鬱のそうそうそわそわ如月

一句出来た。俳句の鬼が憑いている。

風呂ラジオ。「文芸選評 俳句」を聞いた。伝統俳句の井上ひろみちゃん。相性が悪い。「NHK俳句」で一度も選ばれたことがなかった。結構出しているのに。「NHK俳句」は前衛俳句的なものは難しい。

昨日は森田童子のデビューアルバム。『GOOD BYE グッドバイ』を聞いて鬱になっていたな。ダウナー系のサウンド。noteに音楽記事を書こうとして失敗してまった。『ぼくたちの失敗』の前のアルバムだった。その対になるのが『さよならぼくのともだち』。また駄目になるからあとで聴こう。日記優先。

昨日はひきこもり。買い物には出たか。河津桜の定点チェックしているのだった。ラジオで「二十二歳の別れ」。懐メロに弱くなるのは、還暦から。

読書。アニー・エルノー『ある女』を読んだ。硬質な文体なのはフランス語という母国語で書いているからだ。フランスは階級社会であり、大学で学ぶエリートの言葉としてフランス語があるのだが、労働者階級の言葉は方言のような正しいフランス語とは認められない。地方によっては英語訛もあるので(ゲール語とかアイルランド系もブルターニュ地方のブルトン語とか)。そういう言葉は母語といい、母国語とは区別する。よく一緒にしてしまう人がいるが、それは日本が日本語だけの母国語だと思うから。厳密には琉球語やアイヌ語もあるのだ。訛も津軽訛とかは、母語で母国語とは言えない。

短歌雑誌。『ねむらない樹vol.7』も読んだ。女性歌人特集だったがそのほとんどが『幻想短歌』で読み応えがあった。

橋本治『うしなわれた近代を求めて 下』は北村透谷で躓いている。北村透谷を正面切って論じた本は、あまりないかもしれない。

吉本隆明『写生の物語』。『言語にとって美とはなにか』に繋がるような本。難しすぎ。これは理解して読もうとしたら時間がかかる。こういう本はつまみ読みでいい。だいたい「起源以前の短歌の死後」とかわけのわからないことを最初から言っている。幻惑的な吉本隆明は、この時代に特徴的なのか?

詩も作ろうと思って読み始めた『天沢退二郎詩集』。わからん。やっぱ散文かな?

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